[5-2]想いが芽吹く


「ばれてるぞ、フェリア」


 低い声とともに壁の向こうから現れた巨体の影は案の定、砦リーダーだった。ヒナは相変わらず彼を苦手としているのだが、この度は好奇心に勝てなかったらしい。

 ヴェルクは一瞬ダズリーを見、それから翼をぴんと張って固まっているフェリアを見て、腰に手を当てると呆れたようにため息をいた。そこで我を取り戻したのか、少女の空色の翼がぶわっと毛羽立つ。


「ぐ、偶然なのよ? ヒナと一緒に食堂へ向かっていたら、……えっ、ヒナってば!」

「フェリア、ヒナ、何してるんだ?」


 裏切りの狐娘をうろたえながら探すフェリアに声を掛けたのは、ヴェルクの後を追いかけてきたらしいミスティアだ。不思議そうに小首を傾げた彼女の手に可愛らしい包みがあったので、ダズリーはだいたいの事情を察する。

 ヴェルクは昨日、シャイルの武器を調達するため工業都市へ出掛けたらしい。その際に、ミスティアへの土産か贈り物を買ってきたのだろう。

 これは先日の焼き林檎へのお礼なのか、あるいは好意の表れなのか。三十路男の頭にそんな興味が湧くほどなのだから、年頃の娘たちとしてはヴェルクの本心が気になって仕方がないに違いない。しかし、覗き行為に巻き込まれるのは心外である。


「ヒナは、むざいです」


 頭にぬくもりと柔らかな毛並みを感じると思えば、いつの間にか狐っこが子狐の姿になってダズリーの後ろ頭に張りついていた。ゆらゆら揺れる尻尾の先がうなじをかすってくすぐったい。片言の効果で純粋無垢を煮詰めた台詞に聞こえるが、先ほど自分を射抜いた確信的な目をダズリーが忘れるはずはなかった。

 ミスティアはきょとんとしているが、ヴェルクは胡乱うろんな目つきでダズリーの頭上を見ている。たいそう居心地の悪い現場だ。

 フェリアはと言えば、敬愛するミスティアに呆れられたくないのだろう、両手を胸の前で握り合わせ潤んだ目を向けて一生懸命訴えている。


「あのね、わたしはお姉ちゃんが心配だったの! ヴェルクってばいつも、お姉ちゃんに口うるさく言うし」

「ヴェルクはお土産をくれただけだよ? ほら見て、すっごい綺麗なナイフ!」


 勿体もったいぶるでもなくミスティアは包みから中身を取り出し、場にいる全員へ見せつけるようにぴしっと掲げた。

 鞘から抜かれた大型ナイフは刃の部分が透明感ある黒色で、見るからに魔法製の品物である。しかし、ミスティアの華奢きゃしゃな手に握られた刃物は造形美を差し引いても不穏な存在感をかもしており、フェリアは狼狽うろたえるように一歩引いて翼を縮こまらせた。


「ナイフなんて物騒だわ!」

「そうかな? 狩りにも役立つし、武器にもなるし、魔法の効果もついてて、ぼくは素敵だと思う!」


 おおよそ年頃の女子が交わす会話とは思えないが、当人はこの物騒な贈り物を大変喜んでいるようだ。贈った当人のヴェルクはといえば、さっきから気まずそうに視線をさまよわせている。彼らしい実用性の高い贈り物ではあるが、一般的でない自覚もあるのだろう。

 とはいえ、魔法製の武器は非常に高価で利用価値も高い。価格の面でも焼き林檎一つの礼として贈るには重すぎるので、やはりヴェルクはミスティアに好意があるのだ。


「お姉ちゃんが気に入ったなら、いいのだけど……」

「うん! すっごい嬉しいし気に入ったんだ!」


 不器用な男の恋心をもてあそぶようなやり取りを翼の娘たちは続けている。ヴェルクは手で顔を覆うなど彼にしては珍しい挙動不審な動きをしており、話がそれたことで安心したのか子狐はダズリーの頭上でくつろぎ始めた。

 若い恋模様を眺めているのは楽しいが、大人としてはそろそろ助け舟を出してやるのが筋だろう。そう考えた料理人は、春色きらめく空気をものともせず声を掛ける。


「ところで今日は、珍しいおやつを作ったんだが。おまえら、食べにこないのかよ」

「おやつ! いく!」


 裏切り者のくせに食い意地の張った子狐が、真っ先に反応した。くつろぎ状態から臨戦態勢へ移行したのか、小さな爪が頭に食い込んでくるのが地味に痛い。頭皮マッサージには強烈すぎる刺激なので、ダズリーは腕を伸ばして子狐を頭から下ろし腕に抱えた。


「ぼくもいく!」

「わたしも」

「なら手を洗ってから食堂へ集合だ」


 雀の群れのように連れ立って駆けてゆく翼の姉妹を見送ってから、さっきの猛攻撃で照れているらしいヴェルクにもそっと声を掛ける。彼は甘いものが得意ではないらしいが、ミスティアと一緒になら来るのではないかと思ったからだ。


「ヴェルクのぶんもあるぞ?」

「ああ、うん。……ありがとよ」


 来るとも来ないとも言わないところが彼らしい。来ないなら、ミスティアに預けて届ける理由づけにすれば良いのだし、取りあえず彼のぶんは取り置いておこうと決める。食堂へ向かおうとして、ダズリーはふと腕の中に収まっているヒナへ目を落とした。


「ヒナは降りるか?」

「もうちょっと、このまま」


 腕に触れる柔らかな毛並みと子狐らしくふわふわな尻尾は、ぬるい体温と相まってじわりとダズリーの胸を温めてゆく。あの日から深く穿うがたれたままのうろにまで熱が届くような、錯覚とともに。

 その意味を深く考えてしまえば、後戻りができないように思えて。

 ダズリーは雑念を頭から振り払い、早足で厨房へと向かった。




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