[3-3]優しい祈り


 ダグラ森は温暖湿潤おんだんしつじゅんな気候なので、森の植生もそれを反映したものとなる。砦近辺――足が届く範囲には、先代リーダーが植えさせた柑橘かんきつ類や山葡萄やまぶどう無花果いちじく胡桃くるみくりといった実をつける樹木があるが、寒冷地で育つ果樹の栽培には向いていないのだった。

 フェリアは元々寒冷高地に住んでいたらしく、林檎りんごが好物らしい。しかしダグラ森で林檎の木は育たないので、外から支給される物資に入れてもらうしかない。各拠点の状況も日々変化しており、ここ一ヶ月ほど果物は届いていなかった。


「林檎をすりおろして発酵ミルクに混ぜると美味しいの。林檎が届いていたら、わたし、シャイルに作ってあげたのに」

「林檎には滋養もあるからなぁ。あれば入れてやりたかったんだが、生憎あいにくと」

「ぶどう、あまいよ」


 目覚めた青年はシャイルと名乗ったらしい。意識ははっきりしており、受け応えがきちんとできるくらいには精神状態も安定しているとのことだった。

 彼を見守っていたフェリアも昼食を食べ損ねたというので、深皿を二つ出してクリームスープをよそい、かごに焼き立てのパンを五つ入れてやる。平皿に野菜サラダを、ポットに蜂蜜はちみつ入りのホットミルクを入れたところで、林檎の話題が出た。残念そうな翼の少女を慰めようとしてか、ヒナが冷蔵室から山葡萄を一房持ってきてフェリアに勧める。

 野生の山葡萄は酸っぱいものも多いが、先代リーダーが植えたこの山葡萄は、欠かさず肥料をやっていることもあり甘く食べやすい。フェリアは山葡萄に目を落とし、少し逡巡しゅんじゅんしたあと笑顔で受け取った。


「そうね、季節のものは栄養がたっぷりだというし、勧めてみるわ。ありがとう、ヒナ」

「潰して発酵ミルクに混ぜるか?」

「シャイルが食べられそうになかったら、そうするわ」


 房の中央で枝部分を切断し房をわけて、皿に乗せる。他の料理や食器と一緒に配膳用ワゴンに乗せ、覆いをかぶせれば準備完了だ。砦に昇降機のようなものはないので、青年が休んでいる三階層までは運ぶのを手伝ってやらねばならないだろう。

 

「ちょっと行ってくるぜ。ホットミルクの残り、飲んでもいいぞ」

「ダズはヒナを子どもあつかい、よくない!」

「飲みたくねぇなら置いとけよ……」

「のむ!」


 何かよくわからない反発を受けて、ダズリーは苦笑する。翼の少女がそわそわしているので、ミルクの小鍋に熱視線を送っているヒナは後回しだ。

 フェリアがさっきからシャイルシャイルと連呼しているので、そんな乙女心にでも当てられたのだろう。この先あの青年が革命軍に加わることになれば、暑苦しくむさ苦しいだけだった砦に春風が吹き込む――のかもしれない。


(いやいや、当てられてるのは俺かよ)


 はたと我に返り、慌てて妄想を振り払う。若い男女にすぐ色恋を見ようとするのはおっさんの習性だが、自分もそっちの分類カテゴリに近づきつつあるようだ。

 魔族の処遇に関しては難しさもあり、子供でないなら本人の意向もあるだろう。フェリアやヒナだって怪我の状態が悪いから心配しているのだろうし、ろくに情報がない状態で勘繰るのは野暮というものだ。


「ダズ、ありがとう。ここからは一人で運べるわ」

「お、あ? おぅ、気をつけろよ」


 雑念と妄想で一杯だった眼裏まなうらに、フェリアの無垢むくな笑顔はいつにも増して眩しく映った。



  ***



 ダグラ森砦は革命軍の拠点であり、革命軍が挑む相手は主に他種族を虐げる魔族の国家である。もちろん個々人で見れば加害を行わない魔族も多くおり、フェリアが見つけた行き倒れの吸血鬼青年――シャイルも、穏やかで素直そうな若者だった。

 しかし、砦に住む者たちも事情は様々で、魔族に対する考えや感情も人それぞれだ。見た目が子供で獣人種族っぽいヒナと違い、シャイルは鋭い爪と牙を持つ吸血鬼、それも成人男性なのである。


 懸念けねんの通り大きな反発が生じたとダズリーが知ったのは、次の日の朝。いさかう声が厨房ちゅうぼうまで聞こえてきたからだ。

 砦は石造りで、音が大きく響く。全階層を貫く階段により、響いた声は上層にも届くのだ。罵倒ばとうの声に混じってヴェルクの怒声が響いた途端、ミルクを飲んでいたヒナは震えあがって子狐の姿になり、棚の下へ潜り込んでしまった。やはりヒナはリーダーが怖いらしい。

 男たちのやり取りをはっきり聞き取ることはできなかったが、吸血鬼の魔族を助けたことへの抗議が巻き起こったのだろう。青年への罵倒を一喝いっかつして黙らせたヴェルクも、まさか厨房でヒナが縮みあがっているとは思わなかったに違いない。


 魔族には色々な部族がいるが、中でも吸血鬼はとりわけ特殊な体質で、魔性の能力も強いという。一睨みで他種族の者を麻痺まひさせるとか、鋭い牙には惑溺わくでき性の毒があるとか、様々な噂を聞くが、どこまでが真実なのか。

 また彼らは人間のように子を宿し産むことができず、代わりに、他種族の子を奪って同じ吸血鬼へと変えるらしい。それも吸血鬼が殊更ことさらに恐れられる一因なのだろう。

 リーファスによれば、吸血鬼の魔族は幼少時の記憶を失っているか、心に傷を負っている者が多いという。人いを犯していないなら尚更のこと、彼のことは危険な魔族ではなく保護すべき被害者と考えるべきだ、というのが医師青年の意見だった。


 まだ揉めているようなら止めに入ろうかと厨房から様子を覗いてみれば、騒ぎは鎮静化していた。ヒナを飛び上がらせたヴェルクの一声が効いたようだ。ダズリーは狐少女が落ち着いて棚の下から出てくるまで、積み重なった洗い物を片付けることにする。

 砦全体のざわざわした空気を感じ取っているのか、ヒナはなかなか出てこない。そろそろ心配になってきたので、おやつで釣ろうかとダズリーが冷蔵室を開いたと同時に、厨房の扉が勢いよく開いて翼の少女が飛び込んできた。


「ダズ、わたし、ひどいことをしちゃったわ」


 開口一番、悲愴ひそうな表情で訴えたフェリアを気にしたのだろうか。ダズリーが返答に迷っている間に、ヒナが棚の下から出て人型に戻り、音もなく側までやって来た。

 この二人、互いに距離を測りかねているのか、相手を気にしつつもあまり打ち解けられていない。なのでダズリーが水を向けてやる。


「何があったんだよ」

「ルエル村の翼族から救援要請があったの。わたし、シャイルに『助けて』って言っちゃったわ。彼まだ、怪我が治りきっていないのに……」

「救援要請、か」


 昨日からの騒然とした空気は魔族青年を拾ったことだけではなかったようだ。戦災で家族だけでなく故郷全てを奪われた彼女だ、心が騒ぎ立つのも無理からぬことだろう。同じ境遇であるダズリー自身も、心が騒ぎ立つのを自覚して息を詰める。

 しかし、魔族であるシャイルにとってはいい機会ではないだろうか。ダズリーはまだ彼と話す機会を得ていないが、これからも砦にいることを望むのであれば、実績を上げて周囲に認められるのが結局は一番手っ取り早いのだ。

 ヒナが銀色の尻尾を揺らしながら、身を乗り出してフェリアに尋ねる。


「シャイル、なんて?」

「任せて、って。ヴェルクも、無理させないようにするって、言ってくれたのだけど」


 フェリアの話は端的で、彼の体調や村の様子などの状況はわからなかったが、ヴェルクやリーファスも了承していて本人にやる気があるのなら問題なさそうに思う。任せてと口にするくらいだ、嫌々ながらというわけでもないらしい。

 少女は自分が頼んだことで無理強いになったのではないかと気に病んでいるのだろうが――フェリアに頼まれて張り切ったのだとしたら何とも微笑ましい話であり、そういう若者がダズリーは嫌いではない。


「それなら大丈夫だろ。まずはしっかり食わせて、フェリアが奴の無事を祈ってやればいいんじゃねぇか。頼られるってのも案外悪くねぇ気持ちだと思うぜ」

「そうかしら……」

「おう。あとは、いい武器と防具をリーファスにでも用意して貰えよ」

「わかったわ、そうする」


 少女は頷き、祈りを捧げるようにほっそりとした指を胸の前で組み合わせた。珊瑚さんご色の唇から聞こえるか聞こえないかの囁きがぽつんと落ちる。


「今度は、わたしが助けるの。どうか、守ってください――」


 意味深な台詞の真意を測りかね、しかし聞き返すのもはばかられたので、ダズリーは余計な口を挟まずヒナを促し二人の朝食を準備する。

 戦災で全てを奪われた少女は、自分の境遇に彼を重ねたのだろうか。それとも、かの村が故郷と同じ運命を辿らぬようにと願うあまりに思い詰めているのだろうか。


 そのいずれとも、ダズリーに判断することはできなかった。

 優しげな声がつむぐ切実な祈りだけが、心に残って忘れられなかった。




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