第8話 面接
『ふむ、だいぶ回復したようだな。』
「えっと、どうも…?」
自分よりも頭三つは背高いだろうか、
目の前には、使い込まれた野良着に身を包んだ大男が立ちそびえていた。
つむじの上から値踏みするような男からの視線を感じながら、
(なんで、こんなことになってるんだろう…)
機嫌がよさそうなポエラに連れていかれたのは、村の中心を抜けて沢に架かる橋を渡った先にある作業場のような場所だった。
職人たちが黙々と作業をする中、ポエラに案内された一角には、ひと際、屈強そうな男が、武骨な小刀を片手に、厚手の何か布のようなものを切っていた。
(この人、どこかで見たな...)
作業をしている男に対して、どこかで会ったような既視感があった。
しかし、この村に来てからはずっと、高熱で意識が朦朧としていたため、のど元までは出かかっていたが、どうにも思い出せずにいた。
近づいてきたポエラに呼ばれ、男は手に持った小刀をピタリと止めると、こちらに向き直った。
のそりと動き出した男は、最初にポエラの方を一瞥したが、傍らに馴染みがない少年が立っていることに気付いたのか、敵意とまではいかないが、威圧感のようなものを飛ばしてきた。
男から受けた急な圧力に、身を固まらせていると、ゆらりと立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた屈強な男に、気が付くとひたすらに眺められていた。
(ああ、思い出した。最初に、連れてこられた部屋に居たよ、この人。椅子に座ってた方の男の人だ。)
靄がかかっていた記憶の隅に、どこか似た風貌の男が、椅子に座っていたことを思い出した。
(ポエラの知り合いだったか。そういえば、寝かされてるとき、部屋の外にこの人が立っていたような気がする。どうやらこの人にも世話になったっぽいな。)
行き倒れ待ったなしの所を救ってもらって、一宿一飯の恩がある以上、ずっと下を向いているのもいかがなものかと思い、はぐらかす様に逸らしていた目線を、意を決して恐る恐ると上げた。
窓を背に逆光となっている男の顔は、深い影で表情が読めず、濃い緑色の瞳だけがくっきりとこちらを見つめている。
なんか、普通に怖くなって、視線を逸らした。
(いや、この人めっちゃ怖いんだけど…。
連れてこられて、なんでこんなに睨まれてるんだ?)
大男はしばらく物色するように観察を終えると、満足したのか、隅に立てかけてあった椅子をむんずと掴み上げると腰をかけた。
『あれだけくたびれていた子供が元気になったのはいいことだ。
だがポエラ。なんの用でここまで連れてきた?』
『調子を取り戻したなら、子供が寝てばっかりというのもどうかと思ってな。
こいつは見たところ線は細いが、まだ若い。できれば何か仕事を与えてくれないか。』
ポエラから何かしらの提案を聞き届けたらしい男は、あごひげをさすりながら肘をつくと、嫌そうな、悲しそうな何とも言えない顔をした。
(…これはなんとなく分かる。困ったなって思ってるときの顔だ。
雲行きが怪しいけど、これ大丈夫?急に叩き出されたりしない?)
男の態度からわずかな苛立ちを感じて、おずおずと不安げにポエラの方を見る。
目が合った彼女は、まぁ任せんしゃいと自信気に頷いたが、二人の間に飛び交うバチバチとした空気を感じて、少し不安になった。
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姪のこちらを見据えて懇願するような目線を受けて、カリアトは困ったようにため息をついた。
義理の祖父である村長から引き継いだ仕事が一段落し、今日は一人で静かに革の裁断しようと、厳めしい顔に似合わず微笑みに満ちた顔で、工房の隅の作業台に向かっていた。
そんな矢先、最近はあまり立ち寄らなくなっていた姪が、元気を取り戻したらしい居候の少年を引き連れて、作業場へとやってきた。
久しぶりに巡ってきた貴重な一人の時間だったが、カリアトはそのひと時が脅かされそうになっていることを理解した。
どのように断ろうかと思案していたが、自分も看病した少年が、短期間でかなり回復していることに気付き、その状態を確かめるために近づいた。
縄で拘束されていた時に比べて、だいぶ血色がよくなっており、相変わらず線は細く、魔素の流れは一向に感じなかったが、身体自体は健康そのもののようだった。
(正直、そのまま死ぬだろうと思っていたのだが。
どうやら、ポエラの看病は、無駄ではなかったようだな。)
妻からの指示で、ポエラが休んでいる間、少年が部屋から逃げ出さない様に、見張りとして部屋の前で陣取っていた。しかし、逃げ出すどころか、部屋の中では、身じろぎする音すらほとんど聞こえず、枯れたような咳がまれに反響する程度だった。元より、看病に賛成する立場ではなかったが、いつか、そのまま力尽きるのではないかと思うと、少年を不憫と感じざるを得なかった
しかし、今の少年の壮健さ見る限り、息子たちと自分の睡眠時間と、姪の献身的な看病の甲斐はあったようだった。
姪の苦労が報われたことは素直に嬉しかったが、これから、来るであろう話を考えると、どうしても気が重たかった。
「叔父さん。こいつを働かせてはくれないか。」
姪の申し出を聞いたカリアトの脳裏に浮かんだのは、冷たい表情をした義理の母親であるマレッタの顔だった。
マレッタは村長の妻であり、革職人としての師匠であり、年を重ねてなおこの工房の主として君臨する、職人たちの長であった。
狩人たちが仕留めてきた獣の皮をなめして、質の高い
そのため、1人の職人としても、そしてもれなく、婿養子としても、カリアトは、義理の母親であるマレッタには頭が上がらなかった。
極寒の吹雪をもたらす山嶺を思わせるような彼女の冷たく底知れない威圧感と、こちらの迷いを見通すような、紅蓮の夕日にも似た赤い瞳を思い返して、カリアトは鍛え上げられた筋肉質の身体を小さく震わせた。
「正直…気は乗らないな。細かな仕事があるにはあるが、別にすぐに必要と言うわけではないのでな…。」
「安心してくれ叔父さん。
祖母様は、好きにしなさいって言ってたぞ。」
「…そうか。」
こちらの心情を慮って、気を利かせてくれた姪の配慮は身に染みるが、祖母を恐れ怯えていると実の姪に見透かされているその事実に、叔父の尊厳としてはやや悲しいものがあった。
悲しくも渋い顔をしていると、ポエラは真剣な面持ちでこちらに向き直った。
「頼む叔父さん。どんな仕事でもいいんだ。今のこいつは頼れるものもなく、ただ一人なんだ。なんの役割もなく、言葉も分からない場所で、一人手持無沙汰なままで居るのは、とても辛いことだと思うんだ。」
元より、生真面目な性格の姪だったが、家族としてもしばらく見なくなっていた真剣な面持ちをしていた。
姪の真摯な訴えを聞き、カリアトの中で何か揺らぐものがあった。
「ずっと誰かの世話になるわけにもいかない以上、自分一人でも生きて行けるようになる必要があると私は思うんだ。どうか、人助けだと思って頼まれてくれないか。」
正直なところ、仕事を無理に与えようと思えば与えることは出来たが、それも、小間使いのような雑用が主であり、言葉が通じない少年がどこまでできるのか、カリアトが頷くにはあまりにも不安が多かった。
「私をあまり困らせてくれるな、ポエラ…」
「カナタ、お前も働きたいよな?」
『…え?あ、はい!』
唐突に、『そうだな?』と、ポエラから同意を求められた少年は、驚いたように、訳も分からず取り合えず頷いているようだった。
「ん?ちょっと待て」
そこで、カリアトは少年がいつの間にか、知らぬ名前で呼ばれていることに気が付いた。
「カナタというのはそいつの名前か。」
「ああ、さっき名付けた。
我ながらいい名前だと思うんだ。」
ポエラの家で看病されている時は、もっと別の名前で呼ばれていたような気もしたが、どうやら、姪は行き倒れた少年に名前を与えていたようだった。
いい名前だろうと、凛々しくも自慢げな姪の表情を見て、カリアトは彼女の父親であるマレトロの顔をふと思い出した。
ポエラの父マレトロは、村長の実の息子であり、カリアトの妻ヴィリティスの実弟であった。
生まれて間もなく母親を病で亡くしたポエラは、当時、優秀な狩人であった父親と二人で寄り添うように生きていた。
ポエラが歩くこともおぼつかないほど幼い頃は、同じ時期に生まれた息子のマグニフやベキシラフと一緒に、ヴィリティスが実の娘の様に面倒を見ていた。
叔父であるカリアトも一緒になって世話をしていたが、ある程度、成長してからは、狩人であったマレトロに連れられて森へ狩りに出かけるようになった。
村一番の狩人でもあったマレトロの指南を受けたポエラは、経験と年を重ねるにつれて、村の大人たちと比べても遜色のない狩人としての技能と、年若いながら頼もしさすら感じさせる冷静さを身につけていった。
成人の手前、齢が17となった時、その立ち振る舞いは、既に一人前の狩人と言っても過言ではないほどに成長していた。
しかし、最近の姪は、家族同然の長い時間を過ごしてきたカリアト達から見ても、異様なまでに大人びて見えるようになっていた。
それは昨年の晩秋に、母親に続いて、父親であるマレトロを喪ったことが関係していた。
彼を弔う葬送の儀の際には、村人たちだけでなく、隣村の友人たちや、取引先の商人や役人たちが駆け付けた。
精力的に
両親を亡くしたポエラは、決して悲しむ姿を見せることもなく、毅然として父親の葬送の儀をやり遂げた。偉大な父親の面影を感じさせるポエラの佇まいに、多くの参列者たちは敬服と称賛を述べていた。
しかし、幼い頃の彼女を知るカリアト達は、泣くこともなく、気丈にふるまうその表情に、どこか影が差していることに気付いていた。
長く一緒に暮らしていた姪が、父親の死と徐々に向き合おうとしていることを察してからは、時には手厚く構いつけ、時には彼女だけの時間を作って、姪の中で折り合いが着くように見守っていた。
そんな姪が久しぶりに、従兄弟たちとじゃれ合っているような、幼かったあの頃を彷彿とさせる無邪気な笑顔を見せていることに気が付いた。
父親を弔い、悲しくも孤独な冬を越してから、久しぶりに見た朗らかな笑顔だった。
カリアトは、ほほ笑む姪の横で困惑した表情で立つ少年を見ると、深く、静かに、息を吐いた。
『分かった。ここでしばらく面倒をみよう。
しかし、すぐに根を上げるようなら無理だ。それでもいいな?』
『ああ、感謝するよ、叔父さん。良かったな、カナタ。』
落ち込んでいた姪が、前向きになったきっかけとなったのであれば、無下に扱うのも躊躇われた。カリアトは居候の少年の面倒を少しの間、みることに決めた。
どこか、腑に落ちないような、釈然としなさを感じながらも、呆然としている少年の背中をにこやかに叩く姪の姿を見て、それでも良いかと思い、工房を案内するため、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
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