第9話  はじめてのおしごと

「解決…したのかな?」


 ポエラと髭面の大男が話している間、言葉が分からない以上、口を挟むこともできず、黙ってその生末を見守っていた。

 すると、どうやら二人の間で話が着いたらしく、満足そうに微笑むポエラを傍目に、大男がため息をつくと椅子からゆっくりと立ち上がった。


「ジィーア、カナタ。」


 男が案内をしてくれるらしく、こちらに手招きをすると、近くの扉から外へと出て行ってしまった。


「これは、着いて来いってこと?」


 横に立つポエラの方を見ると、彼女はどうやら同行しないらしく、男の後を追うように促された。


(付きっきりで看病してもらってたけど、そりゃ、ポエラにもポエラの仕事があるよね。)


 まったく言葉が通じないこの村で、唯一の顔見知りであるポエラの元を離れるのは正直不安だった。

 しかし、ずっと彼女の世話になっているわけにもいかない以上、意を決して男の後を追う。


「じゃあ、行ってくるね。」


 別れ際、手を振ると、ほほ笑むポエラに見送られながら作業場を後にした。


 外に出ると、建物の周囲には、いくつかの木造の建物が立ち並んでおり、大きさも構造も様々で、それぞれ異なった作業を行っているようだった。

 男は、すぐ隣の一回り大きな建物に入っていったので、はぐれない様に急いで後を追った。


「薄暗いなこの建物…うっ!なんだこの臭い!?」

 

 窓が限られているのか建物の中は薄暗く、暗がりで誰かが作業をしている気配だけが感じられた。

 中に踏み入れると、刺激臭とまではいかないが、甘く渋い独特な臭いが充満しており、咄嗟に口鼻をふさぐ。


 「何かが腐った臭いとまではいかないけど…慣れないな。」

 

 暗さに眼が慣れて周囲を見回すとそこは、大きな木製の柱が幾つか立っているだけの壁や仕切りのない吹き抜けになった作業場が広がっていた。

 床には大人が手足を広げて入るほどの円状の穴が等間隔に開いている。そしてその中には茶色や黒色、オレンジ色など、やや濁ってはいたが、色付いた液体が入っていた。

 どうやら臭いの正体は、その穴に満たされた液体からしているようだった。

 吹き抜けの室内を風が通るたび、その匂いが強く感じられた。

 

 口で息をしながら室内を見渡すと、奥を歩く大柄な男の姿を見つけ、濁った液体が入った穴には落ちない様、気を付けながらその後を追う。


 「何かが沈んでるな。濁ってて良くわかんないけど…」


 円形の水槽には、布状の物体が沈んでいるようだった。

 職人が長い棒のような物で攪拌させるたびに顔を出すそれらは、どうやら濁った液体と同じ色が付いてた。


「何を…作ってるんだろ。僕が記憶を無くす前だったなら、分かったのかな?」


 歩きながら記憶を辿ろうとしたが、思い返されることもなく、慣れない臭いで気分が悪くなりそうだったので、やや小走りで前を歩く大男を追った。


 再び室内を抜けると、今度はとても風通しの良い建物の下に出た。


 「風通しがというより…そもそも、この建物、壁が無いな?」

 

 窓どころか壁もなく、屋根はあったが、建物の2階は棒が幾つか交差しているだけで床板がなかった。  

 梁から丈夫そうな縄が架けられており、そこには平べったい布状の物が均等に吊るされていた。


 濃緑色や黄褐色、臙脂色に染まったそれらは、山からの吹き抜ける風を受けて揺れている。少し前、森林を歩いた際に嫌というほど見た、大樹の葉や幹、苔むした表土を彷彿とさせた。

 

 「なるほど。水槽に沈んでいたのは、全部これなのか。」


 森から吹く風で吊り下がったそれらが揺らされるたびに、さっきまで居た薄暗いあの部屋の臭いが微かにした。

 布にしてはやや厚みがあるそれは、端には鉄製の輪っかが付けられており、しっかりと張られた状態で縄につられているようだった。


 「乾燥させてるみたいだけど…布じゃないな。

  表面はつるつるしてるけど、どこかで見たことがあるような…?」

 

 吊り下げられているそれらに既視感を感じていると、ふと、森の中で出会ったポエラ達の服装が思い出された。


「ああ、これ革か。じゃあ、ここにあるのは全部そうなのか。」


 薄暗い巨木の森で、ポエラ達が身に着けていた装備を思い出す。

 草木の鋭利な棘や、刃先の様に尖った岩肌にも負けない、丈夫そうな手袋や靴。

 浮き岩を駆けるたびに、風を受けて滑らかになびく外套。

 彼女たちの装備は、ここにある革を用いて作られたようだった。


 「あそこの工房で作っていたのは、革で出来た道具だったんだな。」


 職人たちが担ぎ上げていた筒状のもの。作業台の上で切り出されていたもの。それらはこれから装備になる革だったようだ。


 濃緑に色付いた革が風に揺れるたびに、括りつけられた鉄製の輪からギシギシと軋む音がした。

 浮き雲の隙間から覗く日差しを受けて、艶やかな表面が光沢を帯びて輝き、反射した光が天井と梁を明るく照らしていた。

 

「って、見とれてる場合じゃなかった。」

 

 ふと視界の端に、不機嫌そうに腕を組んで立つ大柄な男の姿が見えて、意識が現実に戻ってきた。

 風を受けてきらめきながら波打つ皮革を横目に、奥の方で待つ大男の方へと駆けだした。


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『お前にも出来そうな仕事と言ってもな…。

 正直そんな細腕じゃあ力仕事も務まらなさそうだしなぁ。引き受けたはいいがどうしたもんかな。』


「…なんて言ってるか分からないけど、面倒臭いって思ってそうだなこの人。」


 工房を離れてから、程々に均された林道を通ってどこか別の場所へ連れられていた。


 前を歩く男は、汚れた前掛けと野良着の間に片手を突っ込んで、時折、悩むように唸ると、ボリボリと頭を掻いていた。

 最初は工房で何かしらの仕事が与えられるのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。村からはどんどんと離れて、辛うじて道が出来きている雑木林を進んでいく。


『お前さん、カナタって言うんだって?』


 唐突に男に話しかけられるが、聞きなれた単語以外は何も分からなかった。


「えっと、今、カナタって言った?そう、名前はカナタって言うんだって。」


『あぁ、そうかい。お前さんにはもったいない名前だな。』


「えっと?」


 言葉が分からず困惑していると、男は意地が悪そうにニヤりと笑い、こちらの頭を無造作につかむとワシワシと振った。


『ウチの姪御が付けたんだ。泥塗るような真似するんじゃねえぞ。』


 粗雑に頭を揺り回されて、たまらず男の手を引きはがした。

 クラクラする視界の中、非難するように男を凝視したが、男は気にする素振りも見せず、そのまま先へと行ってしまった。


「急に…何すんだこのオッサン。病み上がりの身体にはキツイんだけど。」


 めまいも落ち着いた頃、乱暴な扱いに恨みがましく背中をジトりと睨みつけたが、それ以降は特に話しかけられることはなかった。

 それからしばらくの間、隘路を歩いていると、徐々に木々がまばらになってきたところで、どうやら目的の場所に着いたようだった。


「この木って、あの森にあったやつだ。」


 以前見たものに比べればやや年若いもののようだったが、そびえるように立ち並ぶその様相は、この世界で目覚めた際に、初めて見た大樹のそれだった。


「人が集まってるみたいだけど、今日は、ここで仕事をするのかな。」


 その木の根元に何人か居たが、見上げると上の方の枝で、何かしらの作業をしている者もいるようだった。


「まさか、今からこの木を登るとか言わないよね…?」


 ふと、良くない想像をしてしまい背筋を嫌な汗が伝ったが、元より拒否する選択肢はない以上、男の後をトボトボと着いて大樹の根元で作業をしている集団へと向かった。

 どうやら、根元から離れたところに数人が集まり何かを相談していたようだった。近くによると、その内の一人は女性であり、その姿には見覚えがあった。

 袖の長い服に頭巾を被り、束ねた髪を後ろから流して、数人と何かを相談しているようだったが、こちらに気付くとその輪から抜けて歩いてきた。


『あらアナタ、今日は久しぶりに工房に籠れるって、あれだけ言ってたのに。

 ここに来るなんて珍しいわね…って、やだ、その子を連れて来ちゃってどうしたのよ?』


『ポエラに頼まれたんだよ、こいつの仕事の面倒を見てくれって。』


『ああ、そういうこと。

 この前、私が言ったのよ。元気になったのなら、家の中でジッとさせてないで外に連れ出してあげたらって。』


『そうか…じゃあヴィリティス、君の差し金だったんだな?

 久しぶりに一人静かに、なめし終わった革を切り出せると思っていたのだがな。』


『まぁまぁ、そうウジウジしないの!

 夏の商談もまとまったことだし、あとは秋に向けて製作していくんだから、時間はまだまだあるわよ。』


 カナタは会話の内容こそ分からなかったが、恨みがましそうにしている男と、意も介さず笑い飛ばしている女性を見るに、この二人は家族のようだが、力関係は女性の方にあるようだった。


『じゃあ、連れてきたってことは、ここで仕事をさせようって訳ね、いいわよ。

 どうやら、私が提案したようなものみたいだし、何かしら仕事を見繕ってあげるわ。』


『そうか、助かる。工房での仕事は今のところ、荷運びみたいな力仕事ばかりなんだ。こいつに手伝わせても良かったんだが、子供には流石に酷だろうと思ってな。』


『まあ、ここならこの子にも出来そうな仕事もあるでしょうし、工房よりはいいでしょうね。』


『そうだろう?

 じゃあ、ヴィリティス、後のことは任せた。』


 男はそのまま、元来た道の方に向き直ると、手を掲げて帰って行こうとした。


『あら、カリアト。どこへ行くの?』


 しかし、女性から噴き出た心寒うらざむい声と雰囲気に、帰ろうとしていた男が凍り付いたように身をすくませた。


『まさか工房恋しさに、ほっぽり出して帰るなんて、言わないわよねぇ?』


『いや、だって…』


『だってもクソもねぇ!!てめぇが受けた頼み事だろうが!!

 ものぐさがって放り出すって…そんなこと言わないわよね?』


『はい。』


 屈強な身体をまっすぐと逸らせ直立した姿は見上げるほどに高かったが、小柄なはずの女性の前では縮こまって見えた。


(怖ぁ…漏らすかと思った。)


 突然の怒号に危うく催しかけたかけていたが、帰ろうとしていた男がトボトボとこちらに歩いてきたところを見るに、二人がここで何かしらの仕事をくれるようだった。すると、いつの間にか目の前に移動していた女性が、肩に手を置くとこちらをのぞき込んだ。


『ねぇ貴方、理解できてるかどうかは分からないけれど、もし働くというのならば、浮ついた気持ちで臨んじゃ駄目よ。…いいわね。』


「よ、喜んで。」


 先ほどと比べると荒々しさは無いが、えも言えない凄みを女性から感じて、言葉の意味は分からなかったが咄嗟に答えてしまう。


『うん!脅す様な真似して悪かったわね。

 あなたにやる気があるなら、私も喜んで協力するから頑張んなさいよ!』


『俺は帰りたいなぁ…?』


『何か言ったかしら。』


『イエ。』


 女性について来るように促され、萎れてしまった大男と共に大樹の元へと歩いていく。まだ、どんな仕事が待ち受けているのか見当もつかなかったが、既に一つ学んだことがあった。


(この人には逆らわんとこ…)


 この村で平穏に過ごすためには、歯向かうべきではない人が居ることをカナタは知った。

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