第16話「聖遺物盗み」
結局、シェリーは具体的なことを何も教えてくれなかった。僕たちは静かに食事を摂り、そのまま教会に戻った。門の側に修道士が立っていて、僕たちの帰宅を出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ。夕餉の支度が整っております」
「いらねぇよ。町で食ってきた」
「そうでしたか。——では、後ほど部屋に飲み物を」
「いらねぇって」
にこやかな笑みを浮かべる修道士を、シェリーはぶっきらぼうにあしらう。そのまま礼拝堂に入り、真っ直ぐ寝所に向かう。
僕が適当にシーツをかぶせただけだったベッドは、隅々まで綺麗に整えられていた。部屋は埃ひとつ落ちていないほど完璧に掃除されていて、水差しまで置かれている。至れり尽くせりの対応に感動していると、シェリーは小さく舌打ちをしてシーツを剥がした。
「ちょっ、シェリー!?」
「なんでもないよ。お前はさっさと寝てな」
彼女の行動に驚きつつも、押し込まれるようにしてベッドに入る。彼女は早く寝ろとせっついてきたけれど、僕は昼間にうたた寝したのもあってか、さっぱり眠気を感じなかった。天井の染みをぼんやりと眺めながら、今なにが起こっているのか考える。
メリアさんは、なぜ僕たちを司祭様と会わせたくなかったのか。なぜ、シェリーは僕を今夜のうちに街の外へ出そうとしているのか。僕だけが蚊帳の外に置いておかれている気がして、胸が息苦しい。
「——もし」
「っ!?」
暗闇に、突然戸を叩く音が響く。すかさずシェリーが飛び起きて黒鎌を握る。次いで、ドアの奥から聞こえた声がメリアさんのものだと気づいて、彼女はそっと鎌を壁に立てかけた。
「入れ」
シェリーが言う。
メリアさんがゆっくりと戸を開けて、姿を現した。
「時間です」
「分かった。——ウェル、起きろ」
シェリーが僕の肩を揺らす。僕は今起きたばかりのようなフリをしながら、もそもそと体を起こす。シェリーは頭陀袋の中から取り出した聖典を僕に押し付け、メリアさんから何かを受け取る。
「ウェル」
「何?」
彼女は、それを僕の前に出す。黒い鉄の輪だ。短い鎖が付いていて、全体が錆び付いている。
「これは?」
「お前の
「そ、それって——」
神聖性を抑えるものなど、そう有るわけがない。呪物、いやメリアさんが持っていたと言うことは、まさかこの教会の聖遺物なのか。
「シェリー!」
「良いから黙ってこれを着けろ。着けたら、すぐにここを出ろ」
「まさか、教会から聖遺物を盗んだの!?」
「今はそういう話をしてる時間はない!」
訳が分からない。分からないまま、シェリーの胸元に掴みかかる。けれど僕は弱くて、彼女はびくともしなかった。
「シェリーの許可は取ってある」
「でも、これって」
「いいから黙って着けろ」
シェリーが鉄輪の留め具を外し、僕の首に掛ける。シャリンと金属の擦れる音がして、首輪がガッチリと締まる。外そうとしても、僕の力では全く緩まない。
「これがあれば、月下でも人狼になることはない。メリアが町の外まで案内してくれるから、ついていくんだ」
シェリーは有無を言わせぬ気迫を僕にぶつける。反論は許されなかった。
「メリア」
「ええ」
メリアさんは闇に紛れるような真っ黒の外衣を着ていた。目深に被ったフードの下から、金髪と青い瞳がわずかに覗いている。彼女は当惑する僕の手を掴み、寝所から繋がる裏庭へと出た。
「野を駆けるヤビタよ、我にその健脚を貸し与えたまえ」
「うわっ!?」
メリアさんが何か呟いたかと思うと、彼女の履いていた革のブーツがぼんやりと淡い光を放つ。次の瞬間、視界が揺れて、僕は彼女に横持ちで抱えられていた。
「口は少し開けておいてください。舌を噛みますよ」
「え? ぇわっ!?」
彼女が軽やかに跳ぶ。風を頬に感じた時には、彼女は教会を囲む高い塀を軽々と飛び越していた。
「シェリー!」
彼女は寝所の影から僕たちを見ていた。その赤い瞳が、月光の下で僅かに輝いている。
「ちっ。早いですね」
メリアさんが塀を越えた瞬間、教会のあちこちにある窓に明かりが灯る。それを見て、彼女が舌打ちをした。
「急ぎますよ。野を駆けるヤビタよ、重ねて祈る。我に疾風の速さを与えたまえ」
「ええっ? うわああっ!?」
彼女は落ちながら、塀を蹴る。僕を抱えたまま、一直線に町の方へと飛び進んだ。彼女の外衣が風に広がり、その下に着ている服が露わになる。
「わ、わ、メリアさん!?」
「あまり見ないでください。恥ずかしいので」
「す、すみませんっ!」
彼女は体の各所をベルトでキツく縛った、黒い艶々とした服を着ていた。体のラインがはっきりと現れていて、目のやり場に困る。僕は慌てて首を動かし、眼下に広がる街並みへとしせんを移した。
「一気に駆け抜けます」
「うわっ!?」
メリアさんは建物の屋根に軽やかな動きで降り立つ。かすかな音すら立てず、そのまま走り抜ける。僕は何気なく背後を見てぎょっとする。
教会の塀を飛び越えて、聖衣を着た修道士たちが追ってきていた。
「め、メリアさん。追手が——」
「当然でしょう。シェリーさんだけで抑え切れる数ではありませんから」
「ええっ?」
シェリーも教会の中で戦っているのか。
なぜ、そんなことをしているんだ。
「僕、戻らないと」
「戻ってどうするんです? 貴方は戦う術も持っていないと聞いていますが」
「そうだけど……。僕のせいでシェリーが」
メリアさんは速度を緩めない。けれど、後方から迫る修道士たちの方が速かった。彼女は後方を一瞥し、全身に巻き付いたベルトの一本を解いて投げる。
「愛憎の神ロネよ、彼らにその豊かな愛の抱擁を」
ベルトが広がり、追手を絡めとる。
「そのベルトも聖遺物?」
「ええ。これで少しは時間が稼げると良いのですが」
そんなメリアさんの目論みは儚く散った。修道士たちは輝くもの——おそらく短剣のようなものでベルトを裂いて、すぐに脱してしまう。その動きは機敏で迷いがない。
「やはり、そう簡単には行きませんか」
メリアさんはため息をつき、足を動かす。
「メリアさん。僕、こんな首輪いらないよ。こんなののために、盗みをしなくても——」
これを返して、素直に謝れば、司祭様も許してくれるかもしれない。そうでなくとも、僕なんかのためにシェリーやメリアさんが罪に手を染める必要はないはずだ。
なのに、メリアさんは足を緩めない。それどころか、更に加速する。
「メリアさん!」
「貴方のためだけではありません!」
叫ぶ僕に、メリアさんが初めて声を荒げた。瞠目する僕を、メリアさんはキッと睨みつける。
「ヴァルジュの鉄輪など、ただのオマケです。何のために、シェリーさんが命を賭して貴方を私に託したと思っているのですか!」
「えっ?」
背後の教会で爆発が起きる。夜の闇に火柱が上がり、僕たちの影が屋根に浮かぶ。
「あの教会は、司祭が来て変わりました。彼は教区内の村々から積極的に
含みのある物言いだった。
「元々は6つの聖遺物を守る教会でした。しかし、奴がやって来て数年で何十倍にも膨れ上がった。個々の経歴を精査することもできず、それぞれに深い祈りを注ぐこともできないというのに」
メリアさんはフードの下で、悔しげに唇を噛んでいた。
「もともと、あの修道院には何人も敬虔な信徒がいたのですよ」
昔のことだと含意して彼女が語る。
「けれど、多くの者は奴に失望し去りました。そして、その直後に聖遺物が増えるのです」
「聖遺物が?」
脈絡のない言葉に首を傾げる。メリアさんは冷笑し、強く屋根を蹴って隣の家屋へと移る。
「敬虔な信徒は深い祈りの果てに何になるか、貴方は知っているでしょう」
はっとする。脳裏に浮かぶのは、穏やかな笑みを浮かべていた、トーマスの姿。燃え盛る炎と、関節があらぬ方向に曲がっても笑い続ける声。
僕の表情を見て、メリアさんが頷いた。
「トーマスは、元々テルトナの修道士でした。この町で長く修行を修めていました」
そんな折に、あの司祭がやってきた。彼の聖遺物蒐集にトーマスたちは付いていけず、修道院を離れることになった。けれど、司祭は許さなかった。
「今日、彼らが持ち帰ってきた聖遺物が何か分かりますか?」
町の城壁は間近だ。
メリアさんの問いは、ほとんど答えだった。
「トーマス……?」
「白炎を上げ続けるツェーリアの瞳と毛束ですよ」
メリアさんが城壁の上に立つ。彼女は僕を降ろして、笑った。背後からは聖衣を着た修道士たちが、すぐそこに迫っていた。
「貴方はトーマスの事をよく知っているのでしょう」
「それは——」
「ウェル。貴方にシェリーから伝言があります」
メリアさんが、僕の胸を突く。あまりに唐突なことに、反応できなかった。体が揺らぎ、バランスを崩す。支えようと引いた足は、すかさず払われる。
「狼神ヴォーヴルの導きがあらんことを」
高い城壁から落ちていく。
「メ——ッ!?」
そんな僕の眼前で、メリアさんは背後から迫る無数の刃に貫かれた。
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