[7-3]広がる未来のために


 もちろん砦の昼食が御菜おかず一品で足りるはずもないので、ダズリー自身はゆっくり試食をしている暇はない。小皿に玉柄杓レードル一掬ひとすくい移し、さじはしを一緒に置いてやる。


 当初は想像もつかなかった『おはし』が箸と呼ばれる食器だと知ったのは、ガフティに聞いてからだ。先に向かって細くなるよう削った二本の竹棒を指で器用に操り、食べ物をつまんだり混ぜたりするらしい。ガフティは使えるわけではないが形状を知っており、竹を削ってヒナのために箸を作ってくれた。

 狐少女が目を輝かせ、左手で器用に箸先を動かし小さな物を摘んでみせたのは、ダズリーの料理人生の中でも五本指に入る衝撃だったかもしれない。

 ヒナが辿々しく言うことには、小ぶりの箸は食事用、長くて大きいものは菜箸さいばしといって料理用らしい。ガフティはヒナの説明図通り菜箸も作ってくれたが、ダズリーは未だに使いこなせず、手伝いをする際にヒナが時々使うくらいだ。


 小皿を前にした狐の少女は小声で和国語の挨拶らしきものをしてから、恐る恐るといったふうにり卵へ箸をつける。焼き上がったパンをオーブンから出して籠に移しながら、ダズリーも落ち着かない気分で少女を観察していた。いつもならふわふわ揺れる尻尾の動きが、今日はぎこちない。ヒナはに変な思い出でもあるのだろうか。

 それでも少女はサボテンをけたりせず、燻製肉とサボテンと卵を上手にまとめて摘み、そっと口に運んだ。一瞬尻尾をぶわっと膨らませてから、もぐもぐと咀嚼そしゃくする。結局ダズリーは作業の手を止めて、細い喉元が料理をこくりと飲み下すまで少女の様子を凝視ぎょうししていた。


「……どうだ?」


 銀色の尻尾がさっきより大きく揺れ始めたことに安堵しつつも、答えを待ちかねて尋ねれば、ヒナはダズリーを振り向き見て嬉しそうに笑う。


「にがくない! ふしぎなかんじでも、おいしいですよ」

「だろ?」


 尻尾をぱたぱたと揺らしながら残りに取り掛かるヒナの姿に心底ほっとして、ダズリーも自分用に取った試食分を食べてみた。口にした途端に香る大蒜にんにくに燻製肉の芳ばしさと、サボテンの淡白ながら存在感ある食感が、やわらかな卵でまとまっている。ほんのり舌に残る酸味はサボテン由来か、トマトの味だろうか。

 子供にも大人にも食べやすい料理になっていることを確信してから、ダズリーは残りの作業に戻ったのだった。



  ***



「おぉぉ、見てよティア、この芸術的な色と香りのマリアージュを」

「やっぱり料理は腕っ節、そして愛情なのだわ、キア」

「よくわかんねぇが褒めてくれてありがとよ」


 土産を持参したアライグマ姉妹が、砦の昼食を前にして感動している。昼食も基本的には各自が食べたい物を好きなだけ取る方式なのだが、女性であり客人でもある二人には、先に取り分けワンプレートで提供した。男どもの生存競争に巻き込まれるのは不憫ふびんだと考えたからなのだが、瞳を爛々らんらんと輝かせて周囲を観察している二人には要らぬ世話だったのかもしれない。

 それはさておき、お土産主の彼女らにもサボテンと野菜の炒り卵は気に入ってもらえたようだと思い、ダズリーは満更でもない気分で口角を上げた。

 調子に乗る料理人をヒナはちらちらと観察している。サボテンの味がお気に召した割に警戒態勢を解かない少女は、本当に用心深い気質なのだろう。


「訓練校のご飯も美味しかったけど、ここの料理も絶品だな。シェフがワイルドみのある硬派だってのもポイント高いよ」

「本当ね。それに革命軍の拠点なだけあって、皆様よく鍛えていらっしゃるし! あの、シャツの襟から覗く大胸筋……」

「刈り上げた短髪とくっきりした胸鎖乳突筋のコラボも最高だね」


 見た目は可憐な獣人女性たちが、マニアックな話をしている。ヒナが真剣に耳を傾けているのに気づき、ダズリーは内心で焦った。人体に備わっている筋肉の各部名称など聞かれても答えられる気がしない。


「あんたら本当に、筋肉鑑賞が趣味なんだな」

「まちょはんたー?」


 しみじみ言ったダズリーとヒナの追随ついずいを聞いて、キアラとティアラが一斉にこちらを見た。キアラの薄紫ライラック色の目とティアラの薔薇ばら色の目には、いかにも獣人らしく獰猛どうもうなぎらつきが宿っている。

 たじろぐダズリーに、アライグマ姉妹はそれぞれの尻尾をぶんぶんと振り回しながら口々に訴えた。


「趣味なんかで片付けないでくれよな! これはあたしたちの畢生の使命ライフワーク! あたしだって手術の助手ができるくらいには、各部筋肉の名称と役割を履修りしゅうしてきたんだからっ」

「そうですよ! 鍛え抜かれた肉体は美しく頼もしいですけど、いかに屈強だろうと精神メンタルは繊細なもの。心を病む前に私がお話を聞きますよっ」

「お、おぅ……あんたら、医者なのか」


 噛みつかれそうな勢いだったが、内容は心強い。ダズリーの返答を聞くと姉妹は揃った動きで得意げに胸を張った。


「あたしは、外科を」

「私は、精神メンタルケアを」

「まだまだ経験が少なくて開業できるほどじゃないけどね」

「洗濯代行の手伝いバイトをしながら、資金を貯めていたのです」


 聞けば訓練校を卒業後、家屋清掃と洗濯代行の仕事で学費を稼ぎつつ、医療の専門校に一年半ほど通い履修を終えたばかりなのだという。シャイルの話を聞き、卒業旅行のついでにダグラ森の砦に立ち寄ったらしい。何ともアクティブな話だった。


「姉妹で別の分野をれるなら、大きな診療所に入るにも開業するにも、上手くやっていけそうだな。医者はどこに行っても重宝されるというし」

「うん、そのことなんだけどさ」


 姉妹は出された料理を綺麗に食べ切り、食器を返却してから珈琲コーヒーを四つ持って席へ戻ってきた。勧められたので、ダズリーもヒナを促し二人の向かいへ座る。

 飲んだことのないものは珈琲の苦さに最初びっくりするという。和国出身のヒナには未知の味だろうと心配になり、ダズリーは観察していたが、少女は一口含んで味を確かめたあと自分でミルクをぎ足した。こういう一面を見れば、確かに自分はヒナを子供扱いし過ぎなのかもしれない、と自覚させられる。

 お互いに腰を落ち着けたところで、アライグマ姉妹が話の続きを始めた。


「あたしたち、ここに就職しようかと思って、リーダーの彼に交渉中なんだよ」

「聞けば、お医者様はいらっしゃるようですけど、薬学に詳しい内科寄りの方ということですし」

「平時は掃除と洗濯を担当、何かことがあれば医務室のサポート。砦側そっちとしても悪くない話だと思うんだよね」


 一見すると全く正反対に見える二人は、話してみればとても仲が良いのだとわかる。しかし施設育ちであれば彼女らも身内が居ないのだろう。個性は強烈だが、確固とした信念を持っている様子はダズリーから見て眩しいものだった。

 自分が砦へ辿り着いた時のことを思い出す。家族をうしない、親兄弟も、家や財産も全て失い、抜け殻のようになって漂着したあの頃の自分には、彼女たちのような目的意識などなかったのではないか。


「あんたら、若いのに凄いな」


 しみじみと呟けば、姉妹は顔を見合わせた。妹ティアラがふふっと笑って祈るように両手を組み合わせる。


「すごくないですよ。私たちには恩人や、お友達や、幸せになって欲しい人が沢山いるんです。その中には、優しくて立派な魔族の方もたくさんいて」

「でも、今の世界でそういう人たちの居場所を探すのはひどく難しいからさ。シャイルとか先生センセーとか、……ヒナちゃんもそうだろ」


 声をひそめて告げられた一言に、ヒナがぎくりと固まった。キアラの配慮を受け取って、ダズリーも声を低め尋ね返す。


「わかるのか」

「獣人特有の筋肉じゃないからね。ま、大抵の人にはわかんないと思うよ」

「でも、いつだって危険リスクはあるということです」


 そわそわと尻尾の先端を動かしつつ視線をさまよわせる狐っこに、ティアラがふんわりした微笑みを向ける。言い諭すような声は優しく、柔らかかった。


啓蒙けいもう活動はもちろん必要ですけど、受け皿となるをどう作ってゆくか、私たちにもできる事があればと思いまして。キアラと話して、決めたんですよ」

「あたしたちの経験と人脈、きっと役に立つと思うんだ。だからこれから宜しくな、ダズにヒナ」



  ***



 一日の業務を終え浴室で汗と疲労を流して、床に就くのはいつも真夜中だ。

 ヒナは起きていてダズリーを待っていることもあるし、先に寝ていることもある。今日は予期せぬ来客の接待に疲れたのか、ダズリーが部屋へ戻る頃には既に子狐姿となっていて、なぜかダズリーのベッドに丸まっていた。


「居場所を作る、か」


 ゆっくり規則正しく上下する小さな身体と、布団か何かのように全身を覆い隠す九本の尾を眺めながら、ダズリーの口から独り言が滑り落ちる。

 彼女を拾った時からずっと、当たり前のように、一緒に過ごしている。けれど。大陸は妖狐であるヒナにとって生きやすい場所ではないのだろう、とも思う。いつかは――いや、すぐにでも、彼女を故郷へ返す方法を探すべきなのかもしれない。そう考えたら、じくりと胸が痛んだ。


「ダイフク、やきとり、……ふへへ」

「……この、食いしんぼうが」


 人が感傷に浸っているというのに、ヒナは和国の食べ物の夢を見ているらしい。思わず苦笑し、それから心底おかしくなって笑う。世界で唯一、魔族と他種族が争うことなく暮らしているという和国の文化にこそ、理想の国造りをしてゆく上で役立つ秘訣ひけつがあるのかもしれないと思った。

 棚に置いてあった本を手に取り、目を落とす。和国語の勉強にとガフティがくれた大衆小説で、と呼ばれる食堂に集う者らの人間模様が描かれた連作短編なのだが、和国語が読めずまだほとんど読み進められていない。


 砦の料理人として生きる日々は忙しく、充実していて、心は平穏でいられる。けれどそれだけでは駄目だ、と痛感した一日だった。

 魔族の寿命は長い。ヒナの未来は人間であるダズリーよりも遥かに遠く、広い。そんな彼女にとって一番良い居場所はどこなのか、大人である自分が真剣に考えてやらねばならないのだ。そのためにも。


「時間がない、なんて言い訳は無しだ」


 決意を言葉に乗せ、ダズリーは卓上灯の下でペンを片手に本を開くのだった。

 


 

 

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