第3話 重い足取り

「だるい…結局歩くことになるんだな。」


 無限に感じられるほどの空中遊泳の末、なんとかケガもなく地上に戻ってくることができた。

 無事に降り立ったのも束の間、少しの休憩と荷物の整理の後にすぐに歩き出すことになった。


「うぉ…なんかまだ揺れてる感じがする。」


 急激な上下運動を長時間を受けたせいか三半規管の調子が戻らず、踏みしめるたびにフワフワした違和感が続いていた。

 空中ではあれだけ恋しかったはずの地面は、どこか他人の様によそよそしく感じられる。


 威圧感に満ちた樹海から比べると少しは穏やかな場所ではあったが、目の前の道行を見る限り、険しい山道が続くことには変わりはなさそうだった。


 自分を担ぎ上げていたはずの外套の女も含めて、3人はさほど疲れも見せずサクサクと歩いている。

 地面に降り立った時に若干縄を緩めてくれたけれども、見張られたまま連れていかれるのは変わらないらしく、縛られた縄の端を握られたままトボトボと坂道を下っていく。


 森の雰囲気が変わり警戒が薄まったのか、男達二人は時折簡単な会話をするぐらいまで隊列が縮まっていた。

 緩くとも高低差がある山道に悪戦苦闘する少年一人、そこまで危険性は無いと踏んだのだろう。

 女も返答する内容は簡潔ではあったが、山中を歩いていた時ほどの緊張は声色から感じられなかった。

 しかし、必ず一定の距離を保ち、警戒されている気配をうっすらと背中に感じる。殺気すら感じていた最初の方に比べると、幾分和らいだものだが。


 似たような草木と地面が続く景色の中、幾度か休憩を挟んだ。

 固めに焼かれた麵麭のようなものをもらったり、催してきてそわそわしている所を、気を利かせてくれた男のうちの一人に小便に連れていってもらった。


 正直な所、そこでしろとか言われなくて本当に良かった。

 縄を外してくれと身振り手振りで伝えたがうまく伝わらず、一気に下着ごと引きずり降ろされたときは変な声が出たけど。

 笑うなよ、おっさん。悪い悪いじゃないが。


 道中、何かしらの動物を見かけることがあった。

 緑色の羽をした地を駆ける小柄な鳥達の群れ。

 丸みを帯びた耳と手足をした、かなりずんぐりとした犬のような生き物

 番だったのだろうか、ほっそりとした長い手足に2匹並んだ角を持つ獣

 どれもこちらを見かけると走って逃げていくような、温厚な生物たちのようだった。


 似たような木々の中を無言で歩き続けていると精神が暇を持て余して、ついさっきまでいたあの樹海のことを思い出す。


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 最初の記憶は、月明りがほとんど遮られた、漆黒の闇の中だった。


 後頭部の湿り気と肌寒さで目を覚まし、自分が夜の森の中にいることを理解するまで少し時間がかかった。

 目が慣れてきた頃、周囲から獣と鳥の鳴き声が反響する暗闇の中はすさまじく不気味で、茂みが風で揺れる音で飛び上がるほど驚いていた。


 暗闇で一人でいる恐怖に身動きが取れず大木に寄りかかって震えていると、大木に遮られた遠くの方がうっすらと明るくなっている。

 暗闇を歩く恐怖はあったが、身を隠すところもない木の傍でじっとしているのも恐ろしい以上、一縷の望みをかけて周りの木を伝いながら歩いた。

 仄暗い闇の中、近づくほど明かりが強くなっているのを感じた。

 最初は人がいればいいなという希望的観測だったが、森を反響する獣たちの声が自分を取り囲んでいるような不安に駆られ始めてからは、人がいないと困るという願望じみたものになっていった。


 盛り上がった丘の向こうに明かりの元がある、少しの期待と安堵に身を緩ませた時。

 ふと何かに後ろから睨まれているような感覚があった。

 そうなったら、もう、後ろは振り向けなかった。

「ヤバい、怖い、ヤバい、ヤバい。」

 普通に情けない声が漏れた。

 その時は頭の中が恐怖と混乱で支配されていたことを覚えている。

 丘の向こうがどうなっているのか確認することもせずに、急な坂を飛び上がるように乗り越える。

 頂点を登り切って足をかけたときに、身体が支えを失って落下した。丘の先が崖になっていることに気付けなかったのだ。

 幸い高さはそこまではなかったので、節々を擦りむく程度で済んだ。

 しかし、恐怖に震えあがった精神は、急な衝撃を受けて情けなくも気を失ってしまった。


 薄れゆく意識の中、明かりの方に数人の人影が見えた。

 一人がこちらに歩いてくるところで、景色が暗転した。


 次に目覚めたとき、目の前で焚火がくすぶっていた。

 仰向きになり空を見上げると、明け方なのだろうか木々の隙間が青く明るんでいた。


 身体を起こそうとしたが、うまく動かない。


 寝ぼけた頭で再び横を向くと、外套に身を包んだ誰かがこちらを眺めているのが分かった。

 そして自分の手足が今縛られていることも。


「え、何」


『アィクー』


 外套の中から声が聞こえた後、死角で誰かが立ち上がる音が聞こえる。

 同じような外套を着た3人組に、囲まれていることに気付いた。どうやら自分が気絶していた間に拘束して監視をしていたらしい。

 呆気に取られていると3人は、軽く会話を交わすと手早く撤収を始めた。

 手足についていた縄で胴と腕を拘束されて、一番背が低い人物が握った。


「あの…歩けって?」


 準備が済むと、歩くように促されて出発をした。

 その後、森をひたすら歩き、空を浮遊して、またひたすら歩いた。


 そうして今に至る。


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 最初の森では誰もほとんど喋らなかった。

 だからこそ、まさか会話が通じないとは思わなかった。

 ここがどこなのか、そしてどこに向かっているのか。聞こうにも相手の名前すら分からない。

 それに自分に至っては、己の素性どころか名前すらも思い出せない。


 かなり手詰まりの状況であることは確かだった。

 しかし、他に行く場所もなく今は彼らに身をゆだねる他なかった。


(せめて、命の危険がないところで頼む…)


 辺りがうっすら茜がかってきて日が落ちてきた頃。

 だんだんと草木が踏み固められた獣道になり、またしばらく森の中を歩くと人の通りがあるのだろうか。地面が踏み固められた山道へと変わってきた。

 凹凸こそあれども比較的歩きやすくなった路面を、疲労がたまり重くなった足に活を入れながらまた懸命に歩く。休憩を挟みつつと云えども、さすがに足と腰の限界が近づいていた。


 流石に、草と土と木しかない景色にもそろそろ飽きてきた。

 腰が曲がってきて、先ほどから地面あたりしか見ていないなと、ふと思った。


 小高い丘を越えた先が、どうやら開けているらしい。正面から夕陽が差し込んでいるのが見えた。

 今まで殿を務めていた背高い方の青年が、残りの二人に声をかけると駆けていった。

 ボロボロの体で森を抜けると、今までとは大きく様変わりした光景が広がっていた。


 まだ青々としてはいるが夕日を受けて薄黄色がかった麦たちが、木々の間を抜ける風を受けて波打つように揺れている。

 棚状に広がった穀物の畑が、遠くまで広がっていた。

 麦畑の向こうには、屋根を三角に尖らせた木製の家々が見える。

 どうやらやっと、森林を抜けたらしい。

 人の気配がする光景に、少しだけホッとする。


 麦畑を一望して、ここが何かしらの集落であることが分かった。

 おそらく、さっきの青年はこの集落の住民たちに、自分のことを含めて先に知らせにいったのだろう。

 人の生活の匂いがしてきて落ち着いてくる。

 しかし、安堵とともに、一つの疑念が浮かんできた。


(俺、これからあの村でつるし上げられたりしないよね…?)


 起き上がりに有無を言わせず縛り上げられるぐらいなのだ。

 目覚めた瞬間の剣呑な雰囲気を考えれば、なんとなくの想像はつく。

 自分はもれなく歓迎されていないだろう。


 青々と茂る麦たちを横目に畑道歩く。

 農作業をしていたのだろう村民たちが、遠目からこちらを眺めているのが分かった。

 訝しがっているのだろうか、周囲から差すような目線を感じる。


 分かる。分かっているつもりだった。

 突然現れた拘束されてるよそ者など、不審以外の何者でもない。


 しかし、悲しいかな。

 自らの身の潔白を晴らそうにも、自分の出自どころか言葉すらわからない始末。

 村の中心に向かう足腰が重々しかったのは、険しかった山道にやられただけではなかった。

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