[7-3]広がる未来のために
もちろん砦の昼食が
当初は想像もつかなかった『おはし』が箸と呼ばれる食器だと知ったのは、ガフティに聞いてからだ。先に向かって細くなるよう削った二本の竹棒を指で器用に操り、食べ物を
狐少女が目を輝かせ、左手で器用に箸先を動かし小さな物を摘んでみせたのは、ダズリーの料理人生の中でも五本指に入る衝撃だったかもしれない。
ヒナが辿々しく言うことには、小ぶりの箸は食事用、長くて大きいものは
小皿を前にした狐の少女は小声で和国語の挨拶らしきものをしてから、恐る恐るといったふうに
それでも少女はサボテンを
「……どうだ?」
銀色の尻尾がさっきより大きく揺れ始めたことに安堵しつつも、答えを待ちかねて尋ねれば、ヒナはダズリーを振り向き見て嬉しそうに笑う。
「にがくない! ふしぎなかんじでも、おいしいですよ」
「だろ?」
尻尾をぱたぱたと揺らしながら残りに取り掛かるヒナの姿に心底ほっとして、ダズリーも自分用に取った試食分を食べてみた。口にした途端に香る
子供にも大人にも食べやすい料理になっていることを確信してから、ダズリーは残りの作業に戻ったのだった。
***
「おぉぉ、見てよティア、この芸術的な色と香りのマリアージュを」
「やっぱり料理は腕っ節、そして愛情なのだわ、キア」
「よくわかんねぇが褒めてくれてありがとよ」
土産を持参したアライグマ姉妹が、砦の昼食を前にして感動している。昼食も基本的には各自が食べたい物を好きなだけ取る方式なのだが、女性であり客人でもある二人には、先に取り分けワンプレートで提供した。男どもの生存競争に巻き込まれるのは
それはさておき、お土産主の彼女らにもサボテンと野菜の炒り卵は気に入ってもらえたようだと思い、ダズリーは満更でもない気分で口角を上げた。
調子に乗る料理人をヒナはちらちらと観察している。サボテンの味がお気に召した割に警戒態勢を解かない少女は、本当に用心深い気質なのだろう。
「訓練校のご飯も美味しかったけど、ここの料理も絶品だな。シェフがワイルドみのある硬派だってのもポイント高いよ」
「本当ね。それに革命軍の拠点なだけあって、皆様よく鍛えていらっしゃるし! あの、シャツの襟から覗く大胸筋……」
「刈り上げた短髪とくっきりした胸鎖乳突筋のコラボも最高だね」
見た目は可憐な獣人女性たちが、マニアックな話をしている。ヒナが真剣に耳を傾けているのに気づき、ダズリーは内心で焦った。人体に備わっている筋肉の各部名称など聞かれても答えられる気がしない。
「あんたら本当に、筋肉鑑賞が趣味なんだな」
「まちょはんたー?」
しみじみ言ったダズリーとヒナの
たじろぐダズリーに、アライグマ姉妹はそれぞれの尻尾をぶんぶんと振り回しながら口々に訴えた。
「趣味なんかで片付けないでくれよな! これはあたしたちの
「そうですよ! 鍛え抜かれた肉体は美しく頼もしいですけど、いかに屈強だろうと
「お、おぅ……あんたら、医者なのか」
噛みつかれそうな勢いだったが、内容は心強い。ダズリーの返答を聞くと姉妹は揃った動きで得意げに胸を張った。
「あたしは、外科を」
「私は、
「まだまだ経験が少なくて開業できるほどじゃないけどね」
「洗濯代行の
聞けば訓練校を卒業後、家屋清掃と洗濯代行の仕事で学費を稼ぎつつ、医療の専門校に一年半ほど通い履修を終えたばかりなのだという。シャイルの話を聞き、卒業旅行のついでにダグラ森の砦に立ち寄ったらしい。何ともアクティブな話だった。
「姉妹で別の分野を
「うん、そのことなんだけどさ」
姉妹は出された料理を綺麗に食べ切り、食器を返却してから
飲んだことのないものは珈琲の苦さに最初びっくりするという。和国出身のヒナには未知の味だろうと心配になり、ダズリーは観察していたが、少女は一口含んで味を確かめたあと自分でミルクを
お互いに腰を落ち着けたところで、アライグマ姉妹が話の続きを始めた。
「あたしたち、ここに就職しようかと思って、リーダーの彼に交渉中なんだよ」
「聞けば、お医者様はいらっしゃるようですけど、薬学に詳しい内科寄りの方ということですし」
「平時は掃除と洗濯を担当、何か
一見すると全く正反対に見える二人は、話してみればとても仲が良いのだとわかる。しかし施設育ちであれば彼女らも身内が居ないのだろう。個性は強烈だが、確固とした信念を持っている様子はダズリーから見て眩しいものだった。
自分が砦へ辿り着いた時のことを思い出す。家族を
「あんたら、若いのに凄いな」
しみじみと呟けば、姉妹は顔を見合わせた。妹ティアラがふふっと笑って祈るように両手を組み合わせる。
「すごくないですよ。私たちには恩人や、お友達や、幸せになって欲しい人が沢山いるんです。その中には、優しくて立派な魔族の方もたくさんいて」
「でも、今の世界でそういう人たちの居場所を探すのはひどく難しいからさ。シャイルとか
声を
「わかるのか」
「獣人特有の筋肉じゃないからね。ま、大抵の人にはわかんないと思うよ」
「でも、いつだって
そわそわと尻尾の先端を動かしつつ視線をさまよわせる狐っこに、ティアラがふんわりした微笑みを向ける。言い諭すような声は優しく、柔らかかった。
「
「あたしたちの経験と人脈、きっと役に立つと思うんだ。だからこれから宜しくな、ダズにヒナ」
***
一日の業務を終え浴室で汗と疲労を流して、床に就くのはいつも真夜中だ。
ヒナは起きていてダズリーを待っていることもあるし、先に寝ていることもある。今日は予期せぬ来客の接待に疲れたのか、ダズリーが部屋へ戻る頃には既に子狐姿となっていて、なぜかダズリーのベッドに丸まっていた。
「居場所を作る、か」
ゆっくり規則正しく上下する小さな身体と、布団か何かのように全身を覆い隠す九本の尾を眺めながら、ダズリーの口から独り言が滑り落ちる。
彼女を拾った時からずっと、当たり前のように、一緒に過ごしている。けれど。大陸は妖狐であるヒナにとって生きやすい場所ではないのだろう、とも思う。いつかは――いや、すぐにでも、彼女を故郷へ返す方法を探すべきなのかもしれない。そう考えたら、じくりと胸が痛んだ。
「ダイフク、やきとり、……ふへへ」
「……この、食いしんぼうが」
人が感傷に浸っているというのに、ヒナは和国の食べ物の夢を見ているらしい。思わず苦笑し、それから心底おかしくなって笑う。世界で唯一、魔族と他種族が争うことなく暮らしているという和国の文化にこそ、理想の国造りをしてゆく上で役立つ
棚に置いてあった本を手に取り、目を落とす。和国語の勉強にとガフティがくれた大衆小説で、イザカヤと呼ばれる食堂に集う者らの人間模様が描かれた連作短編なのだが、和国語が読めずまだほとんど読み進められていない。
砦の料理人として生きる日々は忙しく、充実していて、心は平穏でいられる。けれどそれだけでは駄目だ、と痛感した一日だった。
魔族の寿命は長い。ヒナの未来は人間であるダズリーよりも遥かに遠く、広い。そんな彼女にとって一番良い居場所はどこなのか、大人である自分が真剣に考えてやらねばならないのだ。そのためにも。
「時間がない、なんて言い訳は無しだ」
決意を言葉に乗せ、ダズリーは卓上灯の下でペンを片手に本を開くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます