月夜に惑う

[6-1]見張り台は誰がために


 砦の外観は石造りのたけのこに似ている。塔の構造ではあるが、尖塔せんとうとは違って太く低い。最下層である一階は部屋も多く全体的に広いが、十五階建ての上層に行くほど部屋数が減り狭くなって、最上層には見張り台と仮眠室しかない。


 人を迷わせるダグラ森の作用が及ぶのは地上の道だけではないという。光の反射か幻術か、あるいは霧の効果なのか。学者ではないダズリーには理解できない仕様で、上空から砦の辺りを見下ろしても視認できないらしい。

 それでも、絶対に安全ということはない。主な敵である魔族の得意分野は魔法なので、迷いの森が突破される可能性は常にある。森の野生動物や魔獣が脅威になる場合もある。山火事や水害などの自然災害が起きることだってあるのだ。それゆえに、塔の見張りは一日も欠かさぬよう交代制となっている。

 女性と子供、そして料理担当であるダズリーは交代表に組み込まれることはないのだが、その配慮が妙な効果を生んでいると気づいたのは、昨夜の夕飯後のことだった。


「大丈夫なのに! ぼくは狩人だもん、見張りのためなら徹夜くらいわけないよ」

「でも、見えねえだろ」

「何かが起きれば精霊が騒ぐから、わかるんだって兄さんが言ってたもん」

「いいんだよ。今のところ手は足りてるんだから」


 砦リーダーのヴェルクと戦乙女のミスティアが食堂の隅で言い合いをしている。すげなくあしらうヴェルクに付きまといながら訴える姿は、いかにも小鳥らしくて微笑ましい。


「見張り台は砦で一番高くて見晴らしもいいんでしょ? 翼族だから立ち入り禁止っていうのは差別だと思うの!」

「そのぶん目立つから危ねえんだよ」

「大丈夫! ガフ隊長が一緒に組んでくれるって!」


 戦場に築かれる本来の砦と違い、この塔における見張りの仕事は楽なものだ。遠方から狙い撃ちされる危険も、奇襲を受けて落とされる危険も、限りなく低い。一定時間を拘束されてしまうと仕込みや片付けといった業務に支障が出るので、ダズリーは当番を免除されているのだが、好奇心の強いミスティアは立ち入り禁止区画が気になって仕方ないのだろう。

 見張りは基本、二人一組で立つ。寒い季節や悪天候ならともかく、森の精霊力が安定していて霧もなく晴れ渡った夜なら、ベテランと組む前提で夜の見張りは面白い体験になるかもしれない。

 しかし、ヴェルクはガフティの名が出た途端に一瞬固まり、それから渋面じゅうめんになった。


「駄目だろ。一応あそこは…………密室、になるし」


 予想外の危惧きぐが飛び出し、ダズリーは思わず片付けの手を止めて二人の様子を注視する。言われたミスティアも意味を掴みかねたのだろう、きょとんと目を見開き、次の瞬間には首から上を一気に朱に染めた。


「べべべっ、別に隊長とは変な関係じゃないしっ! ヴェルクひどいっ」

「ヴェルク! お姉ちゃんをいじめないで!」


 どこからともなく飛んできたフェリアがそこに割り込んだ。翼をいからせる妹と動揺する姉に詰め寄られ、ヴェルクが言葉に詰まる。傍目からするとミスティアが異性として意識しているのは間違いなくヴェルクなのだが、彼はこういう場面において決定的に対応が下手だ。

 すっと隣に気配を感じたので視線を落とせば、空になったパン用のかごを両腕で抱えたヒナがいた。興味津々といったふうで修羅場を眺めつつ、ぽそりと呟く。


「あすはなんだって」

あけしょく? そういや、満月だったか」

「したからは、木がじゃまでみえないですの」

「ああ、なるほどなぁ」


 天体観測にさほど興味のないダズリーは気に留めてもいなかったが、どうやら珍しい天体ショーが起きるらしい。

 ヒナの言うとおり、砦周りは開けているものの月や星が見える範囲は狭いのだ。森には歳経た樹々が多く、豊かな梢が連なって空を隠してしまう。特に月は時刻によって位置を変えるため、よほど天頂近くに来た時でなければ地上から観察するのは難しい。


「それならそうと、言えばいいのにな。ヴェルク、たぶんしょくが来るって知らねぇぞ」

「ダズが、いって?」


 上目遣いにそそのかす狐っこは、好奇心で薄荷はっか色の目を輝かせていた。興味はあるものの、ヴェルクが怖くて口出しできないといったところか。

 ここは大人として場を仲裁してやるのが務めであり、ちらと想像した光景も悪くないように思えたので、ダズリーは頷く。


「そうだな。皆でおやつをつまみながらの月観察も、悪くねぇな」

「おやつ、つきみだんご!」

「月見だんご……?」


 すかさず提案された和国の菓子らしき名称をヒナに聞き返せば、少女は大きく頷いて尻尾を揺らした。


「まぁるい、おだんご。かさねて……おそなえる!」

「だんごって餅とは違うんだっけか?」

「ちがうけど、ちがわないよ」

「どっちだよ」


 和国には蝕を鑑賞する風習があるのだろうか。いや、月見というのだから月を眺める文化かもしれない。しかし、実際に作るためにはあまりに情報が少なすぎた。


「おいしければよしです」

「そんなものか……?」


 ついいぶかしむように返したが、ヒナがそう言って何でも喜んで食べてくれるからこそ、ダズリーも和菓子に挑戦してみようという気になるのだった。

 満月と蝕は明日の夜なので、まだまだ情報収集のための時間はある。そうと決まればまずは、かたくなに翼っ娘の見張り台入りを拒否しているリーダーの説得からだ。


「ヴェルク、聞いた話なんだが――」


 ヒナを連れて割って入れば、天の助けとでも言いたげな紫の目がダズリーを見た。むしろ追い討ちだなと、ほんの少し気の毒に思いつつ。

 世間知らずな我らがリーダーに、朱の蝕について説明を始めるダズリーなのだった。




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