君の名は

[2-1]リーダーと海賊


 ここダグラ森砦における現在のリーダーは、ヴェルク・ザレイアという人間の男だ。出自は監獄島だが、さかのぼれば亡国王族の血を引いているのだという。

 大陸では珍しい褐色の肌、艶やかな黒髪をそこそこ長く伸ばしている。後髪はうなじの後ろで一本に括っているが、長めの前髪が右目を隠していて表情がわかりにくい。同性であるダズリーから見てもわりと端正な容貌ながら、声は低く口数も少なく、性格も生真面目だ。


 つまり、初対面で受ける印象が怖い。


「おい、ほら、大丈夫だから出てこいって」

「こわいっ」


 出会って数時間しか経っていないダズリーの「大丈夫」は信用されず、かろうじて見えている銀毛の尻尾が嫌々するように大きく打ち振られる。

 気を利かせたリーファスから伝え聞いたヴェルクが厨房に顔を出した途端、狐の少女は文字通り飛び上がって子狐に変化へんげすると、棚の陰に潜り込んでしまったのだった。

 弱小な魔族にとって強壮な人間は脅威だ、という知識はダズリーの頭にもあるが、少女をどうするか決めるのに砦リーダーの意見を仰がぬわけにもいかない。多少戦えるとはいえ、空腹で痩せっぽちな少女をヴェルクが脅威とみなすことはないとダズリーは考えたのだが、魔族の子供にとって彼はよほど恐ろしく見えるのだろうか。


「ダズ、無理に引っ張り出さなくても。ってはいねぇんだろ?」

「おぅ……たぶんな。リーフも、目は正常だって言ってたぜ」

「それならいい。そいつの気持ちが落ち着いてから、事情聞きだしてくれよ」


 ため息混じりに黒髪をかき回し、リーダーはそう言い残して厨房を去っていった。心なしか肩を落とす彼を言葉もなく見送るダズリーの袖が、くいくいと引っ張られる。視線を戻せば、人の姿に戻った少女が遠慮がちな仕草で服を摘んでいた。


「おまえさんな、そんなにウチのリーダーが怖いかよ」

「だって海賊……ぽい」

「あん? 海賊?」


 しゅんとうつむく少女の、下がった耳と尻尾の先が小刻みに震えていた。どうやら本気で怖がっているようだ。

 辿々たどたどしく伝えられた言葉をダズリーは黙考する。この娘、もしかして海賊にさらわれたところを逃げ出してきたのだろうか。そういえばダグラ森を抜けた先には大きな港湾こうわんがあり、近隣海域には海賊が多いと聞く。


「おまえさん、海賊が怖いのか?」

「こわくっ、ない! けど、やだ」

「…………そっか。やなこと、されたんだな」


 ヴェルクが海賊だったことは一度もないが、なにせ島育ちの風貌だ。遮るもののない日差しや海風に肌をかれた男たちと、元から褐色肌の彼とは、子供の目に区別できないのかもしれない。身に覚えのない理由で怖がられた彼は気の毒だが、少女にも少女なりの事情があるのだろう。

 共通語コモンも十分に喋れず、庇護ひごする者も見当たらない空腹の子供を、魔族だからと放り出したりはできない。気持ちが落ち着いたら事情を聞いてほしいとはつまり、事情がわかるまで保護していいという意味だと解釈し、ダズリーはちらちらと様子をうかがう少女をうながして椅子に座らせた。


「リーダーは海賊じゃねぇんだが……まぁそれは追々おいおい、でいいか。あんな怖い兄さんが取り仕切ってる砦だけど、どうする? 行くとこないならしばらくここに住むか?」


 喋りは片言だが、意思疎通に支障ない程度には聞き分けているらしい。心持ちゆっくり話しかければ、狐っ娘は薄荷はっか色の双眸そうぼうに光を揺らして再び俯いた。


「……わかんない」

「んー、そうか。なら、わかるまでここにいればいいさ。おまえさん、ぱっと見は獣人に見えるから、黙ってりゃ文句言ってくる奴はいないだろうよ」


 小さな頭がこくりと頷いた。薄い腹からきゅうとせつなげな音がした。

 少女の同意と空腹具合を確認してから、ダズリーは「よし」と声に出して立ちあがる。


「そうと決まったら、おまえさんに食わせるためにも夕飯の準備に取りかからねぇとな。つか、名前は?」


 聞くタイミングをいっしていたが、おまえさん呼びは熟年夫婦みたいで収まりが悪い――ではなく、少々不便だ。しばらく保護するなら、名前を聞いたほうがいい。

 今更ながら自身も名乗っていないことに気づき、ダズリーは何か言おうとしていた少女を手で制してから、立てた親指を自分のほうに向けて言った。


「俺はこの砦の料理人で、名前はダズリーだ。呼びにくかったらダズでもいいぜ。おまえさんのことは、なんて呼べばいい? 本名を名乗るのが不味いんなら、偽名や通り名でもかまわねぇぞ」


 綺麗な薄荷色をきらめかせ、狐っこはダズリーを見つめる。桃色の可愛らしい唇を躊躇ためらうように二、三度開いて閉じ、やがて意を決したように、そっと息に乗せて囁いた。


「名前、は、氷菜ひな。と、おもう」

「ヒナ?」

「ん、ひ、な、だけど」

「悪ィ、発音がちょっと違うんだろうが、正確には無理だ」


 名前を発音する時だけわずかに息遣いが変わるのを、ダズリーは聞き逃したりはしなかった。しかし、和国語を知らない彼に原語通りの発声はできそうにない。

 両手を合わせて謝罪の意を示せば、少女――ヒナは素直に頷いた。俯き、口の中で音を転がすようにしていたが、やがて顔を上げダズリーをまっすぐ見つめて。


「ダズ、ヒナを、よろしく……です」


 不安を映しつつも真摯しんしな瞳と共通語コモンの発音に寄せた短縮呼びが一気に距離を縮めた錯覚を起こさせて、不覚にも心がぐらりと傾ぐ。

 砦リーダーのことは怖がる少女が、やさぐれ無精髭である自分に対しては信頼を寄せてくれた……という状況が、枯れ果てていた自尊心に水を注いだのだろうか。胸の奥にふつふつと、温かな何かが満ちてゆくように思えた。


「おう、任せておけ。……って言っても、俺は料理をするくらいしか能がないんだけどな」

「りょうりっ、ごはん!」


 照れ隠しによる中途半端な卑下は、逆効果だった。空腹の子供にとってご飯を作ってくれる大人というのは、他のどんな才能持ちより魅力的に映るのかもしれない。

 瞳に期待をたたえて見つめる子供に大人の心がかなうはずもなく。ダズリーは努めて冷静を装いながら立ち上がる。


「よし、腹減り娘のために何か作るか。ヒナはまだ、こっちの料理はわからねぇだろうしなぁ。食べられない物や苦手な物はあるのか?」

「わかんない!」


 たいそう元気に、何の参考にもならない答えを返されて、ダズリーは苦笑した。どの道、砦の限られた食材をやりくりしつつ作ることにはなるのだが。

 彼は、和国の文化を知らない。少女が喜ぶ『ごはん』がどんなものか、皆目見当もつかない。ならばまずは得意料理を振る舞うのが順当だろうか。

 少女がいつまでこの砦にいられるかも今のところ全く未知数だったが、思いもよらぬ異文化交流の機会を得て、久しぶりに気分が高揚こうようする料理人なのだった。



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