[4-3]大切なひとと


 オーブンから機嫌の良い歌声が聞こえてくるまでは、半刻も掛からなかった。翼娘たちに任せておいても良かったのだが、火傷を心配したダズリーは仕込みを中断し、ざっと手を洗ってからミトンを取る。

 彼の動きを見てフェリアとミスティアも状況を察したのだろう、二人同時に椅子から立ち上がった。


「できたの!?」

「おぅ。まだ熱いから下がってろよ」


 駆け寄ってきた二人がダズリーに言われて素直に三歩ほど下がる。オーブンを開ければトレイ両端に火蜥蜴ひとかげが乗っており、真ん中には半分に割られた焼き林檎りんごが六つ、綺麗に焼きあがってつやめいていた。右と左の背後から、ほぅっと感嘆のため息が聞こえる。

 熱をはらんでふわりと広がるバターの香りと、林檎の甘酸っぱい匂い。取り出そうとしたダズリーはふと気づき、後ろの二人を振り返って尋ねた。


「これ、誰に食わせるんだ? 出すと冷めちまうから、先にそいつら呼んでこいよ」


 うっとりと夢みる表情だった二人が、我に返って顔を見合わせた。ダズリーがオーブンの戸を閉めれば、魔法が解けたかのようにそれぞれの翼がぶわっと広がる。


「わたし、シャイルに食べてもらいたくて。捜してくるわ」

「ぼくは兄さんと、……その、ヴェルクは甘いもの食べてくれるかな?」

「フェリアの焼き林檎レシピはクリームチーズで甘みが抑えられてるし、ヴェルクもいけるだろうさ。皿とさじを用意しててやるから、行ってこい」


 二人分の「ありがとう」が綺麗に揃う。すずめのごとき勢いで二人が飛び出していったあと、ヒナが椅子から降りて寄ってきた。ちょうどいい大きさの深皿を六つ並べるダズリーの側まで来て、オーブンのほうを覗き込む。

 薄荷はっか色の目はいつものようにきらめいていて、太い尻尾がゆらゆらと揺れていた。シャイル、ローウェル、ヴェルク、そしてミスティアとフェリア。残る一つを自分がもらえるのではないかと期待しているのだろう。


「ヒナは、何か飲むか?」

「ミルクセーキ」

「甘いのに甘いのは……ちょっとキツイと思うぞ」

「むぅ」


 初日に作ってやって以来、ヒナはミルクセーキがお気に入りだ。何かにつけて欲しがるのだが、焼き林檎に合わせる飲み物としては甘すぎるので、代わりにミルクティーをれてやることにする。

 皿と匙を用意し、小鍋にミルクを入れて焜炉こんろにかけたところで、軽い足音が駆け戻ってきた。翼の姉妹が帰ってきたようだ。再びミトンをはめてオーブンを開け、火蜥蜴を呼び出してミルクの温めを任せる。


「ダズ、シャイルはすぐに来るって」

「兄さんとヴェルクも休憩にするって言ってた! なるはやでって伝えてきたよ!」

「なるはやが好きだな、おまえさん……」


 石造りの外観に似つかわしく浮いた話もなかった砦だが、やはり吹き荒れていたのは春の嵐だったか。手作り菓子を振る舞ってもらえるなんて幸せな男どもだ、――そう思いかけたところで、ダズリーは自分の考えに首を傾げる。

 ふと向けた視線の先で、ヒナの目がこちらを向いた。その薄荷色を見て、思う。別に、貰う側ばかりが幸せということはないのだ。最近は以前より料理が楽しいと思えるようになったし、翼娘たちも焼き林檎を作っている時は本当に楽しそうだった。

 世界が戦乱にあろうと、ここが革命のために組織された場であろうと、手料理を食べて欲しいと思える相手がいるのは幸せなことだ。ダズリー自身、自分で思う以上に幸せを感じていたのだと気づく。


 なるはやの要望にこたえるため、オーブンからトレイを出して調理台に置くと、待ってましたとばかりに翼娘たちが飛んできた。盛り付けは好きにさせようと思い、ダズリーはヒナを連れてテーブルへと戻る。翼娘たちは慣れた手つきで、綺麗に焼き上がった六つをそれぞれ皿に乗せ、クリームチーズを添えてゆく。

 盛り付けの可愛らしさにこだわるところは乙女らしいなと思いながら眺めていれば、木製トレイに皿を二つ乗せたミスティアがこちらへやってきた。


「これ、ヒナとダズのぶんだよ!」

「ん? 俺が食ったら一つ足りねぇだろ」

「ぼくはいいの」


 さわやかに微笑むミスティアの背後で、フェリアがわずかに表情を曇らせている。妹翼っ娘としては、大好きな姉に自分の得意料理を食べてもらいたいはずだ。どうしたものかとヒナを見れば、狐の少女も何か言いたげにダズリーを見ていた。

 気遣わしげなその瞳に映る思いはおそらく、同じなのではないだろうか。


「夕飯にスライス焼き林檎作るつもりだし、その味見もあるから、俺とヒナのぶんは一つでいいぜ。二人でわけて食うからな」

「えっ、でも、ヒナは?」

「はんぶんこするよ」


 狐の少女はにこっと微笑んで話を合わせてくれた。だからダズリーもトレイから皿を一つ取り、ミスティアへ返してにやりと笑いかける。


「おまえが食わねぇで見てたら、ヴェルクが遠慮するだろ。料理は作ることが目的じゃねぇんだ。作ったものを一緒に食べるから、お互い楽しいんじゃねぇか」



  ***



 行き倒れから砦入りすることになったシャイルは、顔の綺麗な細身の若者だ。深紅しんくの髪は顔の輪郭りんかくに沿うよう切り揃えられ、若者らしく洒落しゃれた服を好んで着ている。薄灰の目は一見すると冷たい印象を受けがちだが、他人に向ける眼差しはいつでも誠実なものだった。発見した時からフェリアはやたらと彼に構いたがっていたが、彼のほうもフェリアに好意を持っているのは明白だ。今も焼き林檎を挟んで二人向かい合い、談笑しながら食べている。

 フェリアは砦の面子から愛され可愛がられているので、魔族であるシャイルと仲を深めることについては否定的な意見も多い……というか単純にひがみを向けられやすい。けれど、結婚歴のある三十五歳のやさぐれ男から言わせれば、物腰やわらかで都会的なシャイルと臆病だが思いやり深いフェリアは、お似合いではないかと思う。


 一方、戦乙女ことミスティアが想いを寄せているのは砦リーダーのヴェルクらしい。ルエル村の奪還戦で共闘したのか、あるいはヴェルクが彼女を救ったのか。詳しい話を知らないダズリーでも、二人の間に何か特別な空気感があることは察することができた。

 一緒に呼ばれたものの場違いを察したのか、ミスティアの兄ローウェルは厨房のテーブルでヒナと一緒に焼き林檎を食べている。癖のない藍色の長髪と薄藍の大きな翼を持つ、落ち着いた雰囲気の翼族だ。上背はそこそこあるものの、長髪に中性的な容貌が相まってミスティアと並ぶと姉妹に見える。一緒に砦へ来るほどだから兄妹仲は良いのだろう。

 普段から髪も衣服もお洒落に纏めている妹と違い、彼はいつも地味な長衣を来ていて衣服のバリエーションも少ない。が、リーファスといいローウェルといい、優男は何を着ていてもさまになるのだった。


「残念だったな、妹と一緒に食べられなくて」


 彼の妹への溺愛ぶりは初日から砦全体に知れ渡るほどで、妹以外は男にも女にも関心がないように思われる。女性っぽいわけではないのに、男らしさを感じない。なのでヒナと一緒にいてもあまり心がもやもやせずに済む。

 ローウェルはふふっと笑って、厨房と食堂をつなぐカウンターの窓に視線を向けた。


「いいんだ。村を奪われて以来ずっと沈んでいたミスティアが、砦に来て元気を取り戻してくれたからね」

「そうだったのか」


 この兄妹はなぜ砦入りを決めたのだろう。ミスティアがヴェルクにれ込んで追いかけてきた――という話であれば微笑ましい限りだが、そうではないだろう。

 今はまだ聞きだせる親しさではないが、いずれはそういう話もできるだろうか。


 ここに集う者たちは皆、大きな喪失を経験している。時間が記憶を希釈するとしても、過去は変わらず、心の虚無うろが塞がることもないのだから。支え合わねば、この戦乱を生き抜くことなどできない。

 想い人へ笑顔を向ける翼の少女たちと、目を細めて妹を見つめる青年を眺めてから、やさぐれ料理人は黙々と焼き林檎を食している狐の少女に視線を向けた。胸の奥に広がってゆく温かさに思考を任せ、この時だけ敬虔なふりをして、ささやかな祈りを胸に落とす。


 それぞれ新しく出会った大切なひととの時間が、幸せなものでありますように――と。




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