第40話 遥か彼方
「じゃあカナタって名前は、光の使徒だった人から付けられたんだ…」
「そうだな。」
「そうなんだ、俺はてっきり……いや、っていうか、自分で言うのもなんだけどさ。
どことも知れない余所者につける名前としては、結構罰当たりじゃない!?そりゃ隣村の人たちが騒然とするわけだよ!!」
「都市部では普通に付けられているぞ。由緒正しくていいじゃないか。」
「…ポエラってそういうとこあるよねぇ。」
椅子の背もたれを抱えるように座り、こちらを眺めるポエラを横目に、カナタは革張りの丈夫そうな背負い袋へと、荷物を詰め込んでいた。
「腰帯を置いていくなよ。忘れると祖母様がついて来るぞ。」
「マレッタさんなら本当に付いてきそうだ……大丈夫忘れてないよ。」
鞄の口を閉じ、机の上に置かれた腰帯を手に取る。
「この腰帯、もらってすぐはかなり大きく感じたけど、今は丁度いいや。」
慣れた手つきで巻き付けると、おさまりの良い位置で金具で止める。
身につけ始めて最初の頃は違和感を感じていた腰帯も、仕事の度につけていれば、今となっては体の一部のように馴染んだ。
長く使い込んだことで、色合いが落ち着いて、徐々に渋い色へと変わっていた。
「祖母様が丈夫に作ってくれているんだ、まだまだ使い込めるだろう。旅先でも手入れは欠かすなよ。」
「うん分かってるよ。大事にするって。」
感慨深くなり腰帯を撫でると、指先から滑らかな手触りと、仕事の時についた細かな傷が伝わってきた。
崖から転落したとき、腰帯に込められた風魔素のお陰で助かったのではないかとポエラは言っていた。しかし、まったくの無傷だったのは、カナタ自身が持つ悪運の強さによる奇跡だろうと不思議そうに首をかしげていた。
「色んな事があったなあ。仕事や、訓練に追われて、森と山中を駆け回ってばっかだった気がする。本当にキツくて大変なこともめちゃくちゃあった。」
村に来て初めの頃、言葉をしゃべることが出来ず、訳も分からないまま揉まれるように奮闘した日々のことを、カナタは今でも鮮明に思い返せた。
「でもなんでだろうね。辛くて過酷だった気がするんだけど、こうやって思い返してみると、すごく満ち足りてたような気もしてくるんだよね。」
まるで過去の出来事を名残惜しむかように、カナタはしんみりと呟くとベッドの上から降り立った
「本当に手がかかる奴だった…だが、あっという間だな。」
鞄を持ち上げ、立ち上がった少年は、ポエラの背丈をいつの間にか超えていた。
高熱を出して弱々しく寝込んでいた時と比べて、健やかに成長したカナタを眺めながら、ポエラは懐かしい気持ちになった。
「では行こうか。監査隊の馬車がそろそろ出発する時間だ。」
「うん、この部屋ともお別れだ。
癒しの寝床とも、もう離れ離れになっちゃうのか…。
辛かった時も、身体中が筋肉痛で痛いときも、くじけそうなときはこの寝床に包まって耐えてたんだよな。そう考えるとめちゃくちゃ名残惜しくなってきたな…。」
「じゃあ、持っていくか?」
「…荷物になるからいらない。じゃあ、そろそろ行ってくるよ。」
あの日行われた会合の結果、カナタは村を離れることになった。
村長たち有力者と、王国の関係者たちとの間で話し合われた結果、カナタが魔王の使徒かどうかについての疑惑は”一時保留”となった。
村長が周辺の村々に根回しをしていたことで、隣村の長たちが擁護に回ったこと。
王都で事件を起こすには、時期的にも、距離的にも関係性に乏しかったこと。
そして、謀反人として祭り上げるには、説得力に欠けるカナタの貧弱さもこの時ばかりは功を奏した。
仕事で山々を駆け回り、ある程度の体力は付いたと自負していたカナタだったが、立ち上がる魔素の質など、外観を一目見ればなんとなく分かるものらしい。
(無実なのはもちろん嬉しいけど、弱すぎてコイツじゃないなって、一瞬で判断されるのも悲しいと言えば悲しいわ。)
様々な荷物が入った背負い袋を揺らし、慣れ親しんだあぜ道を、カナタはしょぼくれながら一人で歩いていた。
(でも、完全に無実になった訳ではないんだよな。)
”一時保留”にこそなったが、魔王の使徒としての疑いが晴れたわけではなく、カナタを一体誰が身受けするかという話になった。
使徒の疑いについて黙っていた村長は、王都へ報告をしなかった責から免れることは出来なかった。
私的な目的のために、使徒の利用を企んだヤーブは懲罰こそなかったが、この件における発言権を無くしたようだった。
そのためどちら側の勢力でもない、リストフと呼ばれた小太りの王都の役人が、最終的にカナタの身柄を受け持つことになった。
リストフは王都に属する役人ではあっても、ヤーブとはまた異なる派閥の所属だったらしくで、あとで聞いた話によると、少なくとも人柱のように扱われることはひとまずないだろうと言うことだった。
短い夏が折り返しを過ぎた頃。
監査隊や隣村の助けもあり、冬の蓄えと並行して村の復興が徐々に進む中、その日はやってきた。
長くなった村での滞在を切り上げ、辺境伯が治める都市へと帰還することになった監査隊に同行する形で、カナタは村を離れることになった。
カナタの扱いは会合の結果、一時保留となってはいたが、形式上は被疑者のような扱いである以上、村をあげての見送りは自粛することになっていた。
そのため、最後の日ではあるが、カナタにとっては孤独な道行きだった。
(正直、みんなに見送ってもらえるほど、何かをしたわけじゃないんだけどね)
カナタ自身も、この事態を招いたという罪悪感が無くなったわけではなかったので、その決定にどこかおさまりの良い心地でいた。
代わりに、自分が村を去ることになるまでの間、村の住人達全員に自ら出向いて、謝罪とともに別れを告げに行った。
(それでも、誰も俺を責めなかったんだよな…)
襲撃からの復興と、冬の準備で忙しそうにしていても、村の皆はあっさりとしていた。
あまつさえ、王都に連れていかれることになる身の上を、惜しんでくれる人も少なくなかった。
(あのジィチは不貞腐れてたけど、ちゃんとお別れは出来たし。)
村の中心部で受けたジィチからの叱咤は、半ば諦めるような心持ちでいたカナタにとって強烈に効いた。
目を覚ましたその日のうちに、別れと感謝を伝えるため、いの一番に会いに行った。
ケガをした足で森の中を逃げ回るジィチを追い詰めると、こっぴどく罵倒されながら泣かれてしまった。
ジィチの追跡を手伝ってくれたジーニも、ルーアも、そして自分も釣られて泣いてしまった。
『また絶対にもどってこい、手紙をたまには出せ。来なかったら俺が村を出て会いに行ってやるからな。』
涙で腫れぼったくなった目をこすりながら、恨み言のように別れを惜しんでくれるジィチを見て、カナタはまた目頭が熱くなるのを感じた。
(ここに来れて、本当に、本当に幸せだった。)
片手の指で事足りるほどの年月だった。
しかし、記憶を無くし、寄る辺の無かったカナタにとっては、あまりにも濃厚な時間だった。
知らぬ世界に飛ばされて、恨めしくなる気持ちよりも、ぬくもりを与えて貰ったその事実が、これから知らぬ地へと向かうカナタにとって何よりも心強かった。
「遠くへ行っても忘れないよ。」
東の空に広がる朝焼けを、目に焼き付けながら、背筋を伸ばすと、遠くに見知った人影が見えた。
「おうおはようさん、カナタ。」
「あれ、マグニフとベキシラフ?」
作業着を着こみ、悠々と外を歩いていたのは、この村に来てなにかと世話になった兄弟だった。
「ダメだよ。見送りは厳禁って言ってたじゃん。」
「ん?なんのことだ。俺たちはこれから仕事をしに中央広場へ行くだけだ。」
「行く道が一緒なだけで、見送りに行くわけじゃないよ。気のせい、気のせい。」
「マジかー」
体裁上の問題で、実際の罰があるわけではなかったが、この兄弟は気にも留めないようにカナタの隣を歩き始めた。
「僕はポエラもついて来てると思ってたけどいないね?」
「なんかそわそわしてたけど、ポエラは家にいるんじゃないかな。」
「俺たちと同じように、あいつもそのうち広場に来るさ。ほら言っている間に他にも…」
遠くを見ると3人の少年たちが、入り組んだあぜ道に添って走ってきた。
その姿も、よく見知った少年たちだった。
「待てカナター!!」
「おいバカ兄貴!!止まれ!!」
「ハハハ!!ジィチを止めるためだから仕方ないねぇ!!」
息を切らせながら一目散に走り込んできた少年たちは、カナタまで数歩の位置まで来ると跳躍する体勢に入った。
先頭を走るジィチが跳び上がったかと思うと、それを止めるために縋りつく様に飛び込んだジーニとルーアごとカナタへと突っ込んでくる。
「ちょっ…」
膝、腰、胸。
カナタは空中でバランスを崩した三人を抱き留めるように腕を広げたが、ヒトの主な重心点に飛びつかれ、踏ん張る間もなく、地面に引き倒された。
ぬるい空気を口から吐き出し、鈍い呻きをあげて倒れこんだ。
「3人とも、俺ケガして…出発できなくなるんだが?」
「プーリィさんがいるんだから、道中で治癒術式でもかけてもらいな。」
「コイツよぉ!?」
「んっ!」
そそくさと立ち上がったジィチをみて、最後に飛び掛かってやろうかとカナタは身構えたが、目の前に差し出された手をみて断念することにした。
「うんしょっと…。3人とも後で叱られても知らないからな?」
「…カナタの方が大事だよ。」
「いやいや、僕たち外に遊びに行く途中だったんだよ。偶然偶然。」
いやルーア、偶然て。
いやもういいけどさ。
服についた土ぼこりを軽く払うと、村の中心部へ向けて複数人で歩き出した。
「お、カナタ。偶然だね。」
「あれ、今日だったっけか?ちょうどいいや、気を付けて行ってこいよ。」
「あら、みんな考えることは一緒だね。」
一人、また一人と、広場へと向かう道すがら、どこからともなく村人たちが現れては、口々にカナタの後をついてくる。
「もう……みんな怒られても俺知らないよ?」
「なに、村長も待っているんだから。別に大丈夫でしょ」
「ほんとだ…」
遠くに見える村の中心広場は、監査隊の野営地は既に撤収が終わっており、何台もの馬車が広場の円を描くように止まっていた。
その傍らには、監査隊の指揮官であるトリワーズと話す村長たちの姿があった。
「お待たせしました。」
「おお、やっと来たか。監査隊の準備は出来ているそうじゃ。」
カナタを出迎えた村長は、カナタの後ろを歩く村人たちには触れることはせず、にこやかにほほ笑んだ。
村人たちも襲撃の復興を手助けしてくれた監査隊の面々に近づくと、にこやかに別れの挨拶を始めた。
村長と話していたトリワーズ監査官代理は、カナタの顔を見て顔をしかめたが、「さっさと乗り込め」とぶっきらぼうに答えると、早々に馬車に乗り込んでしまった。
もっと静かな別れを想像していたカナタは、賑やかになった中央広場を傍目に、隣に立つ村長へ問いかけた。
「村長」
「…なんじゃ?」
「俺をこの村に受け入れてくれたのは、初めから使徒だと分かっていたからですか?」
「ふむ…」
カナタにとって感謝している気持ちは変わらなかった。しかし、村長と会うことは下手すればもうないのだと思うと、これだけは聞いておきたくなった。
「正直に答えよう。
お前さんがこの村に来た時に、そうだという確信はあった。」
「そうなんですね…。
魔王の使徒だとしたら、村に置いておくのはマズいとは思わなかったんですか?」
「そりゃあ、少しはよぎったわい。
じゃがの、それが村の
「掟…ですか?」
村長は深くうなずくと、話をつづけた。
「過去この世界は、魔王の侵攻によって滅亡の際までいった。
しかし、今は無き子神たちと、使命に殉じた使徒たちの献身の上に成り立っておる。
我らが始祖インヘリットも、風の使徒であったことは知っておるな?」
「ええ。」
「インヘリットは魔王との決戦の際、生き残ることが出来た数少ない使徒じゃったが、その身代わりとして命を落としたのが光の使徒だったのじゃ。
群風岩の森から唐突に歴史の表舞台へと立った光の使徒は、この世界エレーアボスとは異なる世界。即ち”異世界”から招かれた住人だったと言われておる。」
「えっ、光の使徒が、異世界の人!?」
「見知らぬ土地に飛ばされ、世界のために献身を迫られた彼は、快諾の末、その生を終わらせてしまった。そして、そのことをインヘリットは深く悔いておった。
そのため、この村を作る時に、万が一新たな使徒が現れることがあれば保護するように、掟として子孫たちへと言い残していったのじゃ。」
「光の使徒の”カナタ”さんか…」
「お主がどのような使徒なのか、ワシには見当もつかん。
掟で保護こそしたが、初めこそ魔王の使徒でないかと戦々恐々としていたわい。
じゃがの、この村で奮闘するお前さんを見てな、ワシに限らず多くの者が思った。
使命など関係なく、お前さんに壮健でいて欲しいとな。」
村長の横に立つカナタは、その言葉を聞いて少し身を震わせた。
「『遥か彼方』の村。
王国から遥か遠くのこの地を言い表すこの言葉は、光の使徒であった少年が話す言葉を借りている。
カナタよ。お前さんが何かの使徒だったとしても、世界の命運を左右するほどの使命を帯びていたとしても、お前さんはこの村のただの一員じゃよ。
カナタよ。お前さんがどのような場所に居ても、”ハルカカナタ”のこの地からお前の無事を祈っておるよ。」
村長の言葉を聞いて、カナタはポロポロと大粒の涙を流し始めた。
せき止めていた涙が、別れを惜しむ悲しみとともに頬を濡らした。
村長は優しくほほ笑むと、肩を震わせるカナタの背を優しく叩いた。
「グスッ…なんでみんなそんなに優しいんですか?」
「ワシらは受けた恩を返しているだけじゃよ。
お前さんも、いつか困っている誰かに返してあげなさい。」
「はい。村長、今までありがとうございました。」
「なに、ワシも楽しかったさ。」
「俺もです。」
涙をぬぐい、生気のこもった眼で村長を、広場に集い談笑する村の人たちを眺めながら、深く決意をした。
「…俺、この村を出てからの目的が出来ました。」
「なんじゃ?」
「自分が使徒だとして、俺になんの使命があるのか、何を成せるのか、未だ全く分かりません。
ですが、俺は自分が魔王の使徒でないことを、世界に仇名さない存在であることを証明してみせます。そして、それが分かった日には…いつかこの村に帰ってきてもいいですか。」
「ああ、皆が待っておるよ。」
馬車に乗り込むまでに、カナタの涙は流れ続けた。
泣いている姿を多くの者に目撃され、揶揄され、貰い泣かれ、別れを惜しまれ、今生の別れだとすればなんとも締まらない別れになった。
だが、カナタはそれでもいいと思った。
綺麗な別れでなく、名残惜しさが残る別れの方が、この日のことを長く覚えていられそうだった。
先頭の隊員が吹く角笛の音とともに、都市へと向かう馬車がゆっくりと動き出した。
荷物が多く積まれた馬車の荷台の後ろに乗り、ちぎれんばかりに腕を振っていたカナタは、何かがドスリと荷台に飛び乗った音に振り向いた。
「間に合ったな。」
「ポエラ!?」
荷台の衝撃に後ろを振り向くと、カナタと同じく旅装に身を包んだポエラが立っていた。
「いないと思ったら。」
「長く開けることになるからな。叔母さんたちにしばらくの別れを告げて来た。」
「ねぇ…ポエラは着いてきても”大丈夫”なの?」
その”大丈夫”には多くの意味を込めて、荷台の隙間に腰を下ろしたポエラに向けて問いかけた。
「村長が村からお前を出す条件として、使徒の末裔である私を付けることになった。
前にも言っただろう?お前を1人にはしないと。」
「お家はいいの?」
「家が全壊した一家に使ってもらうことにした。
なに、また戻るときにどうにかするさ。」
「ポエラ。」
「ん?他の村の仕事の引継ぎは全部してきたぞ。」
「ありがとう。」
その感謝は、この村に来てから何度目になるだろうか。
しかし、カナタにとってその感謝の気持ちは、言葉にしても尽きることは無かった。
「どういたしまして、だ。」
にこやかに応えるポエラに微笑みを返すと、カナタはその傍へと寄った。
使徒としての使命も、自身の境遇も、何も分からないままだったが、不思議と何とかなるような気がしていた。
カナタはその日、村を出た。
何時いかなる時も、見上げればそこにあった、遥か彼方の山麗に見送られるようにして。
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1章 完
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