[10-3]いつか、一緒に故郷へ


 和国は元々、龍がまもる島と呼ばれていたらしい。いにしえより存在する強力な結界によって島全体が護られており、入島できる手段は限られている。今でこそ造船技術と航海技術が向上し容易に海を越えられるようになったが、それ以前の和国は伝説上の島だと思われていたのだ。

 皮肉にも、海賊にさらわれ大陸へ連れてこられた和国民の存在によって、伝説ではなく実在する国家であることが周知されたのだという。


 戦乱の絶えぬ大陸では国家の興亡も激しく、和国と安定した国交を持つのは大陸にある人間の国家シャラールのみである。ガフティの故国であり、ミスティアとローウェルの同胞たちが移住した国だ。ガフティが和国の風習に詳しいのも頷ける。

 実際にはヒナのように海賊の手で大陸に連れてこられた者や、様々な理由で大陸に来たのち特定の国家に帰化した者の子孫などもおり、特に大陸では和国の文化圏コミュニティもだいぶ広がってはいるらしい。

 故郷を治めるミカドとやらを敬愛し、和国の料理に似せた品を作ってやれば目を輝かせ、ガフティと和国の風習について意気投合する。これほど故郷を愛している少女が、身寄りもなく同胞もいない異国の地で言語を学び、こちらに馴染もうとしているのだ。その心にあるのは、もはや故郷へ戻る手立てなどないという諦念ていねんではないのか。

 少なくともここを出てシャラール国へゆけば、渡島の手段も皆無ではなくなる。要するに金銭上の壁が立ちはだかるわけだが、幸いにも砦にいるガフティはシャラール国で名のある人物だ。仕事さえ斡旋あっせんしてもらえれば、資金を貯めるぐらい――。


 無心に串肉を焼きながらつらつらと思考を巡らせば、眼裏まなうらにガフティと笑い合うヒナの姿がよみがえった。ヒナが彼のことを好いていてガフティのほうも満更ではないのなら、話はもっと早い。ガフティにヒナを託し、和国へ連れて行ってもらえばいいのだ。

 名案を思いついたとの自覚とは裏腹に、胸の奥が切なくきしむ。気づけばここしばらくは、寝ても覚めても狐っこのことばかり考えていたように思う。部屋が同じで寝ても覚めても一緒にいるのだから、当然と言えば当然なのだが。

 今さら彼女のいない日常に戻ったとして、どう生きていけばいいのだろう。そう思う反面で、仕事に追われる日々に心はすぐ順応するのだとも、経験から知っている。


『自分のココロを押しつぶすのは、オトナの悪い癖デスね』

「おぅあ!?」


 不意に耳の奥へささやかれた声に驚き、変な声が出た。若者三人が一斉にこちらを見、それぞれに目をみはる。ヒナがダズリーの側へ駆け寄ってきて、ミスティアは翼を浮かせ弾んだ声を上げた。


炎翼鳥えんよくちょうさん、いらっしゃい!」

『わたくし、呼ばれて飛び出す恋の鳥でございマス。皆さまごきげんよう。熱く恋心を燃やしておりマスか?』


 ヴェルクが胡散臭うさんくさいものでも見る目で鳥を眺めているが、ミスティアも自称も気にしていないようだ。いつの間に現れたのか、竈門かまど赤煉瓦あかれんがからミスティアの肩へ飛び、互いに翼を羽ばたかせ合って訪問を喜んでいる。

 中位精霊の声は鼓膜を通して伝わる肉声の場合と、意識に直接入ってくる場合がある。あの一言は明らかに、ダズリーのみへ届けられた言葉だった。ヒナの前で自分の心情を暴露ばくろされずに済んだことを安堵しつつ、ダズリーはそそくさと目を逸らす。隣に来ていたヒナが、心配そうな表情で覗き込んでくる。


「どしたの、ダズ。おねつあるですの?」

「ないないない、火蜥蜴ひとかげファイアーに当てられただけだ。俺のことは放っといていいから、あっちでもっと食ってこい」


 勘の良い少女に先程までの余計な思考を悟られたくなくて、ダズリーはぶっきら棒に言うと片手を振った。ヒナは薄荷はっか色の両目を瞬かせ、小首を傾げてしばらく黙っていたが、やがて表情をほころばせてはにかみ笑った。


「えへへ、ダズ、ありがとですの。なつかし、うれしい」

「お、……おぅ」


 いつもと変わらぬ無垢むくな笑顔。けれど今日の薄荷色にはどこか曖昧あいまいな感情が浮かんでいるように思えて、料理人の胸がせつなくうずく。彼女の笑顔に勝手な想いを重ねるのも、この日々を手放したくないと思ってしまうのも――三十路男の郷愁に過ぎないはずで。

 心を押し潰す、など。

 分不相応の想いを育ててどうするというのか。

 年齢ばかりか、種族が異なるゆえに寿命も大きく違ってくる。それだけでなく、この場所はいつ戦火に呑まれてもおかしくない隠れ家だ。若く美しい娘を非業の運命に巻き込むわけにはいかない。いや、巻き込まれて欲しくはないのだ。

 深く黙考していたせいで、ダズリーの顔はしかめっ面になっていたのだろう。狐少女の顔から微笑みが引き、揺れる薄荷色が気遣わしげに自分を見ていると気がつく。


「ダズ、ひとりでやかせて、ごめんなさい」

「んなっ……俺は料理人だぜ。おまえさんたちが嬉しそうに食ってる姿を見てるだけで、十分なんだよ」


 思いもよらぬ心配をされていたことに自分の至らなさを痛感させられつつ、笑顔を曇らせてしまった詫びにと焼き立ての一本を手渡した。表情は変わらぬものの、大きな狐耳がぴこんと動いたことにひっそり安堵する。

 食えよ、という言葉の代わりに口をついたのは「でも」という逆接だった。


「な、いつか一緒に本場のヤキトリを食いに行こうぜ」


 言ってしまった、という思い半分、言っておかねば、という意識が半分。心にしまい切れなかった一言がどんな葛藤を経てこぼれ落ちたかまでは、悟られることもあるまい。

 実現できるにしても、口約束で終わるとしても。

 自分はやはり、ヒナと一緒に和国へ行ってみたいと望んでいるのだ。


 少しの沈黙を揺らすのは、あぶられた肉が焼ける音と、若者たちが鳥を交えてはしゃぎ合う声。ひどく長く思えた一瞬も、実際にはヤキトリに焦げ目がつく程度の時間だ。

 少女は薄荷色の目を瞬かせてから、破顔一笑した。その眩しい笑顔に料理人は、彼女の内にある愛郷心の深さを思う。なぜか悪い気はしなかった。


 


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