[5-3]桜餅に似てる


 子狐は厨房ちゅうぼうに戻るとすぐ人型になり、言われる前に手を洗い始めた。後ろ姿でも尻尾の動きを見れば上機嫌なのがわかる。離れていったぬくもりに若干の寂しさを覚えつつ、ダズリーも袖をまくりあげて肘まできっちり洗う。

 そうこうしている内に食堂から賑やかな声が聞こえてきた。翼の姉妹が到着したらしい。


「ダズ、ぼくも何か手伝おうか?」


 厨房と食堂をつなぐ扉が勢いよく開きミスティアが飛び込んできた。近くにいたヒナは驚いたのか、びくっと飛び上がって尻尾をぶわっと膨らませている。


「もうほとんど終わってるから大丈夫だ。ヒナもミスティアと一緒に食堂で待っとけ」

「わかった! ヒナ、お姉ちゃんと行こうね」

「おねえちゃん……?」


 まるで姉のように手をつなごうとするミスティアと、若干疑問符的なヒナ。仲良く連れ立って食堂へ向かっていった。微笑ましいと言っていいかは微妙だが、翼と尻尾の動きを見ていればお互いへの好感度は高そうなので心配ないだろう。

 洗った手で葉巻をくわえなおし、ダズリーは棚から大皿を取って、できあがった和菓子を並べた。ピンク色にオリーブ色を巻かれた菓子は見た目も可愛らしく、ほんのり香る花の匂いがいっそう雰囲気を引き立たせる。


 ガフティによれば、この菓子はヒナの故郷である和国で節句せっくの祝い菓子として作られるものなのだと言う。今は在庫切れだが、皿の端に可愛らしい花の砂糖漬けでも飾れば確かにそれっぽくなりそうだ。

 ヒナが気に入るようなら何かの節目にデザートとして出すのもいいなと思い、そういう想像ができるようになった自分を少し意外にも思う。


 ダズリーにとって厨房は地所であり、縄張りでもある。日中はほとんど厨房に詰めているので、自分の部屋より気が休まるほどだ。

 忙しい時や配膳の時間に手伝いが来る以外はほぼ一人で過ごしていた厨房に、ここ最近はずっとヒナがいる。翼娘たちもよく訪れるようになり、ガフティ隊長とは気が合うのか話しやすい。

 最初は戸惑うばかりだった変化にも、いつしか心が慣れていたのだろうか。


 客商売をしていただけに好悪こうおの感情を隠して付き合うことはできるが、ダズリーは元々人とつるむほうではない。喪失と虚無に疲れ果てた心では愛想の良い笑顔も作れなかった。配膳を手伝いの者らに任せれば、人と会う機会はほとんどなくなる。人と会わなければ、身なりに気をつかう必要もない。

 料理担当として清潔さには人一倍の注意を払うものの、髪が伸びたらくくればいい、洗濯さえされていれば破れるまで服を着回していい、髭は思い出した時にでもればいい……という状態である。

 昔の料理人仲間には舌が鈍るから葉巻はやらないという者もいたが、ここでダズリーが食事を供する相手は絶品料理を味わうため訪れた客ではない。栄養管理さえできていれば味が雑でも文句はないだろう、という甘えと、やはり独りで静かな場にいればよぎってしまう悲しみから逃れるため、つい煙草に手を出してそのまま溺れていった。一時はかなりの重度喫煙者だったのだ。


 しかし、心が荒んでいたとしてもやはりダズリーは人の親なのだろう。自分への悪影響は無視できても、未来ある少女たちに危険リスクを負わせることはできなかった。

 ヒナが居座るようになり、翼っ娘たちが出入りするようになって、ダズリーはあれだけ依存していた煙草をかなり縮小した。今のところ少なくとも建物内では葉巻に火をつけないを徹底している。時々一人で外へ出て一服するくらいだ。

 もちろん苦しさはあるが、思ったより順調に煙断ちできているのは、騒がしさを増した日々が気を紛らわせてくれるのと、料理を喜ぶヒナの笑顔が生き甲斐を感じさせてくれるからだろう。


 和菓子を並べた大皿を持って食堂へ向かえば、翼の姉妹と狐っ娘は一つのテーブルについていた。音を聞きつけた三人分の視線はダズリーが手に乗せた大皿に注がれている。


「ほぅら、お待ち遠さまだ」

「さくらもち! すごい!」

「ほぉ、桜もちっていうのか」


 テーブルの上、三人の中心にどんと皿を置くと、ヒナが目の色を変えて声を上げた。桜もち、とは確かにガフティが言っていた名称だ。とはいえ、ライスケーキに巻いた若葉は桜ではないのだが。

 翼娘たちが覗き込むようにしげしげと観察している。おそらく葉ごと食しても大丈夫なのか考察しているに違いない。


「チェアリーの葉だから問題なく食えるぞ。桜もちならぬ、チェアリーもちってか?」


 もちという物が何なのかもよくわかっていないまま適当なことをいうと、ヒナは薄荷はっか色の目を輝かせて彼を見、そっと手を伸ばして、割れ物でも扱うような手つきで菓子を取った。小さな口を開け、葉の巻かれた部分へ遠慮がちにかぷりと噛みつく。料理人にとっては運命の瞬間と言ってもいい。

 ミスティアとフェリアもヒナの所作を観察しながら一つずつを手に取り、恐る恐るというふうについばみ始めた。もぐもぐと咀嚼そしゃくして目を輝かせ、翼や尻尾を膨らませているところを見れば、この味は彼女らの好みに響いたようだと安心する。


 ダズリーは、桜もちという菓子を見たことも食べたこともない。塩漬けの若葉も厳密にいえば桜ではない。中身の餡だっておそらく違う材料だろう。ヒナが知っている本物の桜もちとはだいぶ違いがあるはずだ。

 それでも狐の少女は違いを指摘したり不満を漏らしたりすることなく、本当に幸せそうな表情で一個を食べ切り、二個目へ手を伸ばす。その姿から目を離せずに、ぼうっと見つめていたダズリーに気づいたのだろうか。ふいにあげた視線が、絡まる。

 薄荷色の両目がきらめき、狐の少女は大発見でもしたように得意げな表情で、言った。


「さくらもち、ダズににてるね! ひとくちめ、からいけど、やわらかくって、中はあまい!」

「…………ふぁっ!?」


 不意打ちにも程がある。片言ゆえに意味の曖昧あいまいな「やわらかい」に不埒ふらちな妄想をよぎらせてしまい、ダズリーは心底慌てて葉巻を取り落としかけた。思わず漏らした奇妙な声に、おやつへ集中していた翼娘たちも顔を上げる。

 ミスティアの濃青の目が狩人のように輝いた。


「ほんとだ、ダズ。桜もちみたいになってる」


 隣のフェリアも愛らしい笑顔で小首を傾げる。


「ダズってば、照れちゃってるのね!」


 嬉しそうに楽しそうに姉妹が口々に言うので、ダズリーはたまれなくなり思わず顔を覆った。いい歳をした大人……むしろ中年の自覚がある自分が、桜もちという可愛らしさを押し固めたような菓子に例えられるのは、どうなのか。

 そこで扉が開く音がして、翼の姉妹は同時に立ち上がる。いいタイミングで砦リーダーが登場した――だけでなく、魔族青年のシャイルも連れてきたらしい。翼娘たちの注意が逸れたので、ダズリーは急いで厨房へと引っ込むことにした。


「ダズ、たべないの!?」

「俺はもう試食したからいい」


 ヒナの言葉に深い意味などないだろうに、ここまで意識するなんてどうかしている、と自分を自分で叱責しつつ、厨房へ踏み込もうとした瞬間。後ろから腰の辺りに衝突されて足が止まる。ほっそりとした白い手が後ろから腹へと回されて、ダズリーの腰を拘束していた。


「いっしょに、たべよ!」


 離せ、と言いかけたものの、ダズリーは思い直して上体をひねり、振り返る。薄荷色の目が必死なふうに見上げていて、何かひどく心配されているようだ。別に機嫌を損ねたわけではないのだが、ヒナにはそう見えたのかもしれない。

 不埒な自分を情けなく思ったんだ、とは口に出せず、被り物の上から頭を撫でてやる。突き出した大きな狐耳が一瞬ぴこんと動いて、少女はそっと腕を離した。


「あっちに混じんなくて、いいのか?」


 改めてけば、少女は安堵したようにふわっと微笑んだ。青銀色の尻尾をゆらゆらさせながら、当たり前のように隣へ並んで答える。


「ヒナは、ダズとがいい」

「それなら…………厨房で一緒に食うか」


 子供に気遣われるなんて、今日は本当にどうかしている。けれど不覚にもダズリーの心は、まるで春風が吹き込んだように温かくなっていたのだった。

 この感情に名前をつけるとしたら、まさしく『桜もち』が相応ふさわしいのかもしれない。




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