第24話「旅の始まり」
「——主よ。均衡を取り成す者よ」
メリアさんの落ち着いた声が礼拝堂に響く。
香が焚かれ、祭壇には黄金の天秤が置かれている。
彼女は祭壇の前に跪き、指を組んで祈っていた。
「深き祈りの果て、長き修練の先、その円環に触れた敬虔なる臣僕を赦したまえ」
祭壇には、トーマスの身につけていた銀の指輪、アロンの首飾りが並べて置かれている。二人の身体は、祭壇のすぐ側に置かれた棺に収まっている。
トーマスは人間として生きて、人間として死んだ。アロンもまた、死した後は人として葬られる。その意味では、二人は同じだった。だから、メリアさんも二人を平等に扱い、平等に弔う。二つの魂を天秤に載せても、その水平は揺らがない。
「白き冠のエルテサよ、深き黄金の海へと彼らを導きたまえ」
メリアさんが指を解き、二つの棺に白い砂を振りかける。
僕はシェリーと共に長椅子に座って、静かに祈りを捧げていた。
天秤教の教えによれば、人が死した時、新たな人が生まれる。そうして、生死は揺れ動き、天秤は均衡を保つ。トーマスとアロンが死んだことで、新たな命がこの世のどこかで産声を上げている。
世界という巨大で途方もない円環を、僕たちはグルグルと巡っている。人も、獣も、風も、水も、土も、万物は流転し、離合と集散を繰り返す。それらが触れ合うことで、奇跡という光が放たれる。
「彼らは深き海の底で穏やかに眠る。その安寧を乱す者はおらぬ。その調和を崩す者はおらぬ。深き海の底で揺蕩い、大いなる女神と共に眠れ」
メリアさんの声が礼拝堂に響き渡る。
その時、背後の扉がゆっくりと開くかすかな音がした。僕が顔を上げると同時に、シェリーも背後を見る。そうして、薄く口元に笑みを浮かべた。
「あっ」
彼らを見て、僕も声を上げる。
帽子を胸に当てて、死を弔う姿で現れたのは、町の人たちだった。彼らは扉の隙間から身を滑り込ませ、足音を殺して長椅子に向かう。メリアさんも彼らの気配には気付いているはずだが、淀みなく祈りの声が続けられる。
長椅子が埋まり、壁際に立つ人も現れる。町中の人が礼拝堂に押しかけていた。
彼らは皆、黙り、指を絡め、祈りを捧げている。静謐な空気に、かすかな息遣いだけが聞こえる。
絶えず導いてくれた二人の聖職者のことを、彼らは忘れていなかった。町の中心にあるこの教会で、彼らがどんなことをやっていたのか、彼らは知っていた。司祭のアロンもまた、聖職者だった。
「紅眼のギュプスよ、その猛き炎で彼らの戒めを解きたまえ」
メリアさんが赤く透き通った石を強く叩く。そこから飛び出した火花が二つの棺に落ち、瞬く間に燃え上がる。しかし、それは棺だけを包み込み、周囲に広がる様子は見えない。また、その炎は激しく立ち上がるが、熱は感じない。
強い花の芳香を広げる火炎に包まれ、棺が燃え崩れる。その中に収まっていた二人の遺体もまた、白い灰となる。炎はそれすら燃やし尽くす。だんだんと小さくなり、やがて消えた炎の下には、透き通った結晶が二つ残っていた。
メリアさんはそれを拾い、それぞれを小さな袋の中に収める。袋を祭壇に並べ、祈りを捧げる。
「六柱の使徒よ、彼らを守りたまえ。彼らを祝いたまえ。彼らを迎えたまえ」
嗚咽が聞こえる中、メリアさんは最後まで務めを果たしきった。彼女の祈りを受けて、二人の魂は深き海の底へと向かうことだろう。この世に遺された小さな結晶だけが、彼らの存在の証明だ。
メリアさんは袋を持ち、教会の中庭にある墓へと向かう。教会の聖職者たちの墓が並ぶその片隅に、僕が掘った二つの穴がある。彼女はそこに袋を寝かせ、丁寧に土を被せた。
これにて、二人の葬儀が終わる。
人間として生き、人間として死んだ二人の標だけが、ここに残る。
「ありがとうございました」
儀式を終わらせて、メリアさんが僕達のもとへやってくる。疲労が滲む顔だったけれど、すっきりと晴れやかでもある。
「この後はどうするんだ?」
シェリーが尋ねると、メリアさんは救護院の方へ目を向ける。
「残った修道士を介抱します。それと、大神殿からの調査に協力する準備も」
「弔った後なのに、忙しいな」
「二人も喪った後ですからね。動ける者は私しかいませんし、やらねばならないことは減りません」
大変ですよ、とメリアさんが笑う。彼女も人であり、人である限り、働かねばならない。
それに、司祭のアロンが死に、他の修道士にも大神殿の審判が待たれる今の状況では、メリアさんが暫定的にこの教会の責任者となる。このままことが運べば、繰り上がりで正式な司祭となる可能性もあると、シェリーは言っていた。
「お二人にはご迷惑をおかけしました。その鎖も、私には外すことができません」
メリアさんは、僕の首とシェリーの手にある鉄輪を見て申し訳なさそうに眉を下げる。
「別に気にしてねぇよ。聖印も貰ったしな」
シェリーは胸に付けた新しい聖印に触れて言う。メリアさんは、僕たちのためにさまざまな事をしてくれた。旅に必要な食糧や各種許可証を揃えてくれたし、シェリーの聖印も用意してくれた。彼女のおかげで、僕は自称ではなく正式にシェリーの従者ということになったし、感謝してもしきれない。
「お二人はもう、すぐに発たれるのですか?」
メリアさんが尋ねる。その言葉の裏にあるものを察せないほど、シェリーも鈍感ではないはずだけれど、彼女は頷いた。
「大神殿の奴らとはソリが合わなくてな。できれば顔を合わせたくない。そうでなくとも、やらなきゃならんことは増えたからな」
そう言って、シェリーは腕を持ち上げる。シャラリと鉄の鎖が音を立てる。
黒き鎖のパルマとの契約で、僕とシェリーは一蓮托生の身になった。物理的にも離れられなくなったため、色々と不便も覆い。それに、彼女の持つ黒鎌もずっと黙ってこそいるが、たくさんの神聖性を喰ったから力を増しているはずだ。僕もまた、狼血の力が強まっているのを感じる。
色々と混沌とした身の上だからこそ、早くあの聖遺物を見つけなければならない。
「お二人なら、きっと“
「そのつもりだよ」
メリアさんの激励に、シェリーは当たり前だと頷く。相変わらず、彼女の自信は揺らがない。メリアさんは笑い、僕に目を向ける。
「ウェルさんも、お気を付けて。聖遺物は黄金よりも貴く宝石よりも価値ある物です。それゆえに、様々な困難を呼び込む。きっと、生きてください」
「ありがとうございます。シェリーもいるし、僕ももっと強くなれるように努力します。いつか、次に会う時は見違えるほど立派に成長した姿をお見せしますよ」
そう言って胸を叩くと、メリアさんが肩を揺らす。
「それは頼もしいですね。——その時を楽しみにしています」
彼女と約束を交わす。神に祈るわけではない。僕と彼女とのつながりを結ぶ。
「さて、そろそろ行くか」
シェリーが鎌を背負い、頭陀袋を僕に押し付けてくる。早く出発しないと、夕暮れまでに次の村にたどり着けない。そのため、葬儀が終わればすぐに発つことになっていた。
「お元気で」
メリアさんが最後の言葉をかけてくる。僕とシェリーは振りかえり、頷く。
「またな」
「また会いましょう、メリアさん」
教会の門を越える。
街を抜ける。
町の門をくぐり、広大な野へ歩き出す。
「ウェル、聖遺物か呪物の匂いがしたらすぐに教えろよ」
「わ、わかったよ」
「役に立ったら骨でも買ってやるからな」
「僕、犬じゃないからね!?」
僕とシェリー。
狼血の聖遺物と、聖遺物狩りの旅が始まる。
銀月の聖遺物狩り〜故郷が燃やされたのでガサツなお姉さんと旅に出ました〜 ベニサンゴ @Redcoral
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