第16話 助けた理由

『はぁ~今日も疲れた!今日の勉強はおしまい!』


 日が落ちてきて、部屋が薄暗くなったところで、今回の勉強会は解散となった。

 集中が切れていた様子の少年たちは、早々に掃除を終えると、ふざけ合いながら部屋から出て行った。


 足元のずた袋を担ぎ上げ、ポエラ達と一緒に少年たちのあとを追う。

 長い渡り廊下を抜け、薄暗くなった講堂から、玄関である大きな扉を抜けると、外は既に夕方だった。

 正面の広場は夕陽に照らされ、石畳に反射して黄金色に光っていた。透き通るような夕空は、青と茜色に分かたれて、遥か遠くにそびえる連峰まで続いていた。


『それでは今日は解散としましょう。皆さんお気をつけてくださいね。』


『『『ありがとうございました!』』』


 扉の前まで見送りに来た老紳士に手を振り、今日は解散となった。


『おーい。ルーア。迎えに来たぞ!』

『あ!父ちゃん!』


 丁度、仕事帰りの親たちが子供たちを迎えに来たようで、ルーアたちはじゃれつく様にその胸に飛び込むと、こちらに手を振った。


『弟子先生たち!じゃあねー!

 カナタもまた来いよ!!』


 少年たちはこちらに手を振ると、迎えにきた親と手をつないで、仲睦まじく帰っていく。そんな少年たちの後ろ姿をみているうちに、今まで忘れていたことをふと思い返した。


(結局、何も分からないままだけど、僕はどこから来たんだろう?)


 与えられた仕事に追われて、日々を過ごしているうちに忘れ去られていたこと。

 自分は何者で、どこから来たのか。

 

(忘れているだけで、この世界のどこかに親が居て、今も帰りを待っているのかもしれない。親じゃなくても、兄弟だったり、祖父母かもしれないけど。)


 考えにふけって立ち尽くしていると、どこかでこちらを呼ぶ声がしていることに気付いた。


『何をしてるカナタ。家へ帰るぞ。』


 ハッと意識が戻ってくると目の前には、こちらに手をかざし困ったように顔を覗き込むポエラと、隣で様子を伺うマグニフが居た。

 

「ああ、ごめん。待たせちゃったね。」

『勉強のしすぎて、頭が茹でられたかと心配したぞ。ほら、暗くなる前に行こう。』


 細身ながらこちらよりもやや高い背丈の彼女から、手を差し出される。

 気恥ずかしさで少し躊躇ちゅうちょしながらも握り返すと、ポエラは普段は朴訥とした表情に少しだけ笑みを浮かべた。

 空が茜色から群青に変わり、徐々に薄暗くなり始めた帰り道を、家路についた。

 

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「今日一日試してみたが、やはりカナタは何かしらの教育を受けているようだ。」


「そうか。なぜという疑問は尽きないが…。

 やはり、カナタはどこからか連れて来られたと、考えた方が自然なんだろうな。」


「ポテスタス先生も同じ考えのようだ。

 ただな…カナタが使う言語については、先生にも分かりえないそうだ。

 あの方は様々な諸国を旅をされた方だが、記憶の限りではあてはまるものは無いらしい。」


「先生が分からないならば、行商人たちに聞いても望みは薄いかもしれないな。」


 同世代の中で唯一、所帯を持っているマグニフと、途中まで同じ道のりのため、家路につく間、カナタのことについて話し合っていた。


 カナタの身柄を引き受けたポエラを心配し、半ば協力していた叔父一家は、カナタがこの先、村で生活が出来るように手助けをしていた。

 カナタの仕事ぶりについては、心許ないものはあったが、本人はいたって真面目に働いていること、これからの働きに期待を込めて、この村に受け入れることにした。

 そのため、村人たちへの示しも兼ねて、村人たちが一度は受ける子神教での洗礼を、カナタにも受けてもらうことにしていた。

 また、カナタはどこかの国から連れてこられたのではないかと考えたポエラ達は、彼の故郷についての手がかりを求めて、若かりし頃に巡礼の旅に出ていたポテスタス小司祭であれば、何か知りえるかもしれないと考えていた。

 

「先生曰く、言葉については分からなかったが…

 一度、算術をさせてみたら、既にジィチたちよりも簡単にこなしていたようだ。」


「そうなれば、どこかの商家の出身か。

 だとしても、何故、聖森に居たのかが分からないな。」


「わざわざこんな遠くまで来る理由が、な。

 明らかに労力と合っていないだろう。」


 ポエラ達が暮らす村は、ヴィルミナリア王国の一部に属していたが、一番近くに存在する街、ましてや地方都市から見ても辺境の、遠く東に進んだ森の中に存在する。

 さらに”聖森”と呼ばれる場所は、山道すらない深い森と、険しい山岳地帯を進んだ先、人の手が届かない獣たちの領域にある。

 また、聖森より東と北側は、万年雪に覆われた連峰がそびえる氷雪帯になっているため、わざわざそちらから向かってくるとも考えられなかった。

 馬車であればまずまともに動かないであろうような場所にカナタがいた理由。

 いまだに。ポエラ達にとっても未だに不可解な謎の一つであった。


「それにしても、よくカナタを引き取ろうと思ったな。

 俺も一緒に連れてきた手前、言うのはアレだが…。

 身受けをするにはちと不気味過ぎる。」


「私も流石に考えたさ。

 まさか、言葉が喋れないとは思わなかったがな。」


「それは、誰にも予測は出来んさ。ただ、一つ確認なんだが。

 村を出る前に村長じいさまと話していたようだったが…

 ポエラが何かしらの指示を受けていたという訳ではないんだな?」


 マグニフに問われ、ポエラは少し逡巡した。


「いや…指示らしい指示はなかったんだ。

 しいて言うなら、最近、森の様子がおかしいから、何か異変を見つけたら、無理はせず帰還するように言われていたぐらいだ。

 流石に、人を拾ってくるとは、想像していなかったようだったぞ。」


「そうか。そうなると、謎だけが増えていくな。」


 薄暗くなりつつあるあぜ道を、側溝の縁にそって歩くカナタを見ながら、マグニフはその無防備さの裏に何かを隠し持っているのかと目を細めたが、側溝に落ちそうになっているカナタをみて、それは無いなと振り払った。


「そういえば、最近変わったな。」


「変わった…カナタが?」


「いや、お前さんだよ、ポエラ。

 今までは、その、張り詰めていたような気がしたからな。」


「なるほど…心配をかけたか。」


「ああ、母さんは、特に気にかけていたよ。

 今まで親父さんと二人で暮らしていたんだ。誰だって身持ちを崩すだろうさ。」


 夕陽が落ちてくると、麦畑を通り抜ける風は、夏と云えどもやや冷たさを感じさせる。

 麦が風に揺れる音と、か細く鳴く虫の声だけが、しばらく3人を包んでいた。

 暫くの沈黙の後、マグニフが問いかけた。


「なあ…、違うのであれはそう言ってもらって欲しいが。

 やはり、カナタを受け入れたのも、親父さんが関係しているのか?」 


 マグニフの問いに、ポエラは少し驚いたような顔をした。

 しばしの沈黙のあと、少しほほ笑むと独りごちるように話し始めた。


「おばさんたちは既に気付いていただろうが、私はやはり落ち込んでいたんだろうな。

 殺しても死ななそうなあの気丈夫が、まさか、別れを告げる間もなく亡くなるとはな。正直、まだ、飲み込めていなかったんだ。」


「いつもより帰りが遅いものだから、父さんを家畜小屋まで迎えに行ったら、積まれた藁に倒れ込んだまま、寝てるように逝っててな。

 突然すぎて、まったく飲み込めなかったよ。

 今までいた奴が居ない。それだけのことなんだがな。」


「なぜ、カナタを受け入れたのか。

 最初は、祖母様ばあさまの言い方にカチンときたのもあっただろうけど、

 正直、あの場では自分でもよく分かっていなかったんだ。」 

 

「熱を出して苦しんでいるカナタを見ていて、自分が、父に看病されたときのことを思い出したんだ。

 感傷もあるんだろうけれど、私は…多分、もう返せなくなった父の恩を誰かに返したかったんだ。

 カナタが何者だからというわけではなく、私は私のために、カナタを助けたんだよ。」


 ポエラが話終えると、ほとんど沈み切った夕陽が微かに空を紫色に染め、辺りは薄暗くなっていた。

 少し前を歩いていたカナタも、ポエラ達の傍らに立ち、神妙な空気を察してか、じっと二人を見つめていた。

 

 

「師匠はいつも、俺ら3人に言っていたな。

 “その力、その修練は自らのためではなく、誰かのために使え

 誰がために、力を奮うか。それを曇らせるな“と。」


「ちゃらんぽらんとしていた奴だが、あんなのでも師であり、父親だったからな。誓いは守るよ。」


 ポエラが隣に目をやると、こちらを見上げるカナタと目が合った。

 その頭をくしゃくしゃに撫で上げながら話しかける。


「慣れない仕事でも、与えられれば懸命に遂げようとするいい子だ。

 手は掛かるが…お前が来てから毎日が楽しいよ。

 あの日、うちに来てくれてありがとう。カナタ。」


「ア…アリガトウ?」


 たどたどしくも、今日習ったばかりの言葉を返すカナタを見て、ポエラはふふふと笑う。


「ああ、ありがとう、だ。」


 ポエラが見上げると、銀砂を振りまいたような星空が広がっていた。双子の半月は、まっすぐと伸びる我が家への道のりを明るく照らしている。

 月光に照らされて、3つの影が長く伸びながら静かに揺れていた。


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~マグニフと別れる前~


「ああ、そういえば、カナタだがな。」


「何かあったのか。」


「こいつ、ジィチから舎弟って呼ばれてたぞ。」


「…」


 ジィチはわんぱく盛りの少年だったが、妹もいるため何かと面倒見がよい。しかし、年相応に助長するところがあった。

 カナタはポテスタス先生の見立てでは10~11歳ほどだが、年長のジィチはついこの間8歳になったところだった。

 3歳ほど年下の舎弟となってしまったカナタ。


「カナタ…負けるんじゃないぞ。」


「アリガトウ?」

 

 不思議そうに首をかしげるカナタからは、恐らく分かっていないような感謝の言葉が返ってきた。

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