[6-3]夜へ沈む月に願う


 ヒナが隊長と呼ぶガフティは海向こうの国から来た軍人だ。彼自身は隣大陸の出身なのだが、仲の良かった同僚が和国出身だったらしく和国の文化に通じている。

 剃髪ていはつ頭に三白眼、黒い軍用コートを羽織って和刀を携えた強烈な風貌だが、百人隊長をしていたというだけあって面倒見が良く親切だ。ヒナも彼を怖がらない――むしろ懐いているほどで、和国文化を知らないダズリーにとっては少々羨ましい存在でもあった。


 三方さんぽうとかいう台座を作ってきたガフティは今、ヒナと一緒にできあがった月見だんごを並べている。三角錐さんかくすいのような形に盛るのも決まりかしきたりらしいので、ダズリーは手を出さず見守っていた。

 白く丸いだんごを積んで天辺の一個だけ黄色だんごにするのは、可愛らしくも芸術的で絵になる光景だ。これにすすきと酒を添えて月見をするのが和国の風流らしい。今回は見張りの邪魔になってはいけないので、酒の代わりにレモネードを供する。


 三方に乗せきれなかった分を平皿に積み上げれば、準備は完了だ。配膳用のワゴンに乗せて塔の最上階へ。結局ヴェルクとガフティが見張りに立つらしく、女性陣とダズリーは完全に物見遊山の客である。何だか申し訳なく感じるが、不慣れな者が見張り台に立つわけにもいかないので仕方がない。

 せめて休憩がてら、月見だんごをつまんでもらおう。


 塔に昇降機のような物はないので、ガフティとダズリーで協力し合いワゴンを運ぶ。見張り台は大人二人が並び立っても十分余裕があり、仮眠室として使われている部屋も四、五人がくつろげるだけの広さがあった。壁を切り抜いただけの大窓に下げられたカーテンは開けてあり、外に顔を出せば闇に沈む森の姿を一望できる。

 ローテーブルを窓際に寄せ、ガフティが三方を設置し、すすきの挿された花瓶を置いた。黒々とした夜の森を淡く照らし出す月は、この時間まだ綺麗な円形を保っている。


「島では、しょくってのは不吉な現象だって言われてたんだが」


 ぽそりと呟く低い声は、見張り台のほうから顔を覗かせたヴェルクだ。言われてみれば確かに、未不知みしらずの精霊イクリプスは謎めいた存在で、凶兆を示すという説もある。


「まぁでも、眺めて呪われるってことはねぇだろ」

「そーそ、ただの現象さァ。本当にヤバイならローが止めるだろしな!」

「それもそうか……」


 ミスティアの兄ローウェルは下位精霊の姿を見ることができて意思疎通も何なくこなせる精霊使いだ。兄妹仲のいいミスティアがローウェルに月見の話をしていないはずもなく、止められなかったということは問題ないのだろう。

 ヒナは魔族だが、学ぶ機会がなかったのか魔法にはうとい。詳しくない者同士で額を突き合わせていても不毛なだけなので、この話は終わりにした。ガフティが見張り台へ入ったので、会場設営はダズリーとヒナで行うことになる。


 ダグラ森は温暖な地域であるが、森の夜風は湿気を含んでおり冷涼だ。翼族は寒さへの耐性が低い種族なので、上着や薄い毛布も出しておく。そうして慌ただしく動いていたダズリーはふと、ヒナが窓辺で何かしていることに気づいた。

 声を掛けようとするも、動きが不審だ。いつもふわふわ揺れている銀色の尻尾が妙にピンと張っている。じりじりと窓に近づいて手を伸ばす、その先にあるのはだんごを積んだ三方だ。狐の少女はおやつの誘惑を堪えきれず、つまみ食いを狙っているらしい。


 声を掛けようとするも、すんでで思いとどまった。ガフティから聞いたところによれば、月見だんごに限って子供のつまみ食いはとがめられないのだとか。見つからないことが前提なのであれば、声を掛けるのは野暮というものだろう。

 見ないふりをするか、と思いつつも、見様見真似で作った月見だんごをヒナがどんな表情で食べるのか気になって仕方がない。少女のほっそりした指先が今まさにだんごへ届こうとした、瞬間。軽やかな足音がして、翼の姉妹が部屋へ駆け込んできた。いつの間に巻き込まれたのか吸血鬼青年のシャイルも一緒だ。途端、瞬く間に手を引っ込めたヒナがこちらを振り返ったので、当然ダズリーとばっちり目が合う。


「あ」

「おぅ」


 大した意味もない声だけを交わし、ヒナがすごすごと引き下がる。狐の耳も尻尾もしおれたねぎのようにしゅんと下がって、あまりの落胆ぶりに思わずダズリーは笑ってしまった。きゃいきゃいと寄ってきた翼の姉妹が、ヒナの様子を見て首を傾げる。


「どうしたんだ? ヒナ。蝕はまだだけど、もうすぐだから元気だして」

「ん、ヒナはげんき」

「わたし、この毛布借りてもいいかしら。もう今から、眠くって……」


 三方を乗せたローテーブルを囲むように少女たちが陣取りを始めた。こうなればつまみ食いもできないだろう。ヒナも大人しく席につき、大窓から覗く丸い月を眺めている。


「見て見て! 月が、ちょっと変形してきたよ」


 ミスティアが元気に声を上げて窓を指差し、フェリアが腰を浮かせて空を見上げる。つられてダズリーも覗き見れば、丸い月の下部分がほんのりいびつになっていた。


「まだ、あかくない」

「赤くなるのは光が消えてからなんだぞ? ゆっくり消えていくんだって。これ、ヴェルクやガフ隊長も見れてるのかな……」


 そわそわと見張り台を気にするミスティア。一方フェリアはすっかり眠そうで、毛布にくるまったまま壁にもたれている。隣に座っていたシャイルが少女の肩を抱くように腕を回し、優しい声で囁いた。


「大丈夫? 眠いなら、仮眠用のベッドに運んであげるよ?」

「んぅん……ベッドに行ったら、あかい月が見れないわ。おだんごも……」

「それなら僕の肩にもたれてて」

「うん、ありがとう、シャイル」


 壁際でひっそり交わされる気遣いを眺めつつ、つくづくシャイルは器用な奴だとダズリーは感心した。それに比べて我らがリーダーは、想いがわかりやすい癖に立ち回りが不器用すぎて見ていられない。

 珍しく姉ではなくシャイルに甘えるフェリアと、月より見張り台を気にしているミスティアと、月よりだんごを気にしているヒナ。その様子を後ろから眺めていれば、月見とは何だったのかとおかしく思えてくる。

 ダズリーはだんごの皿を一つ取り、立ちあがった。

 不慣れだとか言わずに、ここは大人が気を利かせてやるところだ。


「そろそろ食ってもいいんじゃねぇか、月見だんご。俺はちょいと見張り台に差し入れてくるぜ」


 天辺の黄色だんごを避けて白だんごを一つ取り、真っ先に食べてみせる。初めて作ったものだが柔らかな弾力があって歯応えもよく、噛み締めれば口の中にほの甘い穀物の風味が広がった。これがもち米なら伸びると言われても、ダズリーには想像できない。

 こちらの意図を察したらしいシャイルがだんごの皿に手を伸ばすのを確認してから、ダズリーは見張り台へ出る。夜の森は風もなく静まり返っており、どこかから鳥か獣の声が聞こえてくるくらいだ。外側へり出した部分に立つヴェルクとガフティを見つけ、そちらへ行こうと一歩を踏み出したところで、後ろに何かが飛びついてきた。


「ぅおわっ!?」

「ヒナも、いくっ」


 少し怒っているような声音に思わず見下ろせば、狐の少女はくいと眉を寄せて小さな口をへの字にしている。素振りを見せたつもりはなかったが、思惑がばれてしまったらしい。

 いい返しも思いつかぬまま、さてどうやって言いくるめようかと思考を巡らせていると、黒い影がぬっと現れた。


「何やってんだ、危ねえぜ」

「お、ヴェルク。いいタイミングだ。ちょいと見張り代わってやるから、そっちでだんご食って来い」

「ヒナもいくから、たいちょーもおたべするです」

「こらっ」


 勝手に便乗するヒナに非難の目を向ければ、負けじと睨み返された。突っ立ったまま困惑の表情でこちらのやり取りを見ている砦リーダーは、やはり不器用である。ダズリーとしては、ヒナを連れて仮眠室へ行って欲しいのだが――。


「おゥよ、じゃーお言葉に甘えるぜぃ。少しの時間でいいから見張りよろしくな!」

「え、あぁ!? 押すんじゃねえよガフ!」


 察しのいいガフティ隊長がんだのはヒナの意向だった。混乱しているヴェルクを押しながら、彼は去り際に親指を立てて片目をつむってみせる。ヒナがこくこくと頷いているのだが、いったい何だというのか。

 しかし見張り番が二人とも引っ込んでしまった以上、見張り台を無人にしておくわけにもいかない。ダズリーが何を言うよりも先に狐少女は軽やかな足取りで定位置につくと、しつらえてある椅子に飛び乗り振り向いた。手元が見える程度に灯された魔法光を飲み込んで、薄荷はっか色の双眸そうぼうけいと輝く。


「みて、ダズ! つき、きれい」

「そうだな。確かに……暗い分いっそう綺麗に見えるなぁ」


 少女の向かい側にある椅子へ腰掛け、石造りのへりにだんごの乗った皿を置く。すかさずヒナが手を伸ばして天辺の黄色だんごを取り、かぷりと食いついた。


「おまえさん、そんなに食いたいなら仮眠室で――」

「ヒナは、ダズといっしょがいい」


 一口目を飲み込んだ少女が、いつかと同じ台詞を言ってふわっと笑う。思わず息を呑んで見惚みとれかけるも、彼女はすぐにおやつを狙う猛獣の目になり残りのかけらに食いついた。

 ――あるいは、人を惑わせるという月光精ルナが見せた幻想、だったのだろうか。


「……夜更かしは、駄目だからな」


 まっすぐすぎる願いに、料理人の枯れた心は返せる答えを持っていない。当たりさわりのないことを言って目を逸らすように夜を見上げれば、闇に食い尽くされた月が星海にあかく沈んでいた。

 その美しさと禍々まがまがしさから目を離せず、魅了された気分で見つめていると、ヒナが不意に囁くように、言った。


「つきみだんご、おいしいですよ。だいすき」

「……それは、何よりだ」


 子供らしい台詞になぜか色香を感じてしまい、そんな自分にダズリーは呆れる。やはり蝕は魔性をはらんでいて、人心を惑わせる作用があるに違いない。

 そう、思いつつも。

 どこか幻想的なこの時間がもう少し続けばいいと、不覚にも大人気おとなげない望みを、ダズリーは朱色の月にこっそりと手向けたのだった。


 


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