第23話「二人の鎖」
窓から差し込む光を瞼に受けて、僕は眠っていたことに気がついた。ゆっくりと目を開くと、眩しい光がとめどなく流れ込んでくる。驚いて身を捩ると、すぐそばで誰かが動いた気配がした。
「起きたか」
「シェリー……」
ベッドサイドに椅子を持ってきて座っていたのは、いつもと変わらないシェリーだった。側に黒鎌を立てかけて、表紙に大きな穴の開いた聖典を開いている。
「僕は——」
半身を起こして気がつく。僕の首に、固い黒鉄の輪が嵌められていた。
「とりあえず、なんか食え。神聖性もそうだが、体力を消耗してるだろ」
冷たい鉄を撫でていると、シェリーがそう言って立ち上がる。部屋のテーブルに置いてあった籠に、果物やハムやチーズが山盛りになっていた。それを見た途端、お腹が鳴き声を上げる。シェリーにもしっかり聞こえたようで、彼女はクツクツと笑った。
「ご、ごめん」
「いい。さっさと食べろ。食べたら、埋葬だ」
埋葬。その言葉で記憶が呼び覚まされる。礼拝堂での戦い。僕の暴走。
「フィノは」
「そこの鎌だよ。分かってないのか?」
シェリーが顎で黒鎌を示す。そこに封じられているという混沌の獣は、何かの意志を見せることもなかった。
「シェリー、それ」
鎌から視線を戻す途中で、シェリーの手首に気がつく。彼女の右手首に、僕の首にはまっているのと同じ黒い鉄の輪があった。
「あたしとテメェの契約の証だよ」
シェリーは籠からリンゴを取って、齧る。僕の腹の上に食べ物を載せて、自分は椅子に戻った。
「後先考えねぇバカな駄獣が唆したからな。あのままじゃあ、ウェルは神聖性を絞られて、ただのカスになるだけだった。だから、あたしと魂のレベルで同化して、奴の契約を盾にした」
「ごめん、僕のせいで……」
「いいさ。ウェルは最善を尽くした結果だ」
シェリーはそう言って僕の頭を撫でる。てっきり一発か二発殴られると思っていた僕は驚いて彼女をまじまじと見てしまう。その視線に気がついたシェリーが、むすっとした顔になる。
「なんだよ。なんか言いたいことでも?」
「そ、そうじゃなくて……。ありがとう」
そう言うと、彼女はまたポンポンと頭を撫でてくれた。
少し安心して、お腹が空いた。僕は籠の中を覗き込んで、ハムを手に取った。野菜や果物よりも、妙にこれが美味しそうに見えた。
「あむっ」
大きなハムにそのまま齧り付く。咀嚼もそこそこに飲み込むと、すぐに力が湧いてきた。違和感を覚えるほど、お肉が美味しい。
「狼血が強くなったみたいだな」
止まらない僕を見て、シェリーが言う。
「肉を好むようになるし、顎の力が強くなる。歯も尖ってるはずだ」
「確かに……」
「あとは、匂いに敏感になってるか?」
シェリーは聖典をペラペラと捲りながら尋ねてくる。試しにスンスンと鼻を動かしてみると、たしかに以前より香りをより鮮明に感じとれる気がした。
「シェリーからいい匂いがする」
「ばっ! 何言ってんだテメェ!」
思ったままのことを口に出すと、シェリーが顔を真っ赤にして立ち上がる。慌てて謝罪の姿勢をとるも、彼女は振り上げた拳をすとんと落とす。
「——多分、神聖性の匂いだな」
その言葉はすぐに納得できた。
以前から聖遺物からは花のような香りがしていたし、呪物からは腐った血のような臭いがあった。その割には、大鎌からは何も匂いがしないけれど。
「フィノは殻に閉じこもってれば、気配すら完全に消せる。それがまた厄介なんだが……。ともかく、その嗅覚は便利だな」
シェリーがにやりと笑って言う。
「聖遺物かどうか判断しやすい。聖遺物狩り垂涎の力だ」
「そ、そうかな……」
いまいち実感が湧かず、戸惑いながら籠の中のお肉を食べ尽くす。ベーコンや干し肉なんかもあって、とても美味しかった。唇についた脂まで舐めると、すっかり元気になってしまった。
「ちょっと、トイレに——」
「ちょっ!? 待て——!」
ベッドから飛び出し、寝所の裏にあるトイレに向かう。すると、突然シェリーが焦った顔で制止してくる。反応しきれず駆け出す僕の後ろで、シェリーが盛大に転ぶ音がした。
「シェリー!?」
「ぐっ。テメェ……」
「僕なんか悪いことした!?」
鼻の頭を赤くしたシェリーにギロリと睨まれる。慌てて両手を振ると、彼女は右腕を勢いよく引いた。
「座れ!」
「ぐわっ!?」
彼女の腕の動きに合わせて、僕は首から引っ張られる。バランスを崩して床に手をつく僕の頭を、彼女が踏みつけた。
「ぐえっ」
「あたしとテメェは一心同体だ。その意味が分かってないみてぇだな?」
「ええと……」
シェリーが右手首の腕輪のそばに左手を持ってくる。それは空中で何かを掴むような動きをして、掌に黒い鎖が現れた。
「これは……」
「パルマの鎖だ。テメェの首に繋がってるだろ」
言われて首もとを探る。何も触れられない。
首を傾げる僕に、シェリーは大きなため息をついて頭を振った。
「聖遺物は祈りが大事だって言っただろ。そこにあれと祈りながら触れば出てくる」
「はぁ……。——うわっ」
半信半疑でもう一度手を動かす。すると、今度はシャラリと黒い鎖が現れた。シェリーの手首に向かうそれは、確かに繋がっているらしい。
「普段は見えねぇが、しっかり繋がってる。大体5
「ええ……」
「契約の代償だ。仕方ねぇ」
つまり、僕は今後シェリーを中心に5mの範囲内でしか生活できないということらしい。鎖自体は非実体化している時は何かに引っかかるということがないのが温情といえば温情だろうか。
「そんなわけだからな。今後は慎重に動け」
「わ、分かりました」
シェリーには色々な迷惑をかけたけれど、これが最大の迷惑かもしれない。彼女も、僕と四六時中密着した生活は嫌だろう。
「やっぱり、早く“
「そう言うわけだ。今後は私の手先として、しっかり働くんだな」
シェリーは鎖のつながった右腕をひらひらと動かしながら、ニヤリと笑う。
「でも、トイレも一人で行けなくなるんだね」
「クソ面倒だが仕方ねぇ。ドアはちゃんと閉めろよ」
シェリーに言われ、分かってるよと返す。僕は彼女についてきてもらって、トイレに入った。
本当に、鎖がドアを貫通してくれてよかった。
「それで、シェリー。この後の埋葬っていうのは」
腹も満たし、ひと段落ついた。落ち着けば、後に何をやるべきか気になってくる。
シェリーは僕がしっかりと手を洗っているのを見届けてから口を開いた。
「司祭とトーマスの埋葬だ」
どうやら、司祭のアロンもあの後亡くなったらしい。シェリー曰く、すでに身体はほとんど死んでいて、聖遺物の神聖性でなんとか生きながらえていた状態だった。僕がフィノに唆されて彼の聖遺物を取ったことで死んだのかと落ち込んだけれど、彼女は僕の頭を優しく撫でてくれた。
「トーマスも埋葬するんだね」
「アイツは人間として死んだからな。人間として葬ってやる」
そして、トーマスも死んだ。彼は聖人としてではなく、ただの信心深い修道士として死ねたようだ。そのことに、少しだけ安堵する。彼は確かに、ツェーリアの眷属ではなく、ただのトーマスとしてそこにいたのだ。
「メリアがもう準備を整えて待ってる。礼拝堂に行くぞ」
「ぐえっ!? わ、分かったから、引っ張らないで」
シェリーがわざわざ鎖を引っ張って礼拝堂へ足を向ける。僕は転びそうになりながら慌てて彼女の背中を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます