第4話「神の家」
僕の住んでいた村は山深い渓谷にひっそりと隠すようにあった。そもそも、人目を避けて安穏とした日々を手に入れるために流れ着いたのだから、当然といえば当然だ。だからこそ、他の村との交流はなかったし、近くに村があるという話も今日初めて知った。
「やっと見えてきたな。ったく、辺鄙な所に村を作りやがって」
シェリーがそう言って僕を睨んだのは、銀の月が霞み夜闇が薄らいできた頃のことだった。何もなかった草原に人の歩いた跡が見え、やがて広い畑が現れた。その向こうに、木の柵で囲まれた小さな村があった。
「村で休んでもいいの?」
「眠たくねぇなら遊んでていいぞ」
「そ、そうじゃなくて……」
慌てて首を振ると、シェリーはくつくつと笑う。そうして、心配すんなと僕の髪の毛を乱した。
「村の教会には必ず聖遺物がある。その近くにいれば、呪具の力も相殺される」
「はぁ……。それじゃあ、僕がいればいいんじゃ?」
「お前が一歩も動かず3日くらいずっと立ってんならな」
どうやら、僕が放つ神聖性はその程度には微弱なものらしい。流石に置物になるわけにはいかないので、素直に辞退する。
シェリーは薄暮の村に遠慮なく立ち入り、簡素な門の側で座っていた見張りの村人に声を掛けた。
「天秤教の異端審問官だ。旅の途中でな、教会を訪ねに来た」
堂々と偽るシェリーに驚くが、何も言わない。道中、彼女から聖遺物狩りという役職についても簡単な説明を受けていた。
天秤教にとって、聖遺物は信仰の要だ。それを破壊する者が役職として教会に存在すること自体が、重大な秘密らしい。トーマスも聖遺物狩りについては知らなかったし、ただの教徒が知るはずもない。
「おお、これはこれは朝早くに。どうぞお入りくださいや」
半分寝ぼけていた男性が慌てて立ち上がる。彼はシェリーの着る聖衣を見て、すぐに安堵の表情を浮かべ、快く入村を許してくれた。
「そっちの坊やは?」
「あたしの従者だよ」
「ははぁ、なるほど。どうぞどうぞ」
僕は成り行きで従者ということにされた。まあ、それ以外に説明のしようもないだろう。泥に汚れた服しか着ていないのだから。
まだ寝静まった家家の間を通り、村の中央にある小さな教会へ向かう。トーマスから、村の中心には必ず教会があるという話は聞いていた。教会が魔獣の襲撃から村を守るのだ。
僕たちは村の中心にある広場に面した小さな教会の前にやってくる。背の高い屋根に、白い石造りの建物だ。金の天秤が飾ってあって、大きな両開きの扉がある。
「天秤教の者だ。開けてくれ」
シェリーは早朝にも関わらず、遠慮なくドアノッカーを叩きつける。ボンボンと大きな音がして、僕は村の人がみんな起き出してくるのではないかと気が気ではなかった。
「こんな早朝にお客人とは珍しいですね」
幸いなことに、教会の扉はすぐに開いた。奥から響いてきたのは、若い女の人の声だ。扉の隙間からシェリーの姿を確認し、天秤教の聖衣を着ていることを認めると、姿を現した。
「すまないな。途中で魔獣の襲撃に遭って、夜通し歩いてきたんだ」
「まあ、それは大変! どうぞ、お入りください」
シスターは口を抑えて驚くと、快く僕たちを中に入れてくれる。教会の礼拝堂は天井が高くて、ずらりと並んだ長椅子の向こうに小ぢんまりとした祭壇があった。祭壇の上には天秤と、金色の容器が置かれている。
「異端審問官のシェリーだ。こっちは従者のウェル」
「よ、よろしくお願いします」
「あら、可愛らしい男の子。私はマナ。この教会の一人シスターよ」
被っていたフードを取り払い、マナさんが顔を顕にする。長い茶髪に、青い瞳。そばかすの浮いたお姉さんだ。寝巻きの上から外套を羽織っているのか、胸元がはだけないように手で押さえている。
「まだ寝ている時間でしたよね。すみません、起こしてしまって」
「天秤教徒は誰であれ快く迎え入れよ。同じ家の者なら尚更です」
マナさんが言った言葉は、おそらく天秤教の教えだろう。トーマスも同じようなことを言っていた気がする。一応、シェリーの従者としてはそういう知識も持っておかなければならなそうだ。
「とりあえず、一眠りしたい。宿所はあるか?」
「はい。すぐに水とタオルも準備しますね」
遠慮なく礼拝堂の横にある小部屋へ入っていくシェリー。マナさんも気にした様子はなく、むしろ色々と気を配ってくれた。僕の方が申し訳なくなるくらいなのだけれど、天秤教の間では当たり前のことなのだろうか。
礼拝堂の横に繋がる小部屋には、二段ベッドが二つ並んでいた。やっぱり、シェリー以外にも良く天秤教の聖職者がやってくるらしい。マナさんが運んできてくれた木桶に入った水で足や手の汚れを落とし、更に服まで用意してもらった。
「巡礼者の服?」
「ええ。祝福も済んでいますし、サイズも合っているので、ぜひ使ってください」
「助かる。魔獣に襲われて、コイツの荷物は殆ど放り出してきたんだ」
貰ったのは、頭からすっぽりと被ってベルトで留める一枚布のような服だった。胸元には天秤教の印章が縫い止められている。トーマスの着ていた服や、シェリーの聖衣にもある金色のバッジだ。
「村の店が開いたら、帽子と袋と杖も揃えるか」
「はぁ……」
着なれない巡礼服を着た僕を見て、ニヤニヤと笑いながらシェリーが言う。話を聞くと、鍔の曲がった帽子と頭陀袋、そして杖という一揃いの装備が巡礼者の定番らしい。
「お食事は?」
「とりあえず寝かせてくれ。昼になったら起きる」
「分かりました。では、ごゆっくり」
マナさんは恭しく頭を下げて部屋を出る。ドアが閉じた途端、シェリーは一気に力を抜いてベッドに倒れ込んだ。
「ふぅ」
「シェリーも疲れてたんだ……」
今の今までとても元気そうだっただけに、とても驚く。無尽蔵の体力を持っているのかと思ったけれど、そうではなかったらしい。
「当たり前だろ。あたしだって人間だ。外にいる時は気を張ってるだけだ」
「はぁ。……って何やってるの!?」
同じ聖職者のマナさんに対しても油断を見せないくせに、僕の前だとだらけきるのはどういうことなのか考えていると、シェリーは突然聖衣を脱ぎ始めた。慌てて後ろを向くと、背後で彼女が笑う。
「エロガキめ」
「そっ、そんなんじゃないよ!」
シュルシュルと衣擦れの音が聞こえる。豚鬼に襲われた後、彼女に助け起こしてもらった時のことを思い出す。彼女の体は引き締まっていたけれど、温かくて、や、柔らかくて——。
「あたしは寝るから、お前も適当に休め」
「えっ? あ、うん」
ばさりとシーツに飛び込む音がして、数秒後には静かな寝息が響く。恐る恐る振り返ると、インナー姿になったシェリーが赤い髪を広げて眠っていた。彼女の長身に対して、ベッドは少し小さい。足を軽く曲げて、腕に頭を乗せている。穏やかに上下する滑らかな曲線を目で追いかけて、はっと我に帰る。
「エロガキ」
「違うって!」
薄く目を開けたシェリーの口元がニヤついていた。
僕は巡礼服を脱ぎ、少し迷って服を着たままベッドに潜り込む。
昨日から一睡もしていない上、色々なことがあった。村からここまでずっと歩きっぱなしだったし、心が昂っていただけで疲労は溜まっていたらしい。横になった途端、忘れていた疲れがどっと押し寄せてきた。僕は抗うという思いすら抱く暇なく、泥のように眠った。
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