第17話「聖遺物喰らい」

 念仏が何重にも絡まり合う。聖衣を着た修道士たちが火打ち石を弾くと、業火が蛇となって迫り来る。


「ふっ!」


 鎌を振るう。炎蛇の首が落ち、有り余る神聖性が修道士の至近距離で爆発となり、奴らを後方へ吹き飛ばす。


「クソッ! なんなんだアイツは! どうしてユシュールの業火が効かない!?」

「お口が悪いぜ、本当に聖職者か?」

「がはっ!?」


 鎌の柄で腹を突く。呑気に驚いていた修道士は、たったそれだけで力なく崩れ落ちる。神頼みは得意な割に、体を動かすのは苦手らしい。


「剣神ヨギュアよ、その怒りを仇敵に向けよ。迸る赤雷を以って獣を焼け!」

「ちっ!」


 響く祈りの声。その手に握るのは煌びやかな宝石で飾られた剣だ。その柄、そこに嵌め込まれた一段と輝く赤い眼のような宝玉。剣神ヨギュアの宝剣を飾る赤水晶。第三級聖遺物の光。


「我を守れ」


 迫る紅蓮の雷に、避ける暇などなかった。胸元の聖印に手を翳して祈る。半透明の球に包まれる。雷が球に阻まれ、わずかに減衰する。


「断ち切れ」


 雷を裂くように鎌を振るう。迸る神聖性ウェルトゥスを喰らい、呪いが歓喜に震えている。


「なんなんだ、あの女は!?」


 悲鳴の混じった声がする。

 どうやら、あたしは随分と見くびられていたらしい。当初やってきた修道士たちは、第四級聖遺物すら携えず、ただの短剣であたしを殺そうとしていた。応援にやってきた後続も、まるで戦い慣れていない。その割に、同業である聖職者を殺すことに迷う様子も見えない。


「この教会、随分と聖遺物が多いよな。それも、聖人の死体だ」


 礼拝堂の祭壇の前に立ち、睥睨する。修道士たちは手を祈りの形で保っているが、肩で息をしている。しばらくは攻撃も来ないだろう。


「ええ? 何人殺した?」


 問う。しかし、答えはない。彼らの目が僅かに揺れるのみだ。


「敬虔な信徒が祈りの果て殉教する。そうすりゃ、ソイツにも神聖性が宿る。簡単に聖遺物ができるわけだ」


 祈りは信仰の根幹だ。人が祈ることで、神は力を得る。祈祷によって、奇跡が齎される。長く深い祈りを捧げ続けた者は神に近づき、やがて死という区切りを経て神へと至る。


「これまでも、何人も旅の聖職者がこの教会を訪れたはずだ。だが、そいつらが帰った姿を見たって言う奴はいなかった」


 酒場には人が集まる。人の口からは、町の事が話される。

 テルトナの町はこの辺の教区の中心だ。近隣の村落からも多くの聖職者が巡礼のためやってくる。彼らは教会にある聖遺物を頼り、それに祈りを捧げるため、訪れる。そして、彼らが町の外へ出たという話は、ついぞ聞かなかった。


「なあ、お客さんはどこにいった?」

「——客などおらぬよ」


 闇の中から嗄れた声がする。ゆっくりと姿を表したのは、司祭のジジイだ。奴は首に、無数の乾いた指を連ねた趣味の悪い首飾りをかけている。


「神の家を訪れる信徒たちは、神の御力を欲していた。だから、儂らはその一助になろうとしただけじゃ」

「死にてぇ奴はいなかったと思うけどな」

「それはお主が決めることではない。死してなお神聖性を増す者は、みなそれを望んでおったのだ」


 司祭の腕が動く。その枯枝のような指が機敏に動き、祈りの形を組み上げる。


「黙祷っ!」


 首飾りに連なる指が一様に輝き、燦然と太陽のような光を放つ。その熱は波となって迫り、礼拝堂の中にいる他の修道士たち諸共私を燃やそうとする。


「ちっ! 容赦がないな!」

「皆、敬虔な信徒である。祈りの中での殉教は、救済じゃ」


 白髭を揺らし、耄碌したような事を言う司祭に舌打ちする。

 鎌を振るい、熱波を裂く。


「ほう」


 堀の深い老爺の眼窩の奥の目が僅かに揺れる。奴は両手を奇妙に動かし、意味のある形を作る。周囲に光球が浮かび、あたしに向けて放たれた。

 鎌を回し、全てを裂く。真っ二つになり左右に逸れた光弾は、礼拝堂の壁や修道士を燃やす。


「異端審問官よ、神の教えに背く者よ」

「うるせぇ。自己紹介かよ」


 遠距離では不利だと判断し、司祭の下へ駆ける。途中、修道士が割り込むが、蹴飛ばして飛び越える。


「混沌の呪物を聖域に持ち込むとは。邪教に染められたか」

「ちゃんと大聖女の許可を貰ってんだよ!」


 聖衣を裂く。しかし、そこに肉を切った手応えはなかった。脳裏で響く警鐘に従い、老爺の胸を蹴って飛び退く。奴の体が揺らぎ、聖衣が翻る。奥にあったのは虚だった。


「てめぇも大概だろ」

「我が躯は神の奇跡じゃよ」


 石灰色の骨が露わになっていた。その老人は死してなお動き続けていた。


「聖遺物喰らいか」


 鎌を握る手に力を込める。胸に引っかかっていた謎が一つ解けた。

 この教会は300を超える聖遺物が納められているにも拘らず、帯びている神聖性ウェルトゥスは極端に少なかった。町の範囲を守るため最低限のものしかなかった。

 その不可解な現象にも説明がつく。聖遺物の放つ神聖性を、このジジイが喰っていたわけだ。強烈な神聖性を浴び続け、生きたまま聖遺物と成り果てたものだ。底の抜けた水桶のように、終わりのない渇きを癒すため、聖遺物の神聖性を喰らい続ける。


「お主と儂のどちらが悪きものであるかは、神が判断なされる。主上こそ絶対の天秤なのだ」


 司祭が暗い肋骨の中から箱を取り出す。煌びやかに飾られたそれは、隙間から白い炎を吹き出していた。


「おお、今まさにツァーリア様が憤っておられる。聖域を踏み躙る邪なる者に!」


 蓋が開かれる。炎が吹き荒れ、礼拝堂を燃やす。祭壇の天秤が倒れ、ガラスが砕けた。

 炎は次第に形を取り始め、それは女体を持つ。豊かな乳房と長い足、そして燃え盛る長髪。ツァーリアの身体がそこに顕現していた。しかし、その中心に据えられているのは、見知らぬ男の骸だ。


「がっ!?」


 衝撃と、身を焼く灼熱を感じる。あたしは硬い石の床に押し倒され、ツァーリアが馬乗りになっていた。


「我を守れ!」


 遅れて聖印に祈る。半球が現れ、僅かに熱が収まるが、喉に手の形をした火傷がくっきりと付いていた。


「どれだけの神聖性を——!」

「民草の信仰は厚い。故に、その御力は本物じゃ」


 余裕のある笑みを讃える司祭。ツァーリアがあたしの胸ぐらを掴み、緩慢な動きで投げる。天地が逆転し、背中で礼拝堂の扉を突き破る。


「ぐはっ!」


 肺が凹み、空気を吐き出す。鮮やかな血も混ざっていた。


「民衆よ! 見よ、この者を!」


 胸元を聖衣で包みなおした司祭が、両腕を広げ朗々と叫びながら現れる。

 教会の前には、騒ぎを聞きつけた町人たちが明かりを携えて詰め掛けていた。


「この者は愚かにも呪われた凶器を携えて神の家に踏み行った。神聖なる土を踏み躙り、我らが同胞を切り裂いた!」


 鋭い視線が突き刺さる。ツァーリアが燃え盛り、その灼熱に悶える。


「神の火がこの魔人を焼く様を見届けよ! そして、祈れ! 神々に己が信仰を伝えよ!」


 衆人の声が高まる。嵐の海のように荒れ狂い、その怒声に応じて炎が猛る。


「この者はまた、我らが同胞を誑かした! その者は混沌の狂気に堕ち、我らに刃を向けた! だが安心せよ。道を外れた者は神によって救われた!」


 司祭の指が機敏に動く。町の城壁の方向から、雷鳴が響き、血を流すメリアの躯が宙を駆けて飛んできた。


「彼女の安寧を祈れ! 魔女の焼滅を願え!」


 司祭の声が轟く。空虚な胸で共鳴した声が、民衆に降り注ぐ。彼らの目が獣のように輝いていた。振り上げられた拳に、刃が握られている。その声に呼応して、ツァーリアの炎が激しく暴れる。


「があああああっ!」


 喉が裂けそうなほどの声が、我ながら驚くほどの絶叫が突き抜ける。悲鳴はもはや、彼らを鼓舞する囃子でしかなかった。全身が焼け、末端から焦げていく。血が沸騰し、目が燃える。

 鎌が手から滑り落ちる。


「ウェル——」


 その名前が溢れでる。

 その時、白い稲妻が暗雲を裂いて落ちてきた。

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