第17話 この世界に

 

 夏に入り、田畑を駆け巡る風が暖かくなり、仕事に精を出す村人たちも薄着になってきた頃、地面に着きそうなほど穂を垂らしたわわに実った麦を、収穫することになった。


『よーし、持ち場に分かれたな!奥から収穫を始めてくれ。』


 日頃は別の仕事をしているであろう大人たちも、村中の子供たちも、村の皆が収穫に繰り出されているようだった。 

 

『今年は冬も長かったが、病気もせずまずまずだな。天気が変わる前に、てきぱきと進めようか!』

 鎌で刈り取られた麦を集め、麦束を作り風通しの良い場所へと運んでいく。

 積み上がった麦は乾燥させ脱穀した後、村の中心に運ばれて、それぞれの家庭へと配分された。

 配給を受け取る村人たちに交じってポエラと列にならんでいると、大きな袋に入った麦を受け取った。


「おお…ずっしりと重たい。これでパンを作ったらどれぐらい出来るんだろ。」

『これがカナタと私の一年分の麦だ。丁重に運ぶんだぞ?』

 

 仕事へ向かうときに傍目に見ていた風にたなびく麦たちが、今、手元に収まっていると考えると愛おしいような気がして、取り落とさない様にしっかりと抱きかかえてまっすぐに家路についた。

 

 麦を持ち帰ったその日は特別に、混ぜ物のない収穫した麦だけを使ってパンを焼いた。窯にもなっている暖炉から、芳ばしい香りが家中に広がると、悩ましいほどの食欲が湧いてきてしまい、窯の前でポエラと二人して焼き上がるのをいまかいまかと待ち構えた。

 窯から取り出された黄金色のパンは、一目で見て分かるほどの神々しさを放っており、切り分けられた断面から沸き立つ湯気を嗅ぐだけで、たちまちにもすり傷がふさがり、心身ともに途端に健康になりそうなほどかぐわしい。

 いそいそと席につき、食前の祈りを終えるとそのままかぶりついた。

 

「うっまぁ…うっ…美味しすぎて涙が出てくる。」

『美味しいかカナタ。この恵みを感じて貰えたならよかったよ。』

 

 混じりけなく麦だけで作られた焼き立てのパンは、波打つかのように柔らかく、日向のように暖かで、噛み締めるたびに涙が出るほどおいしかった。 

 珍しく酒を飲み始めたポエラが上機嫌になり、管を巻くように絡まれたが、気にならないほど、幸福で暖かな時間だった。

 

 そのような恵みを与えてくれた麦畑を休めて、大人たちが次の作物の準備をしている間に、暖かかったはずの畑風はすぐに肌寒くなっていった。

 若葉が生い茂り青々としていた山々が、あっという間に淡褐色に変わってしまった頃、村人の中から狩りに出かける者たちが出始めた。

 外套を着こんだポエラも朝早くに出かけるようになり、時には日を跨ぐこともあった。

 ポエラが居ない日は、ヴィリティスに連れられて仕事をするか、ポエラがしていた家の仕事を請け負って留守番をしていた。

「今回は遅くなりそうだな。無事だといいけど。」

 

 数日たった後、ふらりと帰ってきた狩人たちは、丸々と太った猪や、立派なツノを持った鹿、時折、牙や爪を持つ獣たちを狩ってきた。

 獣の皮を剥ぎ、肉は保存食に作り替え、各家へを分配をする。

 何回かの狩りで家の貯蔵庫が食料で満たされてきた頃、村にチラチラと雪が降り始めた。


「うおぉお!!寒い寒い!山から吹きすさむ風がヤバいぐらい寒い!!」


 やぐらを組んで乾燥させていた薪をいくつか家の中に運び入れて、家の中心に置かれた大きな暖炉に火を起こした。あらかじめ掃除をしておいた暖炉から放たれる熱が、寒さで強張り、血流が滞っていた手足を末端から温める。


「生き返る…もう外には出たくない…」

『カナタ、泣き言をいうにはまだ早いぞ。まだ寒くなるんだよ。』

 その日、人は寒さには勝てないことを知った。


 休む間もなくこんこんと降る雪が、積もるのにはそこまでの時間は掛からなかった。寒気を二重になった窓で閉め切り、用事がなければ家の中でひたすらに過ごす日々が始まった。


 ほぼ毎日のように雪が降るため外はいつでも薄暗かったが、たまに晴れた日には日差しを浴びるために外へと出た。

 遥か遠くに見える山の位置は変わらず、雪に埋もれた風景は見知らぬ場所へ来たのではないかと思うほど変わっていた。

 

「じゃあ、外に行ってくるね。ポエラも気を付けて。」


 日が出ているうちにポエラと手分けして家の外で溜まった仕事をまとめて始めた。

 外に組まれたやぐらから薪を家に運び、寝藁を敷き替えて家畜小屋の掃除をする。

 家畜小屋から帰る途中、遠く見ると、屋根に積もった雪を地道に下ろす村人たちがちらほらと見受けられた。

 家に着くと、ポエラが屋根に浮かび上がりながら、同じように雪かき棒を駆使して地道に雪を下ろしていた。

 雪掻きを終え地面に降り立ったポエラは、日頃の精悍な顔つきとは違い、感情のない虚無の表情をしていた。 


「前やってたあの魔法みたいなのでこう…ブワーって吹き飛ばしたりはしないの?」

『…ふふ。そうだな。そうであれば便利だよな…』


 身振り手振りで魔術で雪を吹き飛ばさないのか聞いて見たところ、そうそう簡単な話ではないらしく、無邪気なものを憐れむようなそんな目を向けられた。


 雪かきができないぐらいに吹雪ふぶく時には、ポエラが針仕事をする横で、家にあった本を教えてもらいながら読んで過ごした。

 言葉を習い始めた身には、いささか小難しそうな本しかなかったが、他にやることもなく、地道に読み進めているうちに、簡単な会話ぐらいは出来るようになっていた。


『雨が…降って、大地を…洗い流す。燃える…野原も、静かに…なりた。』

『静かになった、だな。カナタは筋がいいな…。』

『自分、凄い?』 

『凄いし、偉いぞ。もうちょっと読み進めてみようか。』


 昼でも薄暗く、暖炉の明かりだけがほのかに照らす部屋の中。

 じっとしているのは退屈ではあったが、ポエラに手伝ってもらいながら本を読む時間は、不思議と楽しく充実していた。 


 肌寒さを感じていたはずの夏が本格的に恋しくなってきた頃。

 ある日を境に、あれだけ降っていた雪はぴたりと止んだ。


 山から吹き下ろされる風は相変わらず冷たかったが、暖かな日差しは徐々に雪を溶かしていった。

 茶色の地面がちらほらと見えるようになり、冬の終わりが見えてきた頃、溶けていく雪に無性に嬉しくなり、ポエラの静止を振り切って村の中心へと駆けて行った。


「うひょ~!!雪よさらば!!冬の終わりだ!!」


 人の痕跡が全くないまっさらな雪の上を、上機嫌で走り回る。


「春サイコ~!!夏早く来…ぐああああ!!!」


 調子に乗って蛇行しながら走った際に、雪が乗っているだけの溝にはまり動けなくなった。

 それまで浮かれていた熱が一気に冷め、気恥ずかしくなり雪の冷たさに甘んじていると、同じように外に出てきたジィチとベキシラフに見つかり腹を抱えて笑われた。

 その後、助け出そうと近づいてきたジィチとベキシラフも同じく溝にハマり、3人で動けずに困っていると、ちょうど通りがかったヴィリティスに見つけてもらい引っ張り出してもらった。

 3人は顛末を聞いたヴィリティスに、めちゃくちゃ叱られた。

 叱られているうちにジィチはべそを掻き、通りがかった村人たちから笑われてベキシラフは恥ずかしそうにしていた。


 次第に増えてきた日差しで雪が溶けて、村人同士での行き来が本格的に始まった頃、今までどこにいたのか、村中の住民たちが中心部に集まってきて、自然と祭りが始まった。


『厳冬を乗り越えられた喜びを!

 新たなる年を迎えられたことを!

 さあ!皆で祝おうではないか!』


『『『新たなる年を!!!!!乾杯!!!!』』』


 細身の村長からは想像ができないほどよく通る祝いの言葉を聞き、配られた酒や果汁を飲んでいると、広場の中心で、大きな猪の半身が焼き上げられ、村人たち皆で盛大に冬越えを祝った。


『おう元気にしていたかカナタ!

 少し大きくなったんじゃないか?

 今日は祝いの日だ、お前も飲むか?』

 

『おバカ!子供に飲ますんじゃない!!

 アナタが無事に冬を乗り越えられて私もうれしいわ。

 さあ、若いんだからしっかり食べなさいな!』


『おい!舎弟1号!さっきは情けない姿を晒したが…。

 まあ何ということは無い!今年も俺様を崇め尊べよ!』


『ジィチ、情けないって何したのさ?

 いや、今年も二人を見てると楽しくなりそうだね~。』


『お兄ちゃんうるさい…カナタ、今年もよろしく…』


『おおカナタ、息災だったか。

 家でも本を読んで勉強していたとポエラから聞いたぞ。

 勤勉なことは良いことだ。雪解けの後、また教室へと来ると良い。』


『カナタか、さっきは情けないところを見せちゃったね。

 そういえば、兄貴とポエラから読み書きを教えて貰ってるんだって?

 暇だったら僕も魔術をみてあげるから、たまに遊びに来なよ。」


『お~元気だったか?ボウズ。』

『あら!あなた冬を越して少し大きくなったんじゃないの?』

『平パンも焼いたが食べるか?』

『カナちゃんおいで~!おばさんたちと甘い物でも食べましょ?』

『喋れるようになってる…少し怖いぐらいだ。』


 人ごみの中、行く先々で、声をかけられ、食べ物をもらい、頭を無造作に撫でられ、食べ物をもらった。

 喧噪もありうまく聞き取れなかったが、ポエラ相手に練習した簡単な言葉で受け答えると、皆、一通り驚いたあと、頭を撫でていった。

 

「構ってくれるのは、すごくうれしいけど流石に疲れてきたな…

 ん?あの後ろ姿は…」


 人込みの奥に見慣れた後ろ姿を見つけて向かう。

 

「ポエラ、ここに居たんだね。

 誰と話してるの、うっ…。」


『おお、カナタか。ちょうどよかった。』


『おや、見当たらなかったが、ここに居ったかの。』

『…』


 ポエラが話していた相手は、村長と、その妻であるマレッタであった。

 マレッタの鋭い目線を受け、縮こまりながらも練習した挨拶をする。


『こ…今年もよろしくお願いいたします…?』


『なんと、ちゃんと挨拶が出来るようになっとるじゃないか。』

『…今年もよろしくお願いします。』


(ポエラの祖母様、めっちゃこっち見てる…。)


 やましいところはなく、まったく身に覚えもなかったが、マレッタの鋭い眼光に見据えられていると、どこかで粗相をしたような気がして落ち着かなかった。


(雪に埋まったのがそんなにマズかったかな。)

 一か八か、ベキシラフをここに呼んだら責めが分散されないかと、考えていると村長から呼びかけられた。


『おーいカナタ、こちらへ来なさい。』


「ジィチは、流石に可哀そうだな…えっ、はい!」


 村長から近くに寄るように手招きをされ、おずおずとその前へと向かう。


『ポテスタス小司祭から聞いたが、お前さんは大体12歳ぐらいらしいのう。

 この村では子供の齢が10を超えた際に、その家系の長から、成長と健康を祈って贈り物をすることになっとる。

 じゃがの、この村の外からやってきたお前さんは、血縁者がおらん以上、贈り物は本来ないわけじゃ。』


村長は一旦そこで言葉を区切ると、布に包まれた物を取り出しこちらへと手渡した。


『じゃがのう、流石にそれは不憫かと思ってな。

 からの贈り物じゃ。大切に使ってくれ』


「これを…頂けるんですか?」


 差し出されたものをおずおずと受け取ると、ずっしりとした程よい重さと、ほんのりと革の香りがした。


『…ん?

 わしらということは…祖母様、まさか。』


『何か問題でもありましたか?ポエラ。』


『い…いや何もないぞ。』


 傍で話を聞いていたポエラが、まさかと驚いたようにマレッタの方を振り向いたが、一層険しくなったマレッタの眼光の前に、気まずそうに眼をそらした。

 

(いつも朴訥としてるポエラが焦ってるの珍しいな。

 やっぱ、お祖母様ばあさまは怖いんだなぁ…って、

 え?!なんかこっちに向かってくるんだけど!)


 マレッタがゆっくりと傍に近寄ってくると、贈り物を包んでいる布を丁寧に開けると、中に入ったものを広げて見せた。

 

(これは…袋が付いた腰当て?)


 包みに入っていたものは、工具のような様々な道具が収納できそうな腰袋が固定された腰帯であった。

 マレッタはこちらの腰に手を回し、手早く帯を縮めると金具を止めて腰にがっちりと固定した。


「なんかカッコいい。色んな道具が入りそうだ。」


『これは私の工房で作った腰帯と工具入れです。今後、外で作業をする際に使いなさい。』


「あ…ありがとうございます。」


 覚えたての感謝の言葉を返すと、マレッタはこちらを少しだけジッと見据えると、すぐに目線を外して離れていった。


祖父様じいさま、これは一体どういう心変わりなんだ。』


『なに、知らぬところで見ていたというわけじゃよ。ワシもバアさまもな。』


 村長はくつくつと笑うと、カナタの方を向き直った。


『カナタ。慣れぬ土地で日々奮闘するその姿を、村の皆は遠くから見ておった。

 それは時に、疑念の目であったやもしれん。しかし、今となってはこの村の多くの者がお前さんを受け入れて話しかけておる。

 ポエラの後見があったとしても、それは、お前さん自身の努力の結果じゃろうよ。

 ワシらは、これからもお前さんことを見ておるから、しっかりと励むんじゃぞ。』


「村長さん…ありがとうございます。」


 独特の口調となまりで聞き取れなかったが、どうやら褒めてくれたようだった。

 拙い言葉で感謝を伝えると、村長はこちらの肩を軽く叩くと、歩き去ったマレッタの後を追っていった。


『私もお前が来てくれて良かったと思っているよ。

 ありがとうカナタ。』


「うん。僕を拾ってくれてありがとうポエラ。」


 しっかりと固定された腰帯から感じた重さが、今はとても心強く感じられた。


『実は、挨拶でちゃんと食べて無くてな。

 よし、カナタも食べ物を貰いに行こう。』


 お腹をさすったポエラに手を引かれて、再び、宴の中心へと向かう。

 騒ぎの輪に向かう足取りが軽かったのは、贈ってもらった腰帯を皆に自慢できるからだけではなかったと思う。

 

 

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 そうして、また忙しない夏が来て、

 冬越えの準備であっという間に秋が終わり、

 再び耐え忍ぶ冬が来た。

  

 そんな日々を2回ほど繰り返すと、弱々しかった身体は丈夫に育っていった。

 大人たちに混じって働いても息が切れなくなり、少しずつ伸びた背はポエラを越していた。

 ジィチ、ルーア、ジーニとは、今では同じ授業を受けるようになり、家に置かれた本も誰かに尋ねながらであれば読めるようになった。


 日が落ちるまでクタクタになるほど働いて、皆の助けになりながら過ごす日々はとても充実していた。


 その日も、薄暗くなるまで働いて、日向に干してふかふかの寝床に潜り込んで微睡まどんでいると、ふと、ある疑問が湧いた。


「そういえば、何か忘れてる気がするけど…

思い出せないなら、まあいいか。」



 その日、久しく夢を見た。

 

 薄暗く煤けた部屋の中。

 痛みに悶えながら倒れ伏す自分。

 息も絶え絶えに、一心に祝詞を紡ぐ少女。


 そして、静寂。


 怒りに震える、少女の手のひらが、

 こちらの頬に振り下ろされるときに…。


「うわあああ!!!!」


 灯が消えた真っ暗な部屋の中、痛むはずがない頬に手を添える。


「…そうだった。」


 この村に来てから、未だに分からないことばかりだったが、一つだけ思い出せてしまった。


「俺…、この世界を救いに来たんだった。」


 夢かうつつのようだが、目が覚めた今でも明確に思い出せる光景が、それが真実だと告げていた。

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