第8話「奇跡と信仰」

 修道院のある町テルトナは、徒歩で3日ほどかかるとマナさんが言っていた。当然、僕とシェリーもその日中にたどり着くことなどできず、夕暮れ時には川のそばで立ち止まることになった。


「ここで寝るの?」

「他にないだろ」


 シェリーはそっけなく言うけれど、ここは何もない草原のど真ん中だ。雨風を凌げる屋根もなければ、寄りかかる木すらない。人工物らしいものは、街道に沿って点在する天秤教の石柱だけだ。


「もっと、町との間に村とかがあると思ってたのに」

「この辺は少し前まで呪物が埋まってたからな。村なんてないさ」

「ええ……」


 今明かされる衝撃の事実に愕然とする。僕はほとんど故郷以外の土地を知らないから、こんなものなのかと思っていたけれど、この辺り一帯が特殊だったらしい。


「呪物ってそんなにホイホイ見つかるものなの?」


 頭陀袋から一人分の布を引き抜いて無造作に敷くシェリーに尋ねる。彼女の持っている鎌も呪物らしいけれど、世の中を見渡せばそう珍しくもないのだろうか。


「聖遺物と同じくらいはあるんじゃないか?」

「めちゃくちゃあるじゃん……」


 誰かの遺灰が大樽何千個ぶんもあると言うのだから、聖遺物は案外ありふれている。それと同じくらいあるとなると、膨大な数になるはずだ。


「そもそも、全部吊り合ってるんだよ。理論的には、聖遺物と呪物は同じ数存在するんだ」

「そう言われれば、そうかも知れないけど」


 天秤教によれば、世界は全て均衡の上に成り立っている。一人の人生には同じだけの幸せと不幸があり、寒い日と同じだけ暖かい日がやってくる。豊作の土地と同じだけ、不毛の地もある。獣が食べるだけの草が生え、また獣が食べるだけの肉がある。

 全ては天秤のように吊り合っているのだ。

 となれば、当然対を成す存在である聖遺物と呪物の数も吊り合う。そもそも、神々と獣の戦争が相打ちで終わった結果として今の人々の時代がある以上、そうでなければおかしいのだ。


「まあでも、全部が全部呪いとしてあるわけじゃない」

「ええと、それはどう言うこと?」

「呪物ってのは強い呪いの集合体だ。そんなに強くないもんは、魔獣として現れる」


 昨日、僕を襲った豚鬼オークも魔獣だ。魔獣は普通の獣よりもはるかに強い力を持っていて、中には魔法という特別な能力を持つモノもいる。大抵は理性がなく、暴力的で、何かを貪ることで生きている。そういった危険があるから、人は教会に聖遺物を置き、危険を遠ざけるのだ。


「えっと、じゃあ今夜は——」

「三刻続けて寝られるとは思うなよ」


 夜は魔獣の時間だ。そして、ここには聖遺物がない。僕は聖遺物らしいけれど、魔獣を遠ざけるほどの力はない。むしろ、小さな神聖性が魔獣を引き寄せる方が可能性としては大きい。


「ど、ど、どうしよう!?」

「どうしようもねぇよ。とりあえず火を熾せばいい」

「火なんて言われても、木の枝なんてないよ?」


 周囲は見晴らしのいい草原だ。木はまばらに点在しているだけで、薪となりそうなものはほとんどない。

 わたわたと慌てる僕を放って、シェリーはおもむろに膝をついて指を組んだ。


「炉端の神ユシュールよ、我らに一時の安寧を与えたまえ」


 彼女の囁くような声のあと、地面に淡い光の粒が現れる。それは急激に大きくなり、穏やかな炎をゆらめかせた。


「こ、これは……?」


 見たことのない奇跡のような現象を目の当たりにして、口を半開きにする。この女の人は、もしかして聖女なのだろうか。


「祈祷術も知らねぇのか?」


 淡いオレンジ色の炎に照らされて、穏やかな表情を浮かべていたはずのシェリーが、こちらを向くなり人を小馬鹿にしたような顔に変わる。僕が首を傾げると、彼女は呆れたようにため息をついた。


「お前の村の聖人は何を教えてたんだ。神に向かって祈れば奇跡が起こる。それを使いこなすための術が祈祷術だよ」


 そう言って、シェリーは手のひらに包んでいたものを見せてくれる。それは金色の石ころだった。促されて恐る恐る指先で触れると、じんわりと温かい。


「第四級聖遺物“ユシュールの火打ち石”だ。これを使えば、薪がなくても火ができる」

「こんな便利なものがあるんだね」

「こんなもん、旅人なら大抵持ってるよ」


 シェリーはそう言うと、金色の火打ち石を小さな巾着に入れて懐に戻す。そして、また別の聖遺物、今度は古びた布を取り出して四隅を結ぶ。


「竈の神レーテルよ、我らに夜を越えるための糧を与えたまえ」


 彼女が祈りを捧げると、布がひとりでに膨らむ。結び目を解くと、中から湯気の立つパンが現れた。


「うわぁ、すごい!」

「第四級聖遺物“レーテルの包み”だ。日に一度、パンが出てくる」

「すごいすごい! シェリーって本当に聖職者なんだね!」

「おいコラ、何だと思ってたんだ」


 鋭い眼光で睨まれるが、そんなのも気にならないほど興奮していた。まさに神々の奇跡が、目の前で起こっていたのだ。シェリーは旅人なのに随分軽装だと思っていたけれど、どうやらこういう聖遺物をたくさん持っているらしい。

 彼女は焼きたてみたいなパンを二つに割り、片方を僕に渡してくれた。真っ白でふわふわの、見たことのないパンだ。意を決して食べると、甘い小麦の香りが口いっぱいに広がった。


「おいしい!」

「そんなに感動するもんでもないだろ」


 それよりも肉が食べたい、とシェリーはボヤく。こんなに美味しいものを、彼女はたったの二口で食べ終えてしまった。僕はありがたく味わって食べようと思ったけれど、美味しすぎて、それにお腹が空きすぎていて早々に食べきってしまう。けれど、物足りなさはない。半量のパンだったけれど、不思議とお腹は満たされていた。

 確かな満足感をお腹に感じ、火の揺らめきを眺めながら、シェリーに話しかける。


「ねえ、シェリー。さっき言ってた聖遺物の、第四級っていうのは?」


 たしか、彼女は出会った時もそんなことを言っていた。僕の体に流れる狼血、これは確か、第三級聖遺物だったはずだ。


「教会が定めた聖遺物のランクだよ」


 シェリーは焚き火の前で胡座をかいて、退屈を紛らせるために応じてくれた。


「第一から第五まで。それぞれ、女神セラス、六使徒、司神、眷属、精霊。それぞれに関連する聖遺物が分類される。お前は司神である狼神ヴォーヴルの聖遺物だから第三級、ユシュールやレーテルは眷属だから第四級だ」

「それじゃあ、第一級の聖遺物が“女神の抱擁レディ・ハグ”?」


 彼女が探している本物の聖遺物。僕のこの体質や、彼女の呪いを解くことができる完璧な聖遺物だ。名前からして、きっと女神セラスに由来するものであるはずだ。けれど、予想に反してシェリーは否定した。


「“女神の抱擁”は第一級のもう一つ上だ。特級聖遺物、人の信仰なくとも存在し、奇跡を振りまく本物の聖遺物。そうそう見つかるもんじゃないが、いくつかは発見されて、教会によって厳重に保管されてるらしい」

「ええ、そんなのあり?」


 微妙に卑怯な感じがして、思わず唇を尖らせる。シェリーはうんざりした顔で、あたしに言うなと突っぱねた。聖遺物の分類は教会が定めたもので、彼女が意地悪をしているわけじゃない。


「心配しなくても、特級なんてまず見つからん。だからこそ特級なんだ。逆に第五級や四級ならいくらでも見つかるけどな」


 シェリーはそう言って、頭陀袋の奥からハムとチーズを取り出して食べ始める。自分の分だけ隠し持っていたようで、僕に恵んでくれるつもりは毛頭ないらしい。その荷物を運んだのは僕なのに……。

 マナさんが管理していた教会の聖遺物、麦穂の神ハルワタの鎌は第四級に分類されるらしい。大半の村で安置されているものは、そのあたりが多いのだと彼女は言った。


「別に、等級が高いからといって聖遺物としての力が強いわけじゃない。神聖性の強さで言えば第三級お前より第四級の鎌の方が強い』

「そういうものなのかぁ」


 きっぱりと断言されて、しょんぼりとする。別に期待していたわけではないけれど、面と向かって言われると少しショックだ。けれど、そこでふと気づく。


「でも、“灰毛”の狼血って実は特級だったりしない?」

「ああ?」


 何を馬鹿なことを、とシェリーが睨む。僕は一瞬たじろぎながら、思い浮かんだ仮説を話す。


「だって、僕は誰にも信仰されてないよ。なのに、神聖性があるし、奇跡も起こせるんだよね」


 聖遺物を引き寄せるという奇跡は、小さいけれど積もり積もれば無視できないほどになる、そのおかげで、僕や僕の一族は迫害を受けてきたのだから。

 けれど、ちょっとした期待を抱く僕に、シェリーは非情な顔できっぱりと否定してみせる。


「面と向かって拝むのが信仰じゃない。“灰毛アッシュフェール”という一族がいること、それが災厄を呼び込むってことを知ってる、そう信じてる奴らがいるという事実が信仰なのさ」

「はぁ」


 僕はまだ幼かった頃、両親に連れられて仲間と共に放浪していた。あの安住の地を見つけるまで、さまざまな村に立ち寄っては石を投げられたらしい。そうした忌避の感情もまた、信仰なのだろうか。


「信じていれば、それは信仰だ。そう言う意味じゃ、恨みも妬みも信仰さ」


 シェリーは吐き捨てるように言う。何か覚えでもあるのかと思ったけれど、それを聞けるほど、まだ僕たちは仲が良くない。


「“灰毛”が災厄を呼び込むって信じる奴がいなくなりゃぁ、その厄介な体質もなくなるだろうよ」

「卵と鶏のどっちが先か、みたいな話だね」


 つまり、どうしようもないということだ。


「眠たいなら、寝れるうちに寝とけ。そのうち嫌でも起こされる」


 シェリーがハムを飲み込んで言う。その言わんとするところは、近いうちに魔獣の襲撃があるということだろう。厄介なことになってしまった。僕は憂鬱な気持ちになりながらも、結局疲労に耐えきれず、川のせせらぎを聞きながら倒れるようにして眠りについた。

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