飛び入り洗濯シスターズ

[7-1]光闇のアライグマ姉妹


 ダグラ森は広大で深遠な迷い森であり、奥地の塔には森精霊の導きなくしては辿り着けない、と言われている。

 を知らぬ者が迷い森を抜けることは困難だ。精霊の影響力が強い領域では、物理的な距離など意味を持たないからだ。一歩踏み出した先に全く別の風景が広がるというのは、ここに限らずよく聞く話である。魔術の民と呼ばれる魔族たちであっても、精霊たちにまもられた領域を思うままにすることは難しいのだった。

 ダグラ森の砦は安全地帯だが外界からへだてられてもいる。一度ここに入ってしまえば都会へ行く機会は少なく、人によっては森の奥地で生涯を終えることもある。外からの客も滅多に訪れない。

 砦に辿り着く者といえば、森のを知っている同盟者か、ひどく衰弱あるいは重傷を負って精霊たちに哀れまれ、迎え入れられた逃亡者、と相場が決まっている。しかし、本日早朝に砦の門を叩いた訪問者は、そのどちらとも違っていた。


 砦の外に広がる畑地を囲む獣よけの柵は隙間だらけなので、防御力は期待できない。森の獣より危険な侵入者を阻むため、塔を取り囲むように防衛柵が設られている。正面の位置には大きな鉄製の両扉、それ以外の三方向には小さな非常扉が取り付けられていて、平時に出入りするのはその非常扉だ。

 大規模出兵の時以外は締め切りの正面扉が、ぐぉんぐぉんと打ち叩かれている。

 

「たーのーもぅ!」

「お願いしますぅ!」


 鈍い金属音の合間に響くのは、聞き慣れないアルトとソプラノの二重奏。ダズリーは厨房の窓から外の様子をうかがい見たが、分厚く高い防衛柵に阻まれ様子はわからなかった。

 塔の見張り台からなら訪問者が誰かはわかるだろう。案の定、見張りから伝令でも受けたのか、ヴェルクが非常扉から出ていくのが見えた。

 押し売りにしても砦入り希望者にしてもリーダーが応対するなら任せておけばいい。そう結論づけて、料理人は自分の仕事に戻る。この賑やかな訪問者たちと自分が関わることになろうとは、思いもしなかったのだった。

 




「いやあ、本当にあったとはね! あたし今興奮でドキドキしてるわ」

「私も胸がはちきれそう。あっすみません、お水を一杯いただけますか?」


 それから半刻ほど後、なぜか食堂にはくだんの訪問者――金髪と青紫髪の獣人女性二人が通されていて、面接官のようにヴェルクが前に座っていた。警戒して厨房に引っ込んだヒナが、狐のくせに猫のような動きで様子をうかがっているのが何とも滑稽こっけいである。

 グラスに輪切りのレモンと水を入れ三人に出せば、獣人女性らはぴったり息の合った動きでダズリーを見上げた。


「あら、ご親切にありがとうございます! 約束アポもなく訪ねてきた私たちにレモン水を出してくださるなんて、優しい無精髭さんですね」

「お、おう」


 金髪の女性が豊かな胸の前に両手を組み合わせ、声を弾ませる。たかがレモン水程度で感動されると逆に居心地悪いが、それだけ喉が渇いていたということかもしれない。青紫髪の女性は連れの言に大きく頷いていたが、肘でそっと彼女をつつきたしなめた。


「ティア、無精髭は失礼だぞ。確かに個性的な属性だけれど」

「あっ失礼しました! 気づかせてくれてありがとうキア。ええと、やり直します。ちょっとたくましくてほんのりワイルドな人間のお方、ご親切にありがとうございました」

「いや、別に、やり直さなくても」


 色白で愛くるしい容貌ようぼうとふわふわ波打つ豊かな金髪。身にまとう衣服は上品なエプロンドレスだ。淡い金毛に茶が混じった獣耳はヒナに比べると小さく、腰から伸びて椅子の外へはみ出した尻尾は太く立派で、輪のような模様がある。

 やたらとめてくるが――褒め言葉だと思われるのだが――表情は屈託なく目が優しいので、世辞や嫌味を言っているわけでもないらしい。


 青紫髪のほうは対照的に、控えめな胸元を覆うチューブトップに上着を羽織り、カーゴパンツをいた活動的なスタイルだ。髪も個性的で、後ろ側はショートボブ、両サイドは長く伸ばしてツーサイドアップにし、片側を部分的に編んでいる。

 色合いも雰囲気も対照的だが、可愛らしい顔と丸い獣耳、太く立派な輪柄の尻尾はよく似ていた。どうやらこの二人、実の姉妹らしい。


「あたしはキアラ、妹はティアラ。アライグマの獣人だよ。友人から砦のことを聞いてきたんだけど――」


 友人、獣人。ここを紹介できる人物となれば限られるが、心当たりがないわけでもない。何となく側に突っ立ってダズリーも彼女らの話を聞いていたが、続いて上ったのは意外な話題だった。


「ここに、シャイルという吸血鬼の方が身を寄せていると聞きまして……。宜しければ会わせて頂けないでしょうか? 私たちの名を伝えれば、わかるはずですので!」

「うん。名前でピンと来なくとも、洗濯シスターズって言えばたぶん思い出すよ」

「あんたたち、シャイルの知り合いか。てことは、工業都市から来たのか?」


 ヴェルクも同じ事を想起したようだ。工業都市バルクスは、ダグラ森からだいぶ南方へ下った場所にある人間の国家エレーオルの主要都市である。シャイルはそこの施設で育ち、成人後も同じ地域に住んで、施設から斡旋される仕事により生計を立てていたらしい。

 工業都市には職業訓練校があり、人間だけでなく他種族――特に獣人たちが多く住んでいるという。獣人たちは一般的に手先が器用で筋力に恵まれているため、学校で知識と技術を身につけ技師や工学者になる者も多いのだ。

 はたして、彼女たちはヴェルクの問いに頷き、交互に語る形で続きを引き取った。


「あたしたちも施設育ちで、シャイルには世話になったんだよね。なのに魔族狩りにって行方不明になったって聞いて、心配してたんだ」

「でも少し前に同級生とお茶をした時、礼儀正しい赤髪の吸血鬼さんが高価な魔法剣を作って行ったという話が出たので、もしかしたらと思って詳しく聞いてみたんです」

「そう。確かにシャイルと名乗ったっていうのと、革命軍に身を寄せてるって聞いてさ。それでいても立ってもいられなくなっちゃって」


 彼女らの話は辻褄つじつまがあっているように思える。シャイルが魔法剣を依頼した馴染みの鍛冶屋は工業都市にあり、鍛治師の夫婦も獣人だ。妻のほうは魔法工学を履修し卒業した魔法武器職人なので、彼女らの同級生と考えれば違和感もない。

 黙考していたヴェルクが口を開き、確かめるように低く尋ね返す。


「その、同級生とやらの店は?」

「夜桜工房です。筋肉美が素敵な黒獅子の旦那様と、春の妖精みたいに愛らしい桜猫ちゃんの体格差ご夫婦ですよ。もう、二人のめからして尊くって……」

「そうなんだよ、あの二人はせる! じゃなくて、二人も魔族狩りの件については心を痛めていてさ。シャイルが被害者だって知って驚いてたよ」


 馴染みの鍛冶屋の名称が出て、ヴェルクは安心したらしい。ダズリーとしては彼女らの濃ゆい喋りが気になるが、こういう相手にうっかり質問を投げ掛ければ終わりなきし語りが勃発ぼっぱつするだろうと察したので、黙っておく。

 ここへ運び込まれた時のシャイルの状態を思えば、彼にもこうして身を案じてくれる友人たちがいるという事実に胸が温かくなる。料理人ががらにもなく感傷に浸っている間に、誰かが伝令したのだろう、食堂の扉が開いて噂の赤髪青年シャイルが飛び込んできた。

 物音に気づき、獣人の姉妹も弾かれたように同じ動きで席を立つ。おそらく数ヶ月ぶりに顔を合わせたのであろう二人と一人は、一瞬の沈黙ののちほぼ同時に声を上げた。


「君たち、筋肉美観賞同好会マッチョハンターシスターズの! どうしてここへ!?」

「シャイル! 美形には興味ないけど、あなたの綺麗な顔に傷が残らなくって良かったわ」

「おー、元気そうで良かった! ちゃんと朝練してるか? あたしに二の腕見せてみ?」


 もはや、誰へ突っ込むべきかもわからない。茫然ぼうぜんと固まったヴェルクを気の毒に思いつつ、ダズリーは視線をそっと厨房へ向けた。

 相変わらず猫のような挙動でこちらをうかがっているヒナを見つつ、彼女らの言う『尊い』とはこういうことなのだろうか、と考えながら。




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