第38話 あなたのかわりは

 カナタはその日、夢をみた

 とても穏やかで、柔らかな朝日に包まれた夢だった。

 遠く遠く、地平線の果てまでを見渡せるような、とても眺めが良い場所にカナタは居た。


(ここは、群風岩の森か…。)


 ヒトの手が入っていない深緑の森の上に、漂う大ぶりな浮き岩たちに、カナタは見覚えがあった。

 そして目の前には、見覚えのある人物がいた。

 遠くの地平線から持ち上がる朝日を背に、表情は見えなかったが、こちらを向いている。

 日の光を受けて、白く縁取られた金色の髪。

 白磁のごとく透き通った四肢。

 くすみ一つない純白の服に身を包んだ少女が、そこには居た。


 カナタは思った。

 彼女を最後に見たのは、いつだっただろうか。 


 カナタは思い出そうと、白霧がかったような思考で一人唸っていると、一文字に結ばれていた彼女の口がゆっくりと開いた。


「…私を、私たちを恨んでいるでしょう。使命だけを押し付けた私たちを。」


 彼女の声色は、山間に響く、野鳥の囀りのように、凛々しく伸びやかだった。

 しかし、何かに負い目を感じているのだろうか、か細くて叱られることを恐れる子供のようでもあった。


 カナタは何の気負いもなく、口を開いた。

 別に構わないよ。本来なら、死ぬはずだった命なんだ。

 生き返らせてもらって、感謝することこそあっても、恨むことはないけどな。


 カナタはこの世界に来てすぐこそ、大いに嘆いて、この境遇にした誰かを恨めしく思うことはあった。

 しかし、自然と口から出て来たこの言葉は、反芻すればするほど本心に近いものだった。


「いいえ、いいえ…死に瀕する肉体を前に、蘇生という対価をチラつかせて、ただ私たちの都合を押し付けただけです。そんなものは、感謝に値するものではありませんよ。」


 まあ、もうなってしまったものは仕方ないんだから。そんなに自分を責めるような捉え方をしなくてもいいと思うんだけどな。


 深い後悔の念を、少女の言葉の端々から感じながらも、カナタはなだめるように答えた。


「いずれにしても、あなたに背負わせてしまったことには変わりはありません。

 もし今後、あなたがこの世界を生きていくなかで、使命を全うすることはできないと、そう思った時には……私はあなたを責めることはしません。」


 そんなに悲観的にならなくてもいいのに。

 

「使命を押し付けておきながら、好きにしろだなんて、勝手な話ばかりでごめんなさい。」


 構わないよ。こっちが恩義だと勝手に思っているんだから。


 少女はこちらの声を聞いてか、少し憑き物が落ちたように苦笑すると、背後に上る朝日を向いた。


 …そういえば、君って。名前なんていうのか聞いてもいい?


「カナタ」


 いやそれは、僕の名前で……。


「あなたに感謝を……救世の使命と、わが祝福をあなたに。」


 えっ…ちょっと煙に巻こうとしないで!!まだ聞きたいことが!!


 背後の朝日が輝きを増して、少女は白光の中に消えていく。

 カナタは手を差し出したが、光の中に飲み込まれて流されていく。


 何もかもを包み込む真っ白な光を、無我夢中でかき分けて、彼女の手を掴もうをして……

 カナタは、いつものベッドの上で目を覚ました。


 そこは自分を軟禁するために拵えられた交易所のベッドではなく、どこぞと知れない牢屋のベッドでもない。

 まぎれもないポエラの家にある自分の寝床の上だった。


「なんか夢見てた気がするけど……まあいいか。」


 一度目を覚ましてしまえば、夢の記憶を留めておくことは難しい。

 カナタは夢の光景が、とても重要なことだったような気がした。しかし、なじみ深い場所に戻ってこれた嬉しさで、次第に記憶から薄れていった。

 

 カナタは、密閉性が高く、上手く開けるにはコツがいる木窓を、慣れた手つきで開け放った。

 大きく開かれた窓から清々しい光と、涼しげな風が差しこんだ。

 窓の外には、山頂を雪で化粧して遠くに連なる山々を背景に、青々とした麦畑が広がるいつもの景色が広がっていた。


「帰って来れたんだな。」


 帰ってこれた実感に少し浸ったあと、カナタは部屋の壁際で舟を漕いでいたカリアトを揺すり起こすと、居間へと向かった。

 居間にたどり着くとすぐに、音を聞きつけたヴィリティスが駆けて来て、目尻に涙を浮かべながら抱き寄せられた。

 食卓の椅子では、マグニフとベキシラフが同じように椅子で眠りこけていたようで、こちらに駆け寄ってくると抱き上げられた。バンバンと背中を叩かれた。痛かった。


 手荒い祝福を受けていると、いつの間にかすぐそばにポエラが立っていた。


 その時、カナタは自分の身体が少し強張るのを感じた。

(ポエラは身を挺して守ってくれたのに、自分はそれを払いのけて監査隊に出頭したようなものだから、ちょっと気まずいな…)


 群風岩の森でポエラと再会こそ出来たが、しっかりと話をしたわけではなく、ポエラに対してどこか後ろめたいものがあった。


 二人の雰囲気を察したマグニフたちに地面に降ろされたあと、ポエラがこちらへとゆっくり歩み寄ってきた。

 カナタは彼女の顔を見ることが出来ずうつむいていると、ゆらりとポエラの腕が持ち上がった。

(ぶっ…ぶたれる…!?)

 頭上まで持ち上がったポエラの腕に、カナタは身を硬直させた。

 強くまぶたを瞑っていても、一向に強い衝撃は現れなかった。

 

(衝撃がこない…?)


 頭上に疑問符を浮かべながら、恐る恐る目蓋を開けると。


「…油断大敵だ。」


 目の前には、親指で抑え込まれ折り曲げられた中指が待ち構えていた。


「ポエラ、騙し…」


 ッバチン!!


「っああああ!!痛ったああああ!!!???」 


 無防備な額に受けた衝撃で、のけぞる様に膝を曲げた。

 そして、情けない悲鳴をあげて悶えながら、くねくねと痛みに耐えた。

 一応、加減されていたが、意識が刈り取られるかと思うほどの凸ピンだった。


「そりゃ勝手した俺も悪いけどさ!!これはひどいんじゃないかなぁ!?」


「弟が姉に逆らった罰だ。甘んじて受けろ。」


 軽くやけどをしたかのようにひりつく額を押さえこんで、カナタは恨めしげにポエラを見上げようとした。

 すると、両手を広げて、覆いかぶさるようにしたポエラの胸元に抱きしめられた。

 なめし革の香ばしい匂いと、深緑の樹海に浸かったような芳香を微かに含んだ、ポエラの温かな香りに包まれた。

 ポエラは数度、腕の中にいる弟分を確かめるように抱え直すと、最後に強く抱き留めた。

 

「すまなかった。お前を守るだなどと啖呵を切っておきながら、結局、私は何もできなかった。」


「なにも出来なかったなんて…、助けに来てくれたじゃん。」


「私は、獣を一匹狩っただけだ。狩人ではあっても、監査隊に連れて行かれそうな弟分ひとり、満足に救うことも出来なかった。」


「いいよ、仕方ないじゃん。村の皆に迷惑がかかるなら、自分が行かなきゃ…」


「バカ者。一人で身を投げる覚悟なんて決めるんじゃない。お前が犠牲になろうとしていて、私が、私たちが何も感じないとでも思ったか?」


「それは…ごめんポエラ。ごめんなさい。」


「お前ひとりでいかせるものか、私はお前の家族なんだ…」


 温かな抱擁に顔をうずめていると、自分が無事に帰ってこれたのだと実感が湧いて来た。

 静かになったポエラの表情を伺おうと、おずおずと顔をあげた。

 凛々しげな眉と、碧い瞳はまっすぐにこちらを見据えていた。 

 そして、その表情は、この村に来てすぐ高熱を出して寝込んだときと同じように、優しく温かい目をしていた。

 

「ただいま、ポエラ。」


「ああ、お帰りカナタ。」


 二人の微笑みを待たずして、両脇からヴィリティスたちが抱き着いてきた。

 

 ヴィリティスには、ポエラと同じように謝罪を受けた。

 気にしないでと言っても、悲しげに本気で悔いるような彼女を見ていると、自己犠牲に奮い立っていた自分が、どこか寒く感じられた。

 マグニフとベキシラフとは互いの健闘をたたえ合った。森の中を必死に逃げ回っていただけなのに、何故だか不思議な達成感が湧き上がってきて、可笑しくて笑ってしまった。


(互いの無事が、こんなにも嬉しいと思えるなんてな。

 俺も家族だって、思ってもいいんだよな。)


 カナタは誰のものか分からない服の裾を少し強く握った。

 振り払われないそのことが、カナタにとってはとても嬉しかった。


 その直後、あくびをしながら下の階に降りて来たカリアトは、居間の様子を見て少し呆けたような顔をした。

 しかし、ぎこちなく近寄ると、気恥ずかしそうに抱き合う輪の中に加わった。

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