第2話「聖遺物狩り」
二人の名前を刻んだ木板を立てた。質素すぎてむしろ小綺麗にも見える、小さな墓標だ。灰を掻き分けて掘り出した二人の指輪をその下に埋める。周囲には他の仲間たちの名前を刻んだ板も並んでいる。
月が静かに見下ろす夜に、指を組んで祈りを捧げる。せめて、円環の向こうでは安らかに、と。
「終わったか」
背後から声をかけられて目を開く。振り返ると、赤髪の女がそこに立っていた。
「すみません。手伝ってくれて、ありがとうございます」
「どうせすぐ獣に荒らされるってのに」
「でも、やっぱり放っておけないので……」
およそ聖職者らしくない暴言を吐く彼女に、戸惑いながら笑う。それでも、焦げ臭い廃村の、積もった灰の中から指輪や首飾りを見つけてくれたのも彼女だ。
「これで区切りが付きました」
「なら、とっとと離れるぞ」
「は、はい」
彼女は名残惜しさなど微塵もないようで、くるりと背を向ける。そのまますたすたと進み出すのを僕は慌てて追いかけた。
「ええと、その……」
背の高い彼女の大きな歩幅に早足で並ぶ。名前を知らないことに今さら気がついて言い淀んでいると、赤い瞳が僕を見下ろした。
「シェリー。見ての通り、天秤教の聖職者だ」
「あっ。ぼ、僕はウェルです。ええと、ウェル・アッシュフェール……」
「家名は知ってる。お前を追いかけて来たんだ」
「僕を?」
彼女はトーマスを撃ち倒した後、僕に背中の鎌を向けて言った。僕の一族の名前を、事前に知っていた。やはり、彼女も乱暴なことをするのだろうか。一抹の不安を胸に抱いていると、シェリーは小さく舌打ちをした。
「妙なこと考えてるんじゃねぇよ。——ったく、狼血の一族が腑抜けやがって」
「ええと、その、狼血って言うのは?」
「ああ?」
おずおずと訊ねると、シェリーは目を丸くして僕を見た。まるで常識のない人を見るような目に、思わず俯いてしまう。父さんたちやトーマスから色々なことを教わってきたつもりだけど、狼血という言葉には聞き覚えがない。
「豊穣と厄災の導き手。群れ流れる者。放浪の血脈。第三級聖遺物。——まあ、色々と呼ばれちゃいるが、詰まるところ生ける聖遺物だ」
「せい、いぶつ?」
再び首を傾げると、シェリーは今度こそ呆れ果てた顔をする。そんなに常識的な事を聞いてしまっているのだろうか。
「テメェは何を聞いて育ったんだ。世界のあらましくらいは知ってるだろ?」
シェリーに問われ、記憶を思い返す。トーマスが僕たちの隠れ里に流れ着き、しばらく経った後のこと。彼は村の教会に住む代わりに、僕たちに色々なことを教えてくれた。言葉や計算、社会のこと、そして何よりも天秤教と世界について。
今の時代——人々の時代と呼ばれる安寧の現代は、とても危うい均衡の上に成り立っている。世界を破壊する混沌の獣たち、完璧な調和をもたらす神々。二つの勢力が互いに激しく争い、力の限り戦い、そして力尽きた。天秤教の教えでは調和大戦と呼ばれるその聖戦で、双方が衝突し、相殺し、そして人々の安寧が訪れた。
「混沌と神々の戦いは今も続いてる。それが聖遺物と呪物だ」
「はぁ……」
思わず生返事を返すと、彼女は頭が痛そうな顔で口を曲げる。
「ほら、お前の村の教会にも何かしらの聖遺物はあっただろ」
「ええと……」
「マジかよ」
答えに窮していると、シェリーは額に手を当てて項垂れる。彼女は歩いてきた道を振り返り、未だ火の残る村の跡を眺めて言った。
「燃える髪、水銀、灰……。多分、テメェんトコの教会にあったのは誰かしらの遺灰だろ」
「遺灰?」
「流石にセラフや六使徒ってこたないだろうがな。銀の指輪のユーゲンロウ、その司神のツェーリアあたりか。そいつの眷属の遺灰が壺にでも入ってたはずだ」
「壺……。そういえば、祭壇にあったような」
週末の礼拝で、祭壇の上に小さな陶製の壺があったのを思い出す。金色の天秤や蜜蝋の燭台などに囲まれていて、あまり目立つものではなかった。それが何なのか、結局トーマスから聞いたこともない。
「女神、眷属、司神、精霊、聖人。そういう奴らの死体やら衣やら、とにかく存在の証拠が聖遺物だ」
「そ、そうだったんだ。全然知らなかったです」
「まあ、実際のところはどっかで野垂れ死んだ野郎の灰だろうがな」
「ええっ!? さっきと言ってること違うじゃないですか」
即座に言葉を翻され、目を丸くする。つまり、僕たちは誰のものかも分からない遺灰を大事に守り続けていたということなのだろうか。
「大事なのは真贋じゃない。それが本物だっていう信仰だ」
「はぁ……」
そろそろシェリーの言っていることが分からなくなってきた。それでも頑張って理解しようと耳を傾ける。
「お前らがそれをツェーリアの遺灰だと信じてれば、それはツェーリアの遺灰なんだ。その信仰は時代を越えて、ツェーリアの力となる」
「ど、どうして?」
「ツェーリアは悪魔の炎に焼かれて死んだ。それでもなお遺灰が残っているということは、それだけツェーリアの
「ななせん——!?」
衝撃の数字に絶句すると、シェリーがニヤリと笑う。
「たとえば、武神として知られる金の剣のパバンの腕を縛ったという鉛の手錠。あれの破片もいろんな教会に置いてあるが、全部合わせると大人三人がすっぽり嵌まるほどのデケェ手錠が八十もできる」
「ということはつまり、パバンは大人三人分の太さの腕が、八十もあったってことですか?」
「察しがいいな。神なんて大層なこと言ってるが、奴らも大概なバケモンだ」
人々の信仰が、神々の力となる。神々の残滓を人々が信じれば、それは神々のものとなる。僕がトーマスから聞いたパバンの姿は、赤い荒馬に乗った筋骨隆々の武人というだけだ。そんな、腕がモジャモジャと生えている化け物なんかではない。
「パバンの聖遺物なら、武器はもっと多い。全部合わせりゃ数万っていう数になる」
「そんなにあると、調和大戦でも圧勝できそうですね」
「それがそうでもないってのが怖いところだな。パバンの聖遺物から逆算すれば、奴は無数の武具を扱うバケモンだ。しかし、今になってもパバンは調和大戦を生き残り、現代にまで存在していない」
「それは……ええと……」
「奴はそれほどの力を得て尚、混沌の獣と相打ちになったという結末に変わりがないのさ」
聖遺物に対する信仰が高まれば、調和大戦時の神々の力が増す。力が増せば、混沌の獣を討ち倒したうえで生き残り、今の時代に現れる。そうなっていないのであれば、それほどの力を持ってなお、神々は混沌の獣と相打ちとなり、死んだことを証明する。
「それなら、もっと信仰を広めて聖遺物を増やして、神様の力をつければいいのでは?」
「バカ言うな。そんなことをしたら、勢い余った神々がこの時代を滅ぼして神々の時代がやってくる」
調和大戦はどちらが勝てば良いというものではなかった。混沌の獣と神々が激しく戦い、そして共倒れとなったことで、僕たちの生きる人々の時代がやってきた。
仮に神々が勝利し、生き残っていたら。世界は完全な秩序の下に再構成され、僕たち人間のような不完全な存在は生きていけない。混沌の獣が勝利しても、それはそれで僕たちの滅亡だ。
「それじゃあ、シェリーがトーマスを殺したのは——」
トーマスは聖人、つまり聖遺物になっていた。そして彼は神聖を帯びて動いていた。厚い信仰の果て、神に近づいていた。
「奴はツァーリアの眷属の一つとして顕現しようとしていた。そうなれば、あたり一帯が焦土と化してただろうな」
トーマスは神に近づき、神そのものになろうとしていた。神が現れてしまったら、それは聖戦の結果が変わったことを意味する。結果が変われば、全てが変わる。人々の時代は、崩壊してしまう。
「だから、シェリーは……」
シェリーは聖遺物を、聖人を殺した。聖遺物を信奉する天秤教の聖職者にあるまじき蛮行だが、彼女は弁明もなく不敵に笑う。
「あたしは聖遺物を破壊する。神の力を削ぎ、神を殺すため。——
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