[1-2]火焔菜の蒸し焼き


 時刻は昼下がり。昼食はあらかた済んでおり、配膳班の者たちも役目を終えて引きあげた頃合いだ。夕飯の仕込みをするにはまだ早い。

 腕の中でへにゃりとしている狐獣人の子供――見た目ではわからなかったが、どうやら少女らしい――を抱えてダズリーは考える。何か食べさせるにしても準備は必要だ。彼自身は子供に好かれる顔ではない自覚があるので、誰かに協力を願いたかった。

 こういう場合はやはり、気遣いのできそうな大人の女性か、優しげな風貌のお兄さんがいいだろう。砦住まいの面子に前者はいないが、後者なら心当たりがある。


「リーフ、手が空いてたら厨房ちゅうぼうに来てくれ」


 一旦いったん三階へ立ち寄り、医務室に声をかける。砦の専属医はリーファスという名の獣人で、人柄もよく風貌も優しげな青年だ。目つきが悪く無精髭の浮いたやさぐれ三十路みそじ男よりよほど話しやすいだろう、という計らいである。

 了解、という応答を確認してから一階へ降り、厨房へ戻って隅の椅子に少女を乗せる。ソファのように横たわれるわけではないが、大きくしっかりした座りやすい椅子だ、転がり落ちることはないだろう。

 もはや動く気力もないらしく、少女は薄荷はっか色の目に強い警戒を映してダズリーの一挙一動を観察している。


「そんな警戒しなくても、何もしねぇよ。ほら、これで顔拭け」

「なに」

「タオルだよ。おまえさん、顔が泥だらけだぜ」


 湯に浸して絞ったタオルを差し出せば、引ったくる勢いで少女はそれを受け取り、やはり警戒の目を向けつつも顔を拭き始めた。畑で行き倒れるまでだいぶ森を彷徨さまよったのか、汚れているのは顔だけではなかったが、着替えさせるにしても風呂を貸すにしても何か食べさせてからだろう。

 先ほど抱え上げた時に女の子だと気づいたわけだが、一見してでは確証が持てないほどに少女は痩せていた。明らかに異邦いほう人でありながら、親などの連れを探そうとしないのも気になるところだ。だが、怯えている子供をあれこれ問い詰めるのは気が引ける。


 事情聴取は医者に任せて、何か温かいものでも作ってやろう、とダズリーは行動方針を決めた。喉も乾いているかとグラスに水を入れて差し出してみたが、警戒の目を向けられるだけで受け取ってもらえなかったので、仕方なくテーブルに置いておく。

 水だけでは空腹感も癒されないだろうと、作り置きの煮豆も皿にひとさじ取って一緒に置いた。少女はちらちらと観察しているが、やはり手を出そうとはしない。


「ダズ、何か用が……、え? 誰、この子」


 そこへちょうどいいタイミングでリーファスが現れた。途端に狐少女の尻尾がぶわっと膨らみ、目元が鋭くなる。医師青年のほうも見慣れぬ子供の存在に驚いたのだろう、若干引き気味で少女とダズリーを見比べている。


「畑で腹減らして行き倒れてたんだ。どこの誰かは俺も知らねぇ。俺が迫ったら怖がらせるだろうから、聞き出してくれよリーフ」

「また無茶振りを」


 一瞬笑顔をひきつらせたものの、ダズリーが野菜籠から火焔菜ビーツを取り出したのを見て何をするつもりか察したのだろう。リーファスは少女の前に椅子を移動させ、人一人分ほどの距離を保ったまま微笑みかけた。

 獣人族の中でも珍しい一角獣の部族だという彼は、木の葉に似た水色の獣耳と、額から突き出た宝石細工のような一本角を持っている。学び培った医療技術のほか、治癒に関わる天性の特殊能力があるのだという。

 魔法職ではないが精霊や魔法についても詳しくて、人当たりも良く聞き上手でもある。同じ獣人でもあるのだし、彼になら心を開くだろうとダズリーは安易に考えたのだが、少女の薄荷はっか色の両目には鋭い警戒が浮かんだままで、リーファスが話しかけても名前を尋ねても押し黙ったままだった。


 彼で無理ならダズリーの出る幕はない。何とか話を聞き出そうと距離をはかるリーファスを横目に見つつ、下準備に取り掛かる。火焔菜ビーツは丸い形と鮮やかな赤紫色をした根菜だ。寒冷地域でもよく育つ貴重な作物で栄養価も高く、温かい料理と相性が良い。

 まずは茎と根の先端を切り落とし、丁寧に水洗いする。生でも食べられる野菜だが、丸かじりするには固過ぎるし土臭さが気になるという話だ。薄くスライスしてサラダにすればいいらしいが、倒れるほど空腹な子供には温かいものを食べさせてやりたい、と思う。


 火を通すと柔らかくなって甘みが増すので、原産地ではシチューの具材として好まれているらしいが、今回はシンプルな蒸し焼きを試すことにした。丸ごと蒸すと時間がかかるので、料理用ナイフで四つに切り分ける。カタリという音につられて見れば、リーファスが席を立って側にやってくるところだった。

 狐少女はいつの間にかテーブル前の椅子へ移動し、今は煮豆を一粒つずつさじですくって食べている。これなら今から作るものも食べてくれそうだ、と安堵したところで袖を引かれた。リーファスが小声で囁いてくる。


「ねえ、ダズ。この子、もしかしなくても獣人じゃないよ」

「その耳と尻尾がアクセサリーだって?」


 予想外のに眉をひそめつつ、ダズリーも声を低めて尋ね返す。

 都会なら若い女子の間でそういうお洒落が流行るのかもしれないが、感情のままあれほど動く尻尾が作り物とは思えない。軽かったが重みを感じた、つまり質量があるということは、森にまう精霊でもない。

 リーファスは困惑したように眉を下げ、木の葉に似た耳をぱたりと動かした。


「そういうことじゃなく。……大きな声では言えないんだけど」


 意図を察し耳を貸せば、ため息一つ。ぬるい息が耳朶じだをかすめ、医師青年が囁くように告げた言葉は衝撃的なものだった。


「ダズ、あの子は――魔族だよ」



 ※近況ノートにキャライラスト(デフォルメ)あります。

 https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330650290887028

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る