第21話「人を殺す者」
ケタケタと笑いながらトーマスが走る。シェリーが大鎌を正面に構え、彼を切り裂いた。噴き出す血は白く燃え上がり、その傷は即座に癒える。溢れ出す神聖性は甘ったるい花の香りとなって、僕は思わず呻いてしまう。
「ウェルさん、大丈夫ですか?」
「は、はい。なんとか」
駆け寄ってきたメリアさんの肩を借り、邪魔にならない壁際まで下がる。シェリーとトーマスは長椅子を投げ合いながら、激しい戦闘を繰り広げていた。
「凄いことに……」
「本当です。とても、私たちにはついていけません」
二人は複雑に絡まり合いながら、互いを殺そうとしていた。僕どころか、メリアさんも手出しはできない。僕らはただ呆然と、二人の動きを見守ることしかできない。
「人が神を殺そうなど、烏滸がましい」
低く響く声がして、肩を跳ね上げる。振り向けば、床に座り壁に背中を預けた司祭がそこにいた。
「司祭——いえ、アロン」
「心配するな。もう、ワシには腕を上げるほどの力もない」
ナイフを抜くメリアさんに、司祭は力なく答える。その言葉どおり、彼は枯れ木のように痩せ細っていた。
「ワシはもう時期死ぬ。もはや、この教会にはガラクタしかないからのう」
「では静かに二人の戦いを見ていてください」
厳しいメリアさんの言葉に、アロンは素直に頷く。本当に、余裕は少しも残っていない様子だった。ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、シェリーとトーマスの激しい打ち合いを眺めている。
「シェリーは勝てますか?」
「勝ちますよ」
不安になって聞くと、メリアさんは即答した。驚く僕に、彼女は笑って言う。
「トーマスは神様ではありません。彼は人間です。人間なら、人間が殺せます」
「でも——」
「それに、シェリーさんには祈る人がいるでしょう?」
メリアさんの青い瞳が僕を見る。その澄んだ光を見て、はっとした。
「おらああっ!」
シェリーが鎌を振るっている。トーマスの首筋に刃が食い込み、白い炎が噴き出す。シェリーは腕が焼けるのも構わず、そのまま鎌を振り切った。
「アハハッ!」
トーマスの首が飛ぶ。それでも、彼は甲高い声で笑い続けていた。
「アハッ!」
首の断面から肉が盛り上がり、頭を捉える。背中が裂け、内側から蜘蛛のような細長い脚が飛び出した。
「ひっ」
異形となったトーマスを見て思わず悲鳴をあげる。そんな僕を、戦闘中のシェリーがちらりと一瞥した。
「この程度で泣いてんじゃねぇよ。神なんて大概、ふざけた格好してるもんだ」
シェリーが鎌を振る。蜘蛛の脚を断ち切り、トーマスの腕を裂く。それでも、彼の動きは止まらない。
「神々は神々であり、人間ではありません。人間と同じような姿をしているというのは、そちらの方が祈りやすいという人間の都合なのですよ」
メリアさんが言う。
「ツェーリアも、ユーゲンロウも、女神セラスも、その真の姿は見るだけで目が焼け爛れると言われています。トーマスのあの姿は、そのごく僅かな一端が垣間見えているだけ。とはいえ、それだけ神聖性が高まっている証左でもあります」
「それって、シェリーが危ないってこと?」
「元々、そういう戦いですよ」
思わず手を握る。シェリーに祈りを送る。僕はまだ、彼女がいなければ何もできない。
『ウェル、ウェル』
「うわっ!?」
突然、腰のナイフが震える。見れば、フィノの声が頭に流れ込んできた。
『まだ力が足りないわ。あの出来損ないを食い殺す牙が足りないの』
「ええっ!? そんな……」
『私に力を頂戴な。神の骸、そうであったもの』
彼女が唇を舐めたような気がした。僕は周囲を見渡し、壁にもたれかかるアロンを見つけた。彼の聖衣には聖遺物がいくつも吊り下がっている。
「あれでもいい?」
『ええ』
嬉しそうにフィノが言う。
シェリーはトーマスに圧倒されていた。彼女の傷が増えていく。
「ウェルさん!?」
メリアさんが悲鳴をあげる。僕は立ち上がり、アロンの方へとナイフの切っ先を向けた。
「——」
「すみませんっ!」
老爺の暗い目が僕を見る。僕はぎゅっとナイフを握りしめ、彼の首にかかった指の首飾りにナイフを突き刺した。
『んはっ!』
枯枝のような指からだくだくと血が流れだす。それは黒いナイフに吸い込まれ、消えていく。
「ウェル!」
シェリーが僕の名を叫ぶ。振り返ると、彼女が険しい目を向けていた。
「シェリー、これでシェリーが——」
「馬鹿なことするんじゃねぇ!」
「えっ?」
彼女のためを思って動いたのに、その本人に止めろと言われた。混乱で、動けなくなる。呆然と立ち尽くす僕の手から、黒いナイフが滑り落ちる。
『ご馳走様。とても美味しゅうございました』
「——っ!」
胸が熱くなり、視線を下げる。黒いナイフが、僕の胸に深々と突き刺さっていた。流れ出る血が、ナイフに染み込んでいく。
「ウェル!」
「ウェルさん!」
ふたりの声がする。
熱い炎が胸のうちで燃え上がる。僕は全身が膨張するような高揚感を覚えて、正常な判断力をなくしていた。白い炎を纏って蠢くトーマスが、とても美味しそうに見えた。そう思った次の瞬間には、僕は彼の脚に牙を立てていた。
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