第3話「狼血の一族」

 聖遺物狩りレリックハンター、シェリーは自らをそう称した。天秤教の信仰の要とも言える聖遺物を破壊する聖職者。本来ならば、異端と蔑まれてもおかしくはない。けれど、彼女はその仕事に誇りさえ感じているようだった。


「教会騎士が魔獣狩りをするのと変わらないだろ。どっちもこの時代を守るために必要なことだ」

「そう、ですか」


 俄には信じられないし、納得もしづらい。けれど、彼女が嘘をついているようにも見えない。実際、彼女は聖遺物と化したトーマスを狩ったのだ。

 そう考えて、はたと気づく。彼女は元々トーマスを追ってやってきたわけではなかった。むしろ、彼女が狙っていたのは——。


「あの、シェリー。さっき僕のことも聖遺物って」

「狼神ウォーヴル。ユーゲンロウの司神で、豊穣と厄災の運び屋。テメェの体ん中には、ソイツの血が流れてる」


 恐る恐る訪ねると、彼女は淡々と答えた。


「ええっ!?」


 思わず手のひらを広げてみる。手首に透けて見える細い血管には、赤い血が流れている。そこに何かの力を感じることはない。ただの泥に汚れた手だ。


灰毛アッシュフェールはウォーヴルの血脈の中でもかなり濃い方だ。だから、迫害を受けた」

「えっ……?」


 脈絡のない言葉に、声が出る。シェリーはそんな僕を一瞥して詳しく説明してくれた。どうやら、口調が荒っぽいだけで実は優しいようだ。


「ウォーヴルの末裔は、聖遺物を引き寄せる。それ自体は悪い事じゃない。むしろ、最初は良い事だ。聖遺物の神聖性は病を癒し、富を齎す。——宝石よりも貴く、黄金よりも価値ある物。それが聖遺物だ」


 父さんからも母さんからも、村の誰からも聞いたことのない話だった。聖遺物という、きっと天秤教の中では欠かすことのできない存在について僕は何も知らないのだ。


「だが、聖遺物の神聖性ウィルトゥスが高まり過ぎるとダメだ」


 聖遺物はその力が高まるほど、神の存在証明としての力が強くなる。それが極まった結果が、あのトーマスだ。彼は信奉するツァーリアの眷属と化し、自らが神格存在となって顕現した。


「高貴すぎる宝石は人を惑わせ、高価すぎる黄金は人を狂わせる。だから、灰毛アッシュフェールは絶えず放浪を続ける必要がある」


 狼血という聖遺物に、他の聖遺物が引き寄せられる。集合した聖遺物は共鳴し、互いにその神聖性ウィルトゥスを増幅させていく。結果、現れるのは本物の神々だ。彼らは人々の時代を破壊し、完全なる秩序を齎す存在となる。

 シェリーは人々の時代を守るため、過ぎた信仰を抑えるため、力のある聖遺物を破壊して回っているらしい。


「だから僕は殺されるの?」

「殺さねぇって言っただろ」


 おどおどしながら聞くと、シェリーはうんざりした顔をこちらに向ける。トーマスを殺した後、彼女はその鎌を僕の首筋に当てた。けれど、あの時の鋭い眼はすでにない。


「狼血は聖遺物を引き寄せる磁石みたいなモンだ。向こうから来るなら、あたしも色々楽できるからな」

「ええ……」


 僕のことは道具扱いらしい。あまりにも歯に衣着せぬ物言いに唖然としていると、彼女はこちらを振り向いてニヤリと笑った。


「お前にとってもそう悪い話じゃないだろ。どうせ狼血は終わりのない旅を強制される。一人でほっつき歩いてっとすぐ死ぬだろ」

「そ、そんなことは——」


 ない、と言いたかったけれど、無理だった。僕は背が低いし、痩せている。旅に関する知識も何もない。しかも、聖遺物を引き寄せる体質なんて、今の今まで知らなかったのだ。


「お前は聖遺物を引き寄せる、あたしがそれを狩る。お互いに損はないだろ?」

「そうかなぁ」


 なんだか丸め込まれているような気がする。けれど、結局僕が一人で生きていけないことは確かだし、シェリーがトーマスから僕を守ってくれたのも事実だ。彼女が粗雑そうに見えて案外優しいところがあるのも、これまでの会話のなかで分かっていた。


「でも、聖遺物——神様ってそう簡単に殺せるものなんですか?」


 一つ疑問が残っていた。

 シェリーは自身を聖遺物狩りレリックハンターと言っていたけれど、神様はとても強い存在であるはずだ。そんな存在を、人の手で殺せるものなのだろうか。確かに、トーマスは灰となって崩れてしまったけれど。


「簡単には殺せねぇよ。相手は神だぞ」

「ええ……」


 あっさりと言い切るシェリー。僕は驚けばいいのか、納得すればいいのか、落胆すればいいのか、よく分からなくなってしまった。戸惑っている間に、彼女は背中の大鎌を構えて見せる。


「人間にとって、神はどう足掻いても太刀打ちできない絶対的な上位者だ。けどな、一つだけ神を傷つける方法がある」


 それがコレだ、と彼女は誇らしげに言った。

 どこまでも真っ黒な、大きな鎌だ。持ち手に布が巻いてあるだけで、他は全てが黒一色。金属製らしく、とても重たそうだ。僕など両手でも持ち上げることはできなさそうな代物を、シェリーは軽々と握っている。


「聖遺物と対を成す物、混沌の残滓。いわゆる呪物だ。コイツは混沌の獣の中でも一等凶暴な黒猪の牙からできてる」

「それは本物?」

「本物だよ。少なくとも、そう言うことになってる」


 要は呪物も聖遺物も、根本的にはそう変わらないのだろう。神々の物か、混沌の物か、その程度に違いでしかない。けれど、だからこそ互いに対して効果的だ。神々は混沌の獣を退けたけれど、獣もまた神々の喉元を掻き切ったのだ。


「しかしまあ、呪物も厄介なところがあってな」


 それまでの軽快な物言いは鳴りを潜め、シェリーは少し声を落ち着かせる。その雰囲気から、僕は嫌な予感を覚えた。まさか、と口を開くよりも早く、シェリーは鋭い眼を周囲に向けた。


「——とっとと此処から離れたかったんだがな」


 シェリーが大鎌を握り直す。周りの草原から薄気味悪い気配を感じて、総毛立つ。夜闇の中から不浄なものが現れる。


「魔獣——!」

鬼豚オークか。早速嗅ぎつけて来やがったな」


 筋骨隆々の赤黒い肌を汚した、豚頭の人形だ。体長は優に僕やシェリーを超え、濁った黄色い瞳でこちらを見下ろしている。手には乾いた血の張り付いた粗野な棍棒を握り、臭気漂う毛皮の腰巻を着けている。

 およそ人ならざる魔獣が、三頭。獰猛な熱い息を吐きながら、ぼたぼたと粘ついた唾液を垂らしている。


「こ、これって——」

「呪物の匂いは魔獣を呼び寄せる。死にたくなけりゃ、しゃがんでろ」


 やっぱりそう言うことだった!

 シェリーの声に慌てて蹲る。次の瞬間、三頭の鬼豚が吠え、黒い大鎌が唸りを上げた。


「オラァ!」


 怒声が響き、血飛沫が上がる。シェリーの鋭利な鎌が、鬼豚の首をすんなりと断ち切ったのだ。あの大鎌は、どうやら神様だけじゃなく魔獣も関係なしに狩ってしまうらしい。

 鎧袖一触に一頭がやられ、残り二頭が明らかに怯える。怯えるだけの、知性があった。


「シッ——」


 そして、シェリーはその隙を逃さない。

 風に赤い髪が広がり、直後に生暖かく臭い豚の血が僕の頭上に降り注ぐ。思わず悲鳴が喉を突いて出る。我ながら情けなくて泣きそうだった。


「ブビィ! ブボッ!」

「ひっ!?」


 けれど、溢れかけた涙はすぐに引っ込む。シェリーには到底太刀打ちできないと判断した三頭目が、僕に目を向けたのだ。わざわざ強敵に当たらずとも、柔らかそうな肉があるぞと言わんばかりに。長い牙の突き出した口がにんまりと弧を描く。

 僕は慌てて、その場から後ずさる。けれど、豚鬼の手から到底逃れられない。


「死ねゴラァ!」

「ブビョッ!?」


 しかし、直後、笑みを浮かべた豚鬼は飛来した鎌によって縦半分に両断される。目の前で左右に分かれ崩れ落ちる豚鬼に、思わず腰が抜けてしまう。そんな僕を冷たい目で見下ろしながら、シェリーは豚の血で汚れた大鎌を手で拭った。


「お前以外の狼血が死に、聖人も死んだ。この辺は天秤が混沌側に傾いてる。面倒なことにならねぇうちに離れるぞ」

「えっ。あ……」


 大鎌は呼水に過ぎない。この土地で大量の神聖性が消失し、その均衡が崩れた。混沌の獣たちが、力をつけて現れる。

 墓標を建てた時、シェリーが言っていた言葉の意味がようやく分かる。聖人が現れて、豚鬼三頭だけで済むはずがないのだ。あの山間の長閑な隠れ里は、邪な魔獣たちによって荒らされる。それが、天秤の吊り合い、自然の摂理なのだから。


「お前、まさかまた立てねぇのか?」

「うん。ごめん……」


 腰の抜けた僕に気づいて、シェリーが呆れた目を向けてくる。恥ずかしくなって俯いていると、彼女の白い手が目の前に現れた。


「ほら。とっとと行くぞ」

「あ、ありがとわわっ!?」


 戸惑いながら、その手を掴む。勢いよく引き上げられ、勢い余って彼女の胸に飛び込んだ。顔面が温かいものに包まれる。血生臭くて、硬くて、柔らかくて。


「いつまで抱きついてるんだエロガキ」

「えっ!? わっ、そ、そう言う訳じゃ!」


 ニヤついた目を向けられ、弾かれたようにシェリーから離れる。彼女はくつくつと笑いながら歩き出す。僕はしどろもどろな言い訳をしながら、彼女の背中を追いかけた。

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