2章 第7話 田舎者の逃走

「どうしよう、王族の暗殺を企ててる集団に潜り込んじゃった…」


 歓声にも似た怒りの奔流が、さっきまで静寂だったはずの部屋を渦巻いていた。

 

「腑抜けた王家に罰を!!」


 穏やかそうだった白髪の男性や、中年の女性が眉を吊り上げて叫んでいる。

 カナタは熱狂の渦のなかで、肩身を狭くして縮こまっていた。

 

 確かに、ポエラは言っていた。

『都会という場所は怖いところだぞ』と。

『カナタのような田舎者には危ないところだぞ』と。


 そういうものなのかと、カナタは話半分に聞いていた。

 だがまさか、”警笛の使徒”という王家に敵意をむき出しにしているような集団に迷い込んでしまうとは思ってもいなかった。


「内政府は使徒の献身を無駄にするな!!」


 『いずれ復活するであろう魔王とその軍勢の襲来に備える』という目的を持つ彼らは、またの名を”魔王脅威論者”とも呼ばれているらしい。

 ”魔王脅威論者”という名をかんがみれば、彼らはカナタがあの日受けた使命と、同じ方向を向いているようだった。


 しかし、カナタは彼らの様子を見ているうちに、その目的に集う賛同者は多くは無いのだろうと察した。

 カナタは記憶を無くしてからも、村以外の多くのことを知らずに過ごしてきた。

 だが、目的のために王族を排除しろと、声高に叫ぶこの集団が、多くの軋轢を生むであろうことぐらいは理解できた。


 次第に高まっていく彼らの熱気とは裏腹に、カナタの臓腑は冷えていった。

 なんなら、冷えて痛いまであった。


「カナタ殿と、この歴史的な瞬間をともに過ごせるとは、今日は実に幸運な日です。」


「いやーうれしいですよぼくも」


「さあ、ともに腑抜けて縮こまった第一王子を排除しようではありませんか」


「まったくもってそうですねぇ~」


 冷たい汗が額を伝う嫌な感覚を覚えながら、嬉しそうに話しかけてくる両端の女性に対して、愛想笑いを浮かべながら答えた。


(よし、スキをみて逃げよう)


 カナタはいかに穏便にこの場から逃れるかを考え始めた。

 幸いカナタが座った卓は、聖女の位置からは離れており、狂乱の中心はそこに集まっていた。

 この暴徒にも似た集団を下手に刺激すれば、第一王子の前に、自分がつるし上げられる可能性すらある。

 なんとかして、彼らの注目を避けて脱出しなければならない。状況を打開できる何かが無いか、カナタは救いの糸を探して、周囲をせわしなく見回した。

 しかし、両端の女性は気遣わしげにこちらを見ており、周囲の視線がたびたびこちらを向いていることに、カナタは気付いた。


(やっぱり自分が何者なのか、この人たち全員知っているんだ!!ここから抜け出そうにも、穏便に済みそうにない…!!)


 真っ白になる頭の中、カナタは壇上に立つセヴァンジェリンとふと目があった。

 彼女のその瞳は、まなざしを受けた者の警戒を思わず解いてしまうような、柔和で穏やかなものだった。

 しかしその瞳は、手のひらに収まった虫を愛おしげに見つめる子供の瞳なのだと、カナタは感じた。そして、自分がいま手詰まりなのだということを実感するにつれて、全身の血が冷えていくような感覚に襲われた。

 何かを待ち望むような集団の意識に合わせるかのようにして、セヴァンジェリンの脇に控えていた身なりの良い男が壇上に上がった。

 彼は恭しく礼をすると、部屋の中に透るまっすぐな声をあげた。

 

「同志の皆さま方!!聖女様の導きにより、我らはこの場に集うことと相成りました。奇跡のような巡りあわせ…そしてこの日、新たなる同志が加わることとなりました!!」


(…終わった)


 なぜセヴァンジェリンが初対面の自分のことを助けたのだろうか。

 そう、不思議に思うことはあった。

 彼女の親しみやすい雰囲気と、受けた恩を思って、カナタは深く考えない様にしていた。


 だが、今になってその意味を理解できた。

 彼女は使徒の疑いがある自分を利用するために、この場まで連れて来たのだと。

 

 カナタは自分が為すすべがないことを理解しながら、にこやかに笑う彼女に対して、憂さ晴らしのように恨めしげに睨みつけた。

 上品に口に手を添えてほほ笑んでいたセヴァンジェリンは、顔をしかめるカナタを見て少し考えるように視線を上に向けた。

 そして、その視線が再びカナタへと戻ってきたときに、彼女は一瞬口を動かした。


「えっ…」


 その小さな口が「逃げたい?」と言ったかのように見えた。

 カナタは藁にも縋るような思いで、一度だけ深く頷いた。

 それを見届けたセヴァンジェリンは、壇上にいた男を手招くとその耳元で囁いた。


「…仰せのままに。

 皆さま方、その前に祝いの杯を!!此度は特上の葡萄酒をご用意させていただきました。

 我らの計画の成就を祈りまして!!」


 壇上の男が手元の杯を掲げると、控えていた黒の布を被った給仕たちが、困惑したように顔を見合わせた。

 彼らは少しの戸惑いの後、一斉に控室へと向かうと、盆にのせた杯を各卓へと運び始めた。


(場が困惑してる…今しかない!!)

 

 聴衆の意識が自分から離れたことを確認すると、カナタは急いで席を立ちあがった。


「あら…カナタ様。いかがされましたか?」


「すみません。しばしアナグマを探しに…」


 席を立ったカナタを不安げに見上げた女性に、ポエラに教わった上品な厠への行くときの慣用句で答えた。

 同じ卓の二人は何かを言いたげだったが、カナタの蒼白な表情が切羽詰まっているようにみえたのだろう。強く呼び止めるようなことはしなかった。


 ふと去り際に、セヴァンジェリンと目が合ったような気がした。

 変わらずほほ笑んでいるように見えたが…確かめるような暇も余裕も、今のカナタにはなかった。

 祝杯に沸く部屋を背後に、カナタはその場を後にした。


「追手は…来てないな。急いでここから離れないと」


 重たい扉の入口までは誰も居らず、カナタはそのまま外へと出ると、日が落ちてより一層薄暗くなった道を引き返す。

 もし、自分が逃げたことに気付けば、彼らは必ず追手を送り込んでくるだろう。

 王族の暗殺を企てていることを外部に知られれば、彼ら”警笛の使徒”はそれだけで危ういはずだ。


「まず、ポエラたちがいる城下町へと向かおう。せめて監査隊の制服を着た知り合いでも見つけなきゃ!!」


 見覚えのある仄明るい街灯を潜り、雨上がりの夕空へと繋がる昇り階段を、カナタは無我夢中で駆けた。

 最後の段に脚をかけ、通りにその身を躍らせたところで、危うく通行人にぶつかりそうになった。


「あっぶない…!!」


 カナタは鍛えた身のこなしで、咄嗟に避けることに成功した。

 通行人はムッとしていたように見えた。

 だが、今は一刻も早く誰か見知った顔に会いたくてたまらなかった。

 

「ごっ…ごめん!!先を急いでます!!」


 謝罪も早々にカナタはすぐさま駆け出そうとして、その首根っこを通行人に掴まれた。


「おいお前…なぜこんなところにいる?」


(マズい…追手がもう…!?)


 途端、カナタは頭が真っ白になった。

 追手に掴まり、連れ戻されれば何をされるか分からない。

 どう振りほどこうかと、震える身体に力を込めようとする。


「暴れるな愚か者、やめておけ」


「いてっ!!やめて叩かないでください!!」


 カナタが暴れ出しそうな気配を感じた通行人は、その首根っこを掴んで軽々と持ち上げると、その頭を軽くはたいた。

 頭に受けた衝撃を恨めしく思いながら、カナタが後ろを振り向くと、そこにはがあった。


「アナタは…トリワーズ監査官代理どの!!」


「騒がしい。役職を街中で叫ぶなガキ。

 何だ…やめろ!!くっつくな煩わしい!!」


 カナタは誰も知らぬ街で、ようやく見知った顔を見つけて、涙目になりながらもすがりついた。

 初めて会った時は、ある意味、敵のような関係性だったが、心細さで限界だったカナタにとっては些末なことだった。

 おいおいと泣きながら抱き着いてくる魔王の使徒予備軍の少年を、引きはがそうとしながらトリワーズは眉間の皺を深めた。

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