第39話 故郷よ

「なんて被害だよ…めちゃくちゃだ。」


 村の中心へと向かう道中は、秋熊によってもたらされた生々しい破壊の傷跡が広がっていた。

 秋熊の放った風素の砲弾は、弾道上にあった家屋と麦畑の一部を、無残にも瓦礫と土砂へと変えていた。


 玄関から屋根にかけて、前方のほとんどが崩れ落ちた家屋の前に立ちすくんで、カナタは背にのしかかるような自責の念に震えた。

 

「巻き込まれた家が二軒。あとは収穫前の麦が少しやられた。怪我人は出たが、最悪の事態にはならずに済んだ。監査隊の中に、顔見知りの治癒術師がいたおかげだ。」


 包帯を巻いた住民たちと、監査隊の制服を着た面々が、崩れた瓦礫の撤去をしていた。カナタたちに気付いた家主が、近寄ってきてはこちらの無事を喜んでくれた。


「おおカナタ。お前も無事だったか。」


 笑みを浮かべる彼の腕には、土埃に汚れた包帯が巻かれていた。日頃から親切に声をかけてくれていた彼の姿に、カナタはなんと声をかければよいのか分からなくなった。

 別れ際、彼はカナタの暗く沈んだの表情を見て察したのか、「気にするな」と無事な方の手で軽く頭を叩くと、瓦礫の片付けへと戻っていった。 


 暴風で巻き上げられ、歯抜けになった石畳を歩きながら、カナタはぼそりと呟いた。


「あの熊が悪いって分かってはいるんだけど…。やっぱり俺がこの状況を呼んだんだよね。」


「違う…と言ってもお前は気にするのだろうな。

 もし、責任があるとするならば私だ。お前じゃない。」


「なんでさ。ポエラは秋熊を追い払ってくれたじゃん。」


 ポエラは歩きながら静かに首をふった。


「お前がこの原因だったとして、この村へと連れて来たのは私だ。

 この村で起きる事件も、諍いも、そのすべての責任を負う覚悟をして、お前を受け入れたつもりだ。」


「そんな…ポエラは何も悪くないのに。」


「それとも、…お前は何か悪いことをするつもりがあるのか?」


 足を止めたポエラは怒るでもなく、ただまっすぐにカナタを見つめた。


「…いや、しない。絶対にしないよ。」


 カナタははっきりとした意志を持って、ポエラの視線を受け止めて応えた。


「自分の意志で、受けて来た恩を仇で返すような、そんな真似はしたくない。」


 カナタから出た芯のある言葉を聞いて、ポエラはその表情を崩した。


「それを忘れなければ大丈夫。

 なに、尻拭いなら私が何とかするさ。」


 隣に寄ってきたポエラに肩を抱かれながら、荒れた街道の中を歩いた。

 ポエラよりも少しだけ背が高くなったカナタだったが、傍らを歩く彼女に合わせて、どこかぎこちなくその歩みを合わせた

 すこし強引なポエラの優しさを心地よく思いながら、カナタは前を向いた。

 

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「来ましたね。」


 所どころがめくれ上がった広場では、住人や監査隊の隊員たちがせわしなく、復興に勤しんでいた。 

 そのすぐ脇、何とか無事だった村長宅の前では、見慣れない杖を突いたマレッタが二人を待っていた。


「マレッタさん、その脚…」


「老体で些か張り切り過ぎました。

 骨は無事だったようで、そのうち治るでしょう。」


 戦闘時に負ったのだろうか、右足には見慣れない添え木が、ぐるぐる巻きの包帯で固定されていた。

 

「祖母様、もう歩いても平気なのか?」


「鍛え方が違います。心配は不要です。」


 ポエラの心配を一蹴し、マレッタはキビキビとした足取りで村長宅へとつながる石階段を登って行った。

 カナタは駆け足でその後を追いかけ、付き添うように背中からマレッタを支えた。

 

「私は不要だと言ったはずですが?」


「俺が…そうしたいんです。少しだけお付き合いください。」


「…そうですか。」


 マレッタは傍らに立つカナタが、どこか悔いるような表情をしていることに気付いた。添えられたカナタの手を振り払うでもなく、邪険にするでもなく、その肩に手を置いて階段を登り始めた。。

 

 3人は、村長の部屋の前室へと入った。

 隣の部屋では、何やら白熱をした話し合いをしているらしい。壁ごしにもその応酬が漏れ聞こえていた

 カナタはその剣呑な雰囲気を感じ、これからのことを想像して顔を曇らせた。


「一つ、話をしましょう。私についての昔の話です。」


 カナタの沈んだ表情を察してか、否か。

 隣室の喧噪がまだしばらくかかりそうだと思ったためか。

 杖を置き椅子に腰を掛けたマレッタが、彼女の過去について話し始めた。


「あなたも既に知っているかもしれませんが、私は元々この村の出身ではありません。

 私の故郷はこの村よりも北にある鍛冶の盛んな山際にある街でした。

 炎が絶えることなくべられた炉の側で、幼い頃より槌を握り過ごしていました。そして鍛冶師としてずっと故郷で暮らすのだと、そう信じていました。」


 マレッタは思い出を懐かしむというよりは、ただ事実を述べるように淡々と話を続けていた。

 もとより、言葉数の少ない老婦人が、めったに話さないであろう身の上を話す姿に、軽い驚きを感じながらも、カナタは静かに耳を傾けた。


「ですが、そうはなりませんでした。

 私は故郷を追われることになり、二度とは村へは戻ることができなくなりました。

 その後は、様々な場所を転々としました。

 ある時は流れの鍛冶師として。ある時は商隊の護衛として。

 そしてその果てに、北の帝国軍との領土戦争である”北伐”へ、王国側として従軍することとなりました。」


 ”北伐”。

 永久凍土の北には、帝政を敷く帝国が存在している。

 凍らぬ土地を求め南下する帝国軍と、領土で面する王国軍との間で、定期的な領土戦争が行われていると、カナタはいつかの授業で聞いた覚えがあった。


「それは、たった数年の従軍でした。

 ですが私は、今でもその時の光景を鮮明に思い起こすことが出来ます。

 ただただ、夢中に。

 炉をくべては戦って。

 傷を負っては戦って。

 進軍をして。撤退をして。

 一息をつく間もなく、ちらちらと降り続く白雪のなかを戦い続けました。

 ”白槌”などという大仰な名を付けられたのもその時です。

 一進一退の争いが数年も続いたある時、嫌気が差した両国の間で、何度目かの休戦協定が結ばれました。

 ですが、元より根無し草であった私は、仮に王国民にはなれても、帰る家などありませんでした。北方から引き揚げて来た根拠地で、ただ抜け殻のように休戦の号令を聞いていました。

 途方に暮れていた私へ対して、一緒に来ないかと声をかけたのが、当時は斥候隊として従軍していた斥候隊長でした。」


「それでマレッタさんは、この村にたどり着いたんだ。

 ちなみに、その時の斥候隊長が?」


「ああ、察しの通りうちの祖父様だ。

 一目ぼれだったらしい。」


「あら、お熱い。」


 二人のなれそめを知り、人にも歴史があるのだとカナタは感心するようにうなずいた。

 孫娘たちを少しにらんで、マレッタが仕切り直すように咳払いをした。それは、どこか照れ隠しのようでもあった。


「昔話が長くなりましたが…。

 カナタ、あなたは記憶をなくし、自身がどこから来たのか分からない。そうですね?」


「はい。と言っても証明できるものは何もありませんが…

 ただ、何となくですが、もう自分が生まれた場所に戻れないんじゃないかと思っています。」


 あれだけ優しく穏やかだったはずの村長の怒声が、壁越しに響いている。

 沈んだ表情のまま、壁越しの怒声に負けそうなほど、消え入る様に小さくなっていくカナタの答えを聞いて、マレッタは静かに頷いた。


「…既に察しているようですが、いま隣室ではあなたの処遇についての会合が行われています。村長とヤーブ監査官補佐だけでなく、隣村の長、辺境伯より来た役人も含めて、あなたを今後どうするのか、誰がその身受けをするのか、話し合われています。」


 隣室で行われている紛糾が、自身の行く末を決めるものだと、カナタは察していた。そして、その会合の如何次第で、カナタはこの村を離れることになるのだと理解していた。 

 

「生まれた場所を追われることになった私も、記憶を無くし帰る場所を忘れてしまったあなたも、生まれ故郷へ帰れなくなったという点で、私たちは似た境遇にあると言えるでしょう。」


「そう…かもしれません。」


「ですが…カナタ、これだけは忘れないでください。

 私が放浪の果てに、この村を新たな故郷としたように。

 この村があなたの帰る場所であり、故郷であることは変わりません。

 この会合がどのような形に落ち着いたとしても、村の一員である貴方を決して一人にしないと誓います。」


「こんな俺でも…この村を故郷と呼んでもいいんですか。」


「ええ、もちろん。

 この”白槌”。老いたとて、とやかく言う者たちを黙らせるほどの力は残っていますよ。」  


 カナタは短くも濃厚な村での出来事を思い浮かべながら、その情景を故郷と呼んでは、なんども心の中で繰り返した。


「故郷……と呼べる場所があるっていうのは、いいものですね。」


「ええ、いいものですよ。

 ですから、忘れないで。」


 少し軽くなった心持ちでカナタは、張り詰めていたその表情を和らげた。

 いままで厳しい顔持ちだったマレッタは、その日初めてカナタに対して優しくほほ笑んだ。


「マレッタ殿、おまたせしました。会合が終わりましたのでお入りください。」


 いつのまにか、隣室から聞こえていた喧噪はぴたりとやんでいた。

 隣の村長の部屋に詰めていた監査隊の隊員が、マレッタを呼んだ。

 覚悟を決めたカナタは自らの頬を張ると、先を行くマレッタの後を追った。


 カナタたちが重苦しい空気の部屋へ入ると、その中央に数人が掛けれるほどの幅広の長机が置かれていた。そしてそれを囲むように、論争を終えた後の男たちが、おおよそ穏便に済んだとは思えないような険しい表情のまま座っていた。

 話し合いの争点となった少年に向けて、部屋中の視線が集まった。

 カナタは部屋を漂うひりつくような空気を感じて、静かに息をのんだ。

 

(この村に初めて来たときを思い出すな。

 あのときも村長やカリアト叔父さんたちに囲まれてたっけ。)


 自分に向けられる興味とも敵意ともつかない視線を感じながら、ヴェント一族に囲まれた日のことを、カナタはどこか遠い日のことのように思い出した。


「ごほんごほん。」

 

 懐かしむカナタを何者かの咳払いが、現実へと引き戻す。

 咳払いの出所は、部屋の入口から最も離れた位置に座る恰幅の良い男からだった。

 男が身につけている制服は、基調とする色や、若干の装飾は違えど、ヤーブたち監査隊のものと似ていた。


「えー、では、今しがた、くだんの少年についての処遇がまとまりました。

 ……ですがその前に、私から数点ほど質問をさせていただいてもよろしいですかな?」


 男は周囲から異論が出なかったことを確認すると、小ぶりな肉詰めのような指で手元の手帳を捲り、カナタへ質問を始めた。


 男から向けられた質問は、この村に来てから何度も聞かれたような真っ当な質問に加えて、”魔王”や”子神”といった単語を含むものまで多岐にわたった。

 カナタ自身も分からないこともあったが、自身が応えうる限りの答えを、学んだ東陸語で素直に返した。


「なるほど……少女にいざなわれた記憶を最後に、アナタはこの世界で目を覚ましたと。」


「そこは暗く煤けた部屋でした。…ちなみに、今の話についてどう思われますか?」


「うーん……信憑性に欠ける話ですねぇ。」


「ですよね。」


 夢で逢った少女から世界を救ってほしいと頼まれた。

 カナタ自身も他人の立場であれば、そんなことを言われても、出鱈目をこいているようにしか聞こえないだろうなと思った。

 頭を抱えるように黙りこんでしまった恰幅の良い男の代わりに、隣村の長であろう老人が、風格のある佇まいのままこちらへと問いかけて来た。


「少年よ。その少女は名をなんと言っておったか分かるか?」


「いいえ。尋ねてはみたのですが…こちらの名前を呼ぶだけで、聞き入れてはもらえませんでした。」


「そうか…、ちなみにお前さんの名前は?」


「カナタといいます。」


「なんと…。」


 その名を聞いて、その場に居た老人たちを含めた数名がざわついた。

 身なりからして、彼らは周囲の集落から来た者達なのだろう。

 ヤーブや恰幅の良い男を含めた制服に身を包んだ男達は、特別気にしていないようだった。


「…すまぬ、それは我が孫娘がつけた。」


 疲れ切った様子で座っていた村長が、隣と同じように頭を抱えて答えた。

 

 もしかしてこの名前、なんかマズかったんか?

「ねえポエラ…。」

 おずおずと脇に立つ姉へ小声で尋ねたが、彼女はいたずらがバレたジィチのように、視線をあらぬ方へと向けていた。

 おいポエラ、マズかったんかい!!


「まあ、いいでしょう…。

 では決定についてお伝えしますが…よろしいですね?」


 頭を抱えていた小太りの男は居住まいを正すと、両脇に座る村長とヤーブへと問いかけた。


「リストフ監査官殿…、よろしければ私から伝えさせていただけませんか?」


 疲れた顔はそのままに、少しだけ生気が戻った村長が、リストフと呼ばれた恰幅の良い男へ尋ねた。


「…ええ、お願いできますか?」


「感謝いたします。」


 村長はリストフへ頭を下げると、席を立ちカナタの前へと立った。 

 腰が曲がった村長は、カナタとさほど変わらぬ視線の高さのまま、真剣な面持ちで尋ねた。


「カナタ、お前さんがこの村に来てから3年はたったかの……。

 言葉もしゃべれず、小さくひ弱じゃった子供が随分と大きくなった。」


「村長たちのおかげですよ。村の皆には感謝してもしきれません。

 拾って手助けをしてくれなければ、確実に自分は野垂れ死んでいたと思います。」


「お前さんの必死さが、皆の信頼を勝ち取った結果じゃ。

 だが…ワシは、お前さんの信頼を裏切ることになってしまうじゃろう…。

 カナタよ。さといお前さんのことだ。この話し合いが、ままならぬものであることは、既に察しているじゃろう。」


 村長の沈んだ表情は、会合の疲れからだけではなく、彼が今、感じている負い目のせいなのだろうとカナタは気付いていた。


「村長、俺は構いません…、構いませんよ。

 感謝こそすれど、恨むことはありません。」


 村長は悔いるように歯噛みすると、カナタへと告げた。


「すまぬ…。

 カナタよ、お前さんには、これから旅に出て貰うことになった。

 目的地は王都。使徒であるお前さんにはそこで使命が下るじゃろう。」

 

 旅に出る。

 すなわち、この村から出なければならなくなったと言うことだろう。


(ちょっとは覚悟してたけど、追放かぁ…)


 カナタは小さく息を吐くと、板張りの天井を仰いだ。

 慣れ親しんだ自室のベッドの感触が、いまだけはふと恋しく感じられた。

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