第7話「本物の聖遺物」
昼過ぎに村を発った僕とシェリーは細長く続く道を辿り、修道院の町テルトナを目指すこととなった。故郷を擁していた連綿と続く山峰を左手に眺めながら、広がる草原を割るように歩き続ける。
僕はマナさんに貰った頭陀袋を肩に掛け、杖をつきながらシェリーの背中を追いかける。彼女は大鎌を背負い、その他の荷物は持っていない。
「ねえ、シェリー」
肩にずっしりとした重みを感じながら、不審に思って問いかける。長い赤髪が風に揺れて、切長の目がこちらを向いた。
「なんだよ」
「僕の背負ってるのって、シェリーの荷物?」
頭陀袋ははち切れんばかりに詰まっていた。てっきり僕のための荷物をマナさんが用意してくれていたのだと思っていたけれど、どうにも違う気がする。意を決して投げた問いに、シェリーは鼻を鳴らして口元を緩めた。
「なんだ、今更気づいたのか」
「今更って——!」
立ち止まって袋を開ける。中に入っていたのはずっしりと重い財布に、何かの証書。そして、黒い聖衣とそれに包まれた女物の——。
「いい度胸してるじゃねぇか。真昼間から盛りやがって」
「うわああっ!?」
自分が何を握っているのか気がついて、咄嗟に袋を放り投げる。地面に落ちた袋の口からは、薄い布地の、というよりほとんど紐のような。
「み、見てないから! そういうのじゃないから!」
「くくっ。お前は本当に面白い反応をするなぁ」
まるで悪戯を仕掛けた子供のように笑うシェリーに、どっと疲れが押し寄せる。
「命の恩人の荷物だろ。そんくらい持てよ」
「わ、分かってるよ……。でも、事前に言ってくれても良かったんじゃ」
「お前が何も聞かずに一人で勘違いしてただけだろ」
直視しないように目を薄めながら、袋の口から飛び出した布を摘んで奥に押し込む。たしかに、僕が勝手に勘違いして驚いているだけだけれど。本当に聖職者なのか疑ってしまうくらい、彼女も性格が悪い。
「し、下着くらい自分で管理したらいいのに」
「なんだあ? 見張ってないとあたしの下着を何かに使うつもりなのか?」
「そうじゃないけど!」
ニヤニヤと笑うシェリーに強く否定する。まったく、僕のことを何だと思っているのか。
「……それじゃあ、マナさんが用意してくれたのって」
「その杖と帽子と服だ。袋は元々私が持ってた」
「教会に預けてたの?」
「いんや。その辺に放り出して駆けつけたから、夜のうちに拾ってきただけだ」
「なんだそれ」
あっさりと種明かしされて、肩を落とす。
よくよく考えてみれば、これからテルトナの町に行って色々と買い揃えようという話をしていたのに、頭陀袋に僕の荷物が詰まっているはずがない。そもそも事前に中を確認しておけという話だ。
「聖職者って、シェリーでもなれるんだね」
「何が言いたい?」
ぼそりと呟いた言葉を耳聡く拾って、シェリーが睨んでくる。そう言うところも、聖職者らしくない。というか、聖職者を殺しているし、聖遺物を壊しているし、実質的にはむしろ魔女なのかもしれない。
ひとまず疑いだけは密かに胸のうちに秘めておこうと決意した。
「シェリー。聖遺物狩りについて、教えてくれない?」
陽光の降り注ぐ草原はあまりに穏やかだ。畑も見えなくなり、本格的にただ広いだけの土地が横たわっている。動物どころか魔獣の気配もなく、他の旅人どころか盗賊の影もない。ただ黙々と歩いているだけでは、すぐにへばってしまいそうだった。
シェリーも退屈は感じていたらしい。彼女は相変わらず身勝手なペースで歩きながらも口を開いた。
「聖遺物狩りは、なりたいと思ってなるようなモンじゃない。お前みたいに、厄介な体質で生まれたから仕方なくやってる奴もいる」
「シェリーもそうなの?」
「あたしの場合は、コイツだな」
彼女が示したのは背負った黒鎌だ。たしか、黒猪の牙がどうとか言っていた呪物だ。
「あたしはコレに呪われてんだよ。聖遺物を壊して、その
「そんなの、捨てちゃえばいいのに」
「どっかに投げて終わりなら、呪いなんて言わねぇんだよ」
僕の短絡的な発言は、鋭い目付きで一蹴される。呪物というものがいったいどんなものなのか、いまいち分かっていないけれど、そう簡単に片付けられるものではないらしい。
「利害の一致ってやつだ。あたしはコレを抑えないと死ぬ。教会は聖遺物を調整しないと人類が滅ぶ」
利害の一致。つまり、天秤の吊り合いだ。
僕が聖遺物を引き寄せ、彼女がそれを狩る。それと同じ。世界は相互の均衡で成り立っている。
「だから、聖遺物を探して旅してるの?」
「そんなとこだな」
シェリーはぶっきらぼうに頷く。きっと、彼女も呪物のせいで、一箇所に止まることはできないのだろう。自分にはどうしようもない何かのせいで、どうにもならない人生を余儀なくされる。そんな運命に翻弄されるのはお互い同じらしい。すこし、彼女に親近感を覚える。
「この世の何処かに、“
唐突に、彼女はそう言った。困惑する僕に構わず、続ける。
「全てを赦す、女神の寵愛だ。それに触れれば、聾者は音を聞き、盲者は光を見る。あらゆる病は快癒し、全ての憂いが消え去る」
「それって、まさか——」
「この呪いも、お前の血も、全部だ」
そのはっきりと断言する声に愕然とする。もし事実なら、とてもすごいなどと言う言葉だけでは足りない、まさしく奇跡だ。“
「その聖遺物を探しているの?」
「あたしだけじゃない。他の聖遺物狩りも、それどころか、教会自体が探してる」
「つまり、まだ見つかってない?」
シェリーは頷く。
「万物を癒す完璧な聖遺物なんて、そうそう見つからん。しかし、教会の聖典には、しっかりと書かれてる。そして、この世には未確認の聖遺物がまだまだ沢山埋まってるらしい」
「未確認の聖遺物って、なんだか矛盾してない?」
聖遺物は人々の信仰によって力を得ると、他ならぬシェリー自身が言っていた。それが正しければ、人目に付かず隠れ潜んでいる聖遺物には力がないということになるのではないか。
「それこそが本物の聖遺物なのさ。祈られるから奇跡を起こすなんて、全部紛い物だよ」
シェリーは恐れを知らず、軽率に断言してみせる。他の聖職者がいれば、不信者として叩き切られてもおかしくないような暴言だ。この世に広く信じられている天秤教の根幹が崩れるような話だから。
「まだ見つかってない本物の聖遺物を見つけ出して、このクソみてぇな呪いを綺麗さっぱり脱ぎ捨てる。それがあたしの旅の目的だ」
それはきっと、途方もないことだ。天秤教は僕が生まれる何百年、何千年も苗から脈々と続いてきたもので、教会も時代に合わせて形を変えながら今に至ると言われている。気が遠くなるような時の中で、数えられないほどの人々が探し求めてなお、それは見つかっていないのだから。
でも、僕はその存在を信じた。聖者という存在、狼血という聖遺物。そんなものも、つい昨日までは知らなかったのだから。僕の知らない何かがすぐそこにあったとしても、驚きはしない。
「僕も、ついていくよ」
僕という存在は、他の聖遺物を引き寄せるらしい。それなら、彼女が探している“
「当たり前だろ。何のためにお前を生かしてやってると思ってるんだ」
こちらを見て、呆れ果てるシェリー。なんだか手のひらの上で転がされているような気がして、恥ずかしくなってきた。僕は誤魔化すように頭陀袋を背負い直し、歩調を速めた。
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