[1-3]さあ召し上がれ


「ふぁっ!?」


 驚きのあまり変な声をあげて、くわえていた火のついていない葉巻シガーを取り落とすダズリーと、彼の声に驚いて尻尾の毛を逆立てる狐娘。

 リーファスは二人を交互に見てから、なだめるように少女へ笑いかけた。青年医師があまり動揺していないので、ダズリーもすぐに冷静さを取り戻す。


 魔族といえば、大陸に戦乱をもたらしている危険な種族だ。彼らは美しい容姿と先が尖った耳が特徴で、魔法の能力に長けた者が多い。また人の姿とは別に魔獣や妖魔へ姿を変えることができ、他の種族をらって自身の魔力や生命力を強化できるという、恐ろしい特性を持つ。

 獣系の魔族であっても人の姿の時に耳や尻尾が残ることはないので、ダズリーは少女が獣人族である、と判断したのだったが。


「彼女はたぶん、妖狐ようこの部族じゃないかな。子供だし、目も正常だから危険はなさそうだけど、すごく警戒しているから、どこかから逃げ出してきたのかもねぇ」


 人に働く精霊力を見ることができるリーファスは、話している内に気づいたのだろう。人喰いを犯した魔族は目に狂気が宿ると言われる。薄荷はっか色の目は美しく澄みきっていて狂気性などないように見えたが、その感覚は正しかったようだ。

 世界が戦乱に覆われているのは、魔族たちの横暴によるところが大きい。卓越した魔法能力と魔獣や妖魔に姿を変えられる特性によって、魔族の国家は他種族をしいたげている。剣の民とも呼ばれる人間たちは国家として、個人として、剣を携え戦うことを選んだ。ダグラ森の砦もその目的で置かれた拠点の一つなのである。


 砦に集う者らの事情は様々だ。ダズリーにとって魔族は家族を奪った仇だが、腹を空かせた子供にその鬱憤うっぷんをぶつけるようなことはできない。リーファスも魔族によって虐待を受けた身の上だが、だからといって復讐心を燃やすような気質ではなかった。

 とはいえ、中には魔族を激しく憎む者も、恐怖心を抱く者もいるのだ。獣人の子供であれば一時的にでも保護することは可能だろうが、魔族の子供をどうするかについて個人の一存で決めることはできない。


「事情、聞きだせねぇのか?」

「会話能力に難あり、と見た。母語が違うのかも」


 大陸に住む者であればほとんどが大陸共通語コモンを話せるが、少女は和国出身である可能性が高い。妖狐の魔族は大陸では珍しく、ほとんどが和国出身なのだ。かの国は戦乱が起き始めた頃からずっと鎖国をしていたため、魔族と他の種族が平和に仲良く暮らす数少ない地域となっている。大陸とは言語も文化も異なるそうだ。

 この少女は片言でなら話せるようなので、時間をかければ事情を聞き出せるかもしれないが――。


「お腹を空かせてるみたいだし、まずは何か食べさせてあげないと」

「だな」


 人間でいえば十代半ばといったところだろうか。手足もほっそりしていて腹も薄く、この戦乱を一人で生き抜けるとは思えない。しかし、先ほど見せた構えは和国の者が時折り見せる二刀流の型で、戦い慣れていることを示していた。

 必要に迫られたのか、誰かに教え込まれたのか。どちらにしても、穏やかでない幼少期を送ってきたのだろうと推測される。


 止めていた手を再び動かし、ダズリーは耐熱の器を取って切り分けた火焔菜ビーツを並べ、塩とオリーブ油を振りかけた。しっかり蓋を閉めてからオーブンを開き、火蜥蜴ひとかげを呼び出す。

 このオーブンは火力調整に魔道具が使われていて、なぜか炎の下位精霊である火蜥蜴が住み着いている。ダズリー自身に炎魔法の心得があるからなのか、魔道具に使われた炎魔石の質が良いからなのか、真相は不明だが便利なのである。

 蒸し時間は火蜥蜴に任せ一息ついたダズリーは、手近な椅子に腰掛けて先ほど引っ掻かれた腕をリーファスに見せた。


「見つけたときは両手に刃物持ってて、いきなり襲ってきやがってさ。二刀遣いってことは、暗殺狙いの可能性もあるんじゃねぇ?」

「どうだろう、俺はその線は薄いと思うけどね。見たところ武器を失くしてるみたいだし、びっくりしただけじゃないかな」

「いや、持ってたって、刃物」

変化へんげで持ってるように見せかけただけだと思うよ」


 聞き慣れぬ言葉に首を傾げたダズリーに、リーファスが説明する。変化へんげとは妖狐の魔族が持つ特殊能力だが、その再現性は個々の才能と熟練度に左右される。要するに得意不得意があるということだ。

 先程のケースでは幻覚によって刃物があると見せかけただけで、実際には徒手だったということだろう。


「ああ、だから引っ掻き傷だったのか」


 ダズリーが視線を向ければ、少女もこちらの様子をうかがっていたらしい。一瞬目が合うも、すぐ視線を逸らされた。

 会話に耳を傾けているところを見ればある程度は理解できているのだろう。皿の上の煮豆は綺麗になくなっており、おそらくダズリーが何かを作っているのも察して待っている。つまり、やましい事情はないのだ。

 獣人族ではないというが、その動きは野生動物に似ている。じろじろ見ると怖がらせるかもしれないと思い、ダズリーは席を立って調理場の片付けをすることにした。リーファスが時おり笑顔を向けつつ様子を見ているので、任せても大丈夫だろうとの判断だ。


 半刻ほど待つと、オーブンから機嫌の良さそうな歌が聞こえてくる。火蜥蜴たちが蒸し上がりを知らせてくれているのだ。

 洗い物の手を止め、ミトンをはめてオーブンを開ければ、火蜥蜴が三匹連なって飛び出してきた。感心したようにリーファスが言う。


「ダズの二刀流も面白いよね」

「俺は両手で刃物は使えねぇぞ」

「いやさ、魔法と料理っていう」

「そんなの二刀流とは言わねぇだろ」


 普段は、厨房と医務室という違う領域を担当する非戦闘員同士である。同じ砦にいても、リーファスがダズリーの料理する姿を見ることはほとんどない。彼の目には、精霊が料理を手伝う光景が興味深く映ったのだろう。ダズリーにとっては十何年も続けてきた日常なので、特別感はないのだが。

 オーブンから取り出した耐熱容器の蓋を取ると湯気がもわっと上がり、ほんのり甘くあたたかな匂いが広がった。獣人らしく鼻のよい、そして野菜が好きなリーファスは匂いだけでうっとりとしている。どうやら彼も試食に加わるつもりのようだ。

 少女のために二切れを、リーファスには一切れを小皿に取り分けて、さじと一緒にそれぞれの前へ出す。薄荷色の両目を輝かせ、少女はダズリーを見上げた。青銀の大きな尻尾がゆらゆらと落ち着きなく揺れる。


「さ、召し上がれ」

「おはし、は?」


 促さないと遠慮するかと思いきや、少女が待っていたのは別の何かだったらしい。何のことかわからずダズリーは困惑して首を傾げた。


「おはし?」

「ん。二本、の」

「刀の話か……?」


 噛み合っていないという自覚はあるが、他に思いつくものもなかった。外れた返答をするダズリーを見つめて少女は押し黙る。

 今までも誰かと同じやり取りがあったのかもしれない。狐の少女はそれ以上食い下がることなく、匙をとって小皿の火焔菜ビーツにおずおずと手を伸ばした。小さな子供がするように拳で握り込み、匙の先端で丁寧に身を崩してからそっと口へ運ぶ。

 料理人を自負するだけあって食材の扱い方には自信があるダズリーも、全く文化が違うであろう和国の少女に美味しいと言ってもらえるかは予想できない。柄にもなく緊張する彼の前で、少女は小さな口をもぐもぐ動かし咀嚼そしゃくしてから、こくりと飲み下した。はうっと小さく息を漏らし、固唾を飲んで見守っていたダズリーを見あげ、満面の笑みをこぼす。


「あまい! おいしい!」

「そ、そうか……良かったよ」


 やさぐれていようと、料理人の心は料理への賛辞に無防備だ。

 少女の笑顔に心臓が跳ね、視線を奪われたのは、彼女が自分の料理で警戒を解き目を輝かせてくれたことにほっこりしただけ、だろう。やせっぽちで年端もいかない娘にときめくだなんて、あり得ないことだ。

 それなのに、彼女が慣れない匙を使って火焔菜ビーツの皮をよけ、身を掬って夢中で食べる姿から、目を離せない。

 あどけなさが残るものの目はつり気味で、銀の毛先に縁取られた頰やうなじは抜けるような色白だ。氷片を思わせるはかなさと美しさに、胸の奥がさっきからずっとざわざわしている。


「……ダズ、聞いてる?」

「おわっ、驚かせんじゃねぇよリーフ!」

「さっきから話しかけてたじゃないか。これ、かぶに似てるけど食感はいもっぽいねって」


 不意に肩を叩かれ文字通り飛びあがったダズリーが、照れ隠しに大声を出しても、狐っ娘はもう怖がる素振りは見せなかった。ちらとこちらを見ただけで、残り少なくなった火焔菜ビーツの欠片を匙で丁寧に掬い取っている。

 夕飯前のおやつとしてはちょうどいい量だろうが、現時点では彼女に夕飯を振舞って良いものかどうかも、定かではないのだ。


「ミルクセーキでも作ってやるか」

「夕飯前なのに大盤振る舞いだね、……て、ああそうか。まずは、我らがリーダーに意見を仰がないと、ね」


 リーファスも気づいたのだろう。薄青い双眸そうぼうをすっと細め、声を低めて応じる。

 ここは革命軍の砦であり、集う者らは一様に明日をもしれぬ運命に立ち向かって行く。それは戦士も料理人も医者もみな変わらない。我が身の明日さえ覚束ない状況で見知らぬ子供を庇護ひごできるのか、ダズリーもリーファスも判断を下せる立場にはなかった。


 それでも空腹の子供に甘くて温かな飲み物を供するくらい、とがめられはしないだろう――と。

 ダズリーは自分の心に言い聞かせ、棚の片手鍋に手を伸ばすのだった。


 


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