第6話「豊穣の聖遺物」
シェリーは祭壇の前に立って、そこに並べられたものを注意深く見つめていた。
「祭壇を見るのは、異端審問官の仕事?」
「表向きはそうだが、実際は違う」
居住部にいるマナさんに聞こえないように声を抑えて、シェリーが言う。
「異端審問官は聖遺物やその入れ物に異教のものが無いかを調べる。あたしは聖遺物の神聖性を調べる」
祭壇には分厚い聖典と、金色の天秤、そして正方形の金色の箱が置かれている。どれも汚れや傷もなく、古びてはいるが丁寧に扱われていることがよく分かる。
「聖典に異常はないな。天秤も」
「一応、異端審問官の仕事もするんだ」
「軽くな」
それぞれをさっと調べた後、いよいよ彼女は金色の箱をつかむ。手のひらに載るくらい小さなものだけれど、なんとも言いようのないむず痒さを感じる。
「やっぱり、違和感あるか?」
「ええと、鼻がむず痒くなるかな」
シェリーが箱を持ったままこちらを覗き込んでくる。素直に答えると、彼女は興味深そうに眉を寄せた。
「これって、僕が
「だろうな。聖遺物の放つ神聖性に反応してるんだろ」
シェリーも狼血の特性についてはあまりはっきりとしたことは言えないらしい。けれど、真剣な表情をして慎重に金の箱を開く。
「うっ」
途端に芳香が広がった。花の蜜に似ているけど、それを何十時間も煮詰めたような、甘ったるい匂いだ。思わず鼻を抑えて後ずさる。
「大丈夫か?」
容器を閉じながら、シェリーがこちらを窺う。箱の蓋がおりた瞬間、甘い香りは薄くなる。
「だ、大丈夫。これが、聖遺物の匂い?」
「聖遺物に匂いがあるなんて話は聞いたことがないけどな。神聖性を匂いとして感じ取るのが、狼血の能力なのかも知れん」
「なるほど」
なんとも厄介というか、いつの間にか知らない能力を持ってしまった。
「でも、村の教会にあった遺灰の壺からは、そんな匂いはしなかったけど」
「まだ能力が覚醒してなかったんだろ。お前の中の狼血が目覚めたのは、あの聖人の神聖性に当てられた時だろうからな」
「そういうものなの?」
「分からん。狼血なんてほとんど伝承に近い聖遺物だからな」
生きた聖遺物なんて、聞くだけでも珍しいと分かる。一箇所にとどまることもできないし、専門家であるシェリーでも知らないことの方が多そうだ。
「この聖遺物は何なの?」
鼻を抑え、訊ねる。箱の中に入っていたのは、錆び付いた鉄片のようにしか見えなかった。
「キャプションを見るに、麦穂のハルワタの農具だな」
女神セラスの左手から生み出された銀の指輪のユーゲンロウ。月を司る神は、転じて季節の移ろいも管理する。春夏秋冬それぞれの司神を持ち、彼らもまたそれぞれに眷属を有する。麦穂のハルワタは実った麦を刈り取る農具を表す神様だ。——と、シェリーから説明を受ける。
「つまり、シェリーの大鎌の親戚?」
「バカにするなよ」
興味本位で訊ねただけなのに、ギロリと鋭い目つきで睨まれる。麦刈の鎌と神殺しの鎌は根本的に違うものらしい。
「それで、これは壊すの?」
「そんなわけないだろ」
再度質問を投げると、また素気無く返される。
「聖遺物は教会の要だ。これを壊せば、村は天秤教の加護を失って、魔獣に食い荒らされる」
「そ、そっか」
そういえばそうだった。自分の失言に気がついて深く反省する。
「あたしが狩るのは力を付けすぎた聖遺物だけだよ。そういうのは神聖性が白い光として目視できる」
「ははぁ」
昨晩のトーマスも、白い光を放っていた。あれは濃密な神聖性が溢れ出した結果らしい。そういったものは神様が顕現しているか、その直前の状態にある。だから、シェリーのような聖遺物狩りが破壊する必要がでてくる。
「どうですか、うちの聖遺物は」
祭壇の前で話し込んでいると、マナさんがやってくる。飛び跳ねそうになる僕とは対称的に、シェリーは落ち着きを払った様子で慇懃に頷いた。
「よく手入れされているし、強い神聖性を感じる。良い聖遺物だ」
「それは良かった」
異端審問官という、聖遺物の専門家であるシェリーが認めた事にマナさんも喜んでいた。嬉しそうに口もとを緩め、金色の小さな箱を見る。
「テルトナの修道院から迎え入れてもう十年以上。以前はこの辺りも見晴らす限りの荒地でしたが、今ではとても豊かになりました」
その言葉に驚く。村の周囲には柔らかな畑が広がっているし、その外周にも青々と茂る草原があるばかりだ。マナさんの言葉は、俄には信じられない。
ちらりとシェリーの方を見ると、彼女もこちらを見て頷く。
聖遺物の神聖性というものは、確かに存在するのだ。麦穂の神であるハルワタの聖遺物の力は周囲へ広がり、大地に実りを齎した。聖遺物は信仰の要と同時に、村の生活を支える柱なのだ。
「テルトナの修道院ってのは——」
「村の東、人の足で3日ほどの所にある町です。そこには修道院があって、ハルワタの鎌はそこに納められていたんです。ですが、ある時、修道院長の夢にハルワタが現れ、この村に移譲せよとお告げになられました」
「そんなことが……」
「まあ、よくあることだな」
聖遺物の持ち主、つまり神様自身が安置場所をふさわしくないと判断した場合、そのように指示を下すことはままあるらしい。その結果、テルトナという町の修道院から、まだ寒村だったここへと運ばれた。
「それだと、テルトナの畑は荒れたりするんじゃ」
聖遺物を失えば、その奇跡もなくなるはずだ。となれば、元々ハルワタの鎌を所持していたテルトナはこの村の真逆のことが起きている可能性があった。けれど、マナさんは微笑したまま首を振る。
「テルトナは大きい町ですから。畑も近隣の村々に頼っています。だからこそ、ハルワタも夢に現れたのでしょう」
「そうなんですか……」
不思議だけれど、面白くもある。町として発展したテルトナは農地が少なくなり、神様自身がその土地が合わないと判断するとは。
「テルトナに行ってみるか?」
「いいの?」
シェリーからの提案に思わず口を開けて反応する。彼女はニヤリと笑いながら頷いた。
「どうせ根無草の旅の空だ。それに、お前の荷物を揃えるなら、町の方がいいだろ」
「荷物って、もうマナさんに一揃い用意してもらったんじゃ」
「こんな辺境の村で揃えられるモンなんて、限度があるだろ」
「ちょ、シェリー!」
明け透けに物を言うシェリーに、僕の方が慌てる。しどろもどろになりながら弁明の言葉を考える僕に対して、マナさんはクスクスと肩を揺らして笑った。
「テルトナの町の方が栄えているのは確かですから。あの町の大市は一度見てみるといいですよ。地図を用意しましょうか」
「助かるよ」
マナさんは居住部へと向かい、すぐに地図を持って帰ってくる。地図と言っても、村の近くを流れる川や街道が書かれているだけの簡素なものだけれど、土地勘のない僕たちにとってはありがたい。
シェリーもそれを素直に受け取り、懐にしまった。
「それじゃ、行くか」
「ええっ!? も、もう?」
そして荷物を置いてある寝所へと向かうシェリー。まだ半日程度しか滞在していないのに、もう村を出るという彼女に驚く。
「村での用事は終わったしな。いつまでもたむろしてる訳にもいかねぇだろ」
「そ、それもそうかな」
確かに、ずっとここにいてもマナさんのお世話になるだけだ。なんだか呆気ないと思いつつも納得する。
「お気をつけて。お二人の旅にユレイヤのお導きがあらんことを」
「世話になったな。コートープがあんたを守ってくれるだろうさ」
荷物を纏めたあと、マナさんとシェリーは互いに挨拶を交わす。やっぱり、僕もそういうことを覚えた方がいいかもしれない。そんなことを思いながら、村の外へ歩き出すシェリーの後を着いて行った。
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