2章 第6話 警笛の使徒

「セヴァンジェリンさん…?」


 部屋中から見通せるような舞台に上がった女は、遠く離れた位置ではあったが、その印象的な格好と風貌は見間違えようのなく、先ほどまでカナタと一緒に歩いていたあのセヴァンジェリンだった。


「ようこそ、お集まりくださいました。

 常世を憂う同志の皆様と、この場を共にできたことを私は嬉しく思います」


 凛として伸びやかな声が、シンと静まり返った部屋の中に透る。

 この場にいるすべての者たちが、セヴァンジェリンの動き一つも逃さぬようにして、彼女が放つ言葉を待ち望んでいた。


「今から250年前。ヒトと魔との大きな争いが終わりを迎えました。

 そして、安寧と平和に満ちた世がもたらされました。

 それは、子神と、その使徒たちの健身をもって…」


 セヴァンジェリンは語ると同時に、時に大仰に怒ってみせ、時には儚げに悲しんで見せた。抑揚を利かせ、感情を込めた声がその場にいるすべての者たちの心を揺さぶっていく。


「彼らの命と引き換えに、理不尽な痛みと無秩序な死から遠ざけられた穏やかな生を、ヒトは過ごせるようになったのです。

 ですが!!多くの者はその平穏を当たり前のものだと思いこんでいる!!

 自らが立つその場所が、うず高く積み上がった泥と血にまみれた先人たち屍の上に立っていることを、忘れ去ってしまっているのです。

 ここにいる皆さまは知っての通り、まだ”魔王”は朽ちてはいません。

 その身の復活を、闇の復権を、いまも虎視眈々と狙っているのです!!」


 勇ましさすら感じる彼女の扇動の言葉たちは、観衆たちの目を義憤に満ちたものへと変えていく。


「本来、北伐とは、来たるべき”魔王”の脅威を忘れてしまった北の帝国を、子神と使徒に変わりちゅうするために始まった戦いでした。

 自国の富に目が眩み来るべき戦いの障壁となる北の帝国を、勇者の末裔である王国は打ち滅ぼさなければならないのです。

 即ち、北伐とは聖戦なのです」


「そうだ!!そうだ!!」

「聖女様の言うとおりだ!!」

「北伐とは、偉大なる聖戦だ!!」


 途端、響き渡った怒号にも似た賛同の声に、カナタはびくりと肩を振るわせた。

 そして、呼応するようにして、過激な言葉たちが次々に観衆からあがった。

 

「そう。勇者の末裔であれば、果たさねばならない責務があるはずです!!

 ですが、どうでしょうか?

 この王国の中にも、その責務を忘れてしまった者が蔓延はびこっている!

 それでは北の帝国と、何も変わらないではありませんか!!

 私には、それがとても…とても嘆かわしい!!」


 セヴァンジェリンは大きな動きで、身振り手振りを込めて慟哭して見せた。


「勇者の末裔であれば許されない所業だ!!」

「諸侯は何をやっているんだ!!」

「王家が先導しなければならないはずだ!!」

 

 顔を覆い、嘆き悲しむようなそぶりを見せるセヴァンジェリンに賛同するようにして、観衆から義憤の声があがった。

 そして、その声たちは、次第におぼろげながら矛先を示し始めた。


「ここレグナムルスは、かつて王の防壁と呼ばれました。

 王国の民だけでなく、ヒト種の絶滅の危機をはばみ切って見せた、奇跡の象徴でした。

 ですが、どうでしょうか?

 今や防壁は過去の遺物となり、新市街の交易が産む富の影に消えて行こうとしています。

 そのなげくべき状況を作り出したのは一体誰なのでしょうか…?」


「スクード卿!!スクード卿だ!!」

「欺瞞の王壁!!金細工の王壁!!」

「堕ちた英雄!!使命を忘れた英雄!!」


 奔流のように上がる怒号が渦を巻き、セヴァンジェリンを中心に湧き上がる。


「同じく、北の帝国と和平を結び、北伐を終わらせようとする内政府と、旗頭たる第一王子は、果たして勇者の末裔たる王国の主としてふさわしいのでしょうか?」


「否!!否!!否!!」

「鉄槌を!!忘却の咎人に鉄槌を!!」

「使命を忘れし末裔に、救いの死を!!」


 いつのまにか立ち上がっていたセヴァンジェリンが、静かにゆっくりと身体の前で指を組んで祈りをささげる姿を取った。

 それに倣うようにして、彼女から伝播するように、観衆がよどみなく同じ祈りを捧げ始めた。

 あれほどの喧噪がいつしかおさまり、静寂に包まれた部屋の中を、セヴァンジェリンの澄んだ声が透った。 


「魔王の脅威を忘れし者に、子神の啓示を。

 我らを”魔王脅威論者”と呼び、蔑み、あげつらう者には正義の鉄槌を。

 我らは使徒の代行者。迫る脅威の警笛を鳴らす者。

 我らは”警笛の使徒”なり。」

 

 目まぐるしく変わる魔王脅威論者たちの集会を前に、カナタは蒼白になった顔面を歪ませながら、今にも泣きそうになっていた。


(どうしよう…王位継承者の暗殺を企ててる集団に潜り込んじゃった…)


 恐る恐る気付かれない様にして横を見やると、快活そうだった女性は大粒の涙を流して祈り、文官の女性は絞り出すようにして嗚咽を漏らしていた。


 カナタはふと、マレッタたちの村が急に恋しくなった。


「もう帰りたい…ポエラ、早く助けに来て…」


 田舎から出てから畳み掛けるように降りかかった苦難と、一人ぼっちのあまりの心細さで、ついにカナタは堪えきれず泣いてしまった。

 同じ卓に着いた二人の女性は、涙を流し始めたカナタを見て、自分たちと同じように聖女の話に感銘を受けたのだと思い込んだ。

 しかし、カナタの胸にあったのは、望郷の想いと、都会に対する恐怖だった。

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