第2話 帰りたい、空

 崖の近くに立った男たちが帰路について話していると、外套の頭巾を脱いだ少女が、少年を置いて二人の下に戻ってきた。

 落胆したような彼女に気付くと、背高い方の青年が軽薄そうな口調で話しかけた。


『ポエラどうだった?話は聞けそうだった?』


『いやダメだ。言葉が通じていないぞ。」


 ポエラと呼ばれた少女は雰囲気こそ落ち着いていたが、眉は下がり困ったような表情をしていた。


とぼけてるんじゃないの。

 よりによってこんな山奥に一人でいるなんて、怪しすぎるよね。』


 青年は、背後に広がる木と山しかない風景を一瞥しながら、おどけるように首を傾げた。

 表情は覆われた外套で分からなかったが、口調からは強い疑いが感じられた。


 首をかしげる男の肩に、隣に居たガタイの良い男が手を置くと、諭すようにしゃべりかけた。


『しかし、ポエラが言うのであればおそらく違いはないのだろう。俺も怪しいとは思うがな…。』


 背高い青年に比べると、どちらかというとがっしりとした体格の男が、ポエラの肩を持った。


『本当に自分でも分かってないんじゃないか。道すがら奴を〈視〉ていたが、魔力の流れがほとんど感じられなかった。術者〈スキラ〉にしては流石に貧弱すぎるだろ。』


 ポエラの碧色の瞳が、岩で寝そべっている少年を捉えるが、先ほどと結果は変わらなかったらしく首を振った。


『魔術は使えないとしたら…訓練を受けた武術者〈アーシスト〉で、ここまで自力で歩いてきたとか。ねえ、これどう?』


『弟よ…小鹿よりおぼつかない奴の歩きを、お前さんも見ただろう?』


『…まあ、ですよねぇ。』


 3人はこれまでの道行きで、今にも転倒しそうな少年の貧弱さに一種の哀れみすら感じていた。

 薄手の服から覗く手足は、畑仕事の一つもしたこともないのだろう、白く細かった。


 周囲の魔素エナを使って魔術を使った訳ではなく、

 訓練によって身体能力を高めた訳でもなく、

 一番近い人里から遠く離れたこの森に少年は居た。


『じゃあ、なぜあいつはなんかで倒れていたんだろうな?』


『『さぁ…?』』


 困ったような顔をして小首をかしげるポエラの問いかけに、二人は答えられるわけもなくお手上げという風に首をすくめた。

 ここは多くの人々から畏れを込めて”神の子が産まれし聖なる森”〈聖森ひじりのもり〉と呼ばれている場所であった。

 少年がいたのは現地民でさえ、畏敬の念を持って近寄らないような場所であった。

 そんな場所に彼は一人きりで倒れていた。

 ここにいること自体がおかしなことに加えて、人里遠くに離れたこの場所に、たどり着いたその手段が分からない。

 少年の謎は、ただただ深まるばかりだった。


『まあ、その話はあとにしてだ。』


 年長の風格の横広な男が、これ以上話しても何も出ないだろうと、会話を区切る。

 3人の空気が変わり、言葉に真剣さが宿った。


『これからの帰路だが…既にかなりの時間がかかっている。このままではいつ、村に帰りつくかはわからん。』


『あの子に合わせて歩いてたら、かなり日が高くなっちゃった。ねぇ兄貴、僕は嫌だよ、群風岩の森で、野宿は。』


『弟よ安心しろ、俺も嫌だ。

 獣避けの燻香に限りがある以上、群狼や、熊たちの近くで休息は取りたくない。』


『そういえば、そろそろ冬越えの狼たちが、子をなしている頃だ。

 私たちはともかく、アイツは丁度いい餌になるだろうな。』


 高台の上から見下ろした森林。

 広大な盆地になった〈群風岩ぐんふがんの森〉には、大小様々な生物たちが暮らしている。そして、その森の中では、肉食性の獣たちが我が物顔で跋扈していた。

 それらの縄張りに踏み入れれば最後、彼らの縄張りを横切るたびに、昼夜を問わず追い回されことになってしまう。

 崖の上で深刻そうな顔をする3人には、遠くから聞こえるはずの獣たちの叫び声が、自分たちの耳元で聞こえるような気がした。


『ポエラ、最後にもう一回確認しておく。アイツは村に連れて帰るんだな。』


 ガタイの良い男〈マグニフ〉が、念押しをするように、ポエラをじっと見つめて問いかけた。


 石の上で寝ころんだまま、ピクリとも動かない少年を一瞥すると、その視線をまっすぐと受け止めた。


『ああマグニフ、連れて帰ろう。得体の知れないヤツだが、村長からの依頼だからな。』


『本当に、あんな子供が、森の異変にかかわっていると思うか?』


『まあ…違うだろうな。冬眠明けの熊が、外輪山を越えて、村近くまで現れ始めたのも、沢の水量が減ってきたのも、アイツが起こしたとは思わん。

しかし、村長たちも言っていたが、過去には起きえなかったおかしなことが続いているんだ。

ただの子供にしか見えないが、この聖森ひじりのもりに、あんな軽装でいるのは流石に不自然すぎる。

話が…通じるか怪しそうだが、何かしらの原因を知っているかもしれない。』


 ピりついた雰囲気の中で、ポエラも一瞬言いよどみはしたが、意思は固いようだった。


『まあ、他に異変の原因は、何も見つからなかったことだし、とりあえず、僕も連れて帰って尋問なりするのは、いいんじゃないかと思うよ。』


 飄々とした雰囲気を身にまとったベキシラフだったが、少年に対しての警戒感はしっかりと持っている様子だった。


『ただ、問題はさ。アイツの足に合わせていたら、このまま獣たちの楽園で野宿ってことだよ。

母さん達も無事に帰ってこいって言ってたし、流石にあんまり無茶はしたくはないなぁ。」


『まぁだな。じゃあ、せめてこの群風岩の森は早めに抜け出そう。』


『そうなると”岩流し”だな。二人とも、それでいいな。』


 岩流しという単語を聞いて、長身の青年はやや呻いたような声を出した。


『僕は、正直気が進まないなぁ!…でも、それしかないよね。』


『決まりだな。じゃあ、アイツは私が受け持とう。二人とも補助を頼んだ。』


 しぶしぶといったような者もいたが、3人は合点がいったようにうなずくと、背のうに括りつけられていた荷物を中にしまい込み、紐をきつく締めると、三人は手早く”岩流し”の準備へと取り掛かり始めた。



-------



「…心地よくて、何もする気が起きないや。」


 腰を据えたおさまりの良い岩の上で、青空を悠然と流れる雲を、見上げていたが、向こうで話し合いが終わったらしい。

 荷物を背負いなおした男二人は、そのまま崖の方へと歩いて行き、外套の女は再び頭巾を被りなおすと、こちらへと戻ってきた。


「やっぱり、このままずっと歩き続けるのかなぁ」


 森の中で気絶していたところを起こされてから、自分以外の3人の足取りは軽い。しかし、人が歩く速度では、目の前に広がる森を抜けるだけでも、一日では足らないだろう。

 少なくとも、自分の足腰が、その道のりに耐えられない自信があった。


 熱が引いた身体を、岩から起こしてほぐしていると、自分たちがいる崖の上を撫でるように、風が強く流れ始めた。

 縛られた腕ではうまく顔を覆い隠せず、風から顔をそむけるように目を細めていると、


「は?」


 狭くなった視界の端で、男たちが切り立った崖からのが見えた。


「え?今、崖から飛んだ…よな。いや、流石に死ぬよね?!」


 男達が飛び降りた崖は、ここからの風景から察するに、落下死するには十分すぎる高さだろう。


 目の前で起きた凶行に唖然としていると、いつの間に移動したのか女がすぐ横に立っていた。

 声を上げる間もなく、彼女はこちらの腰に手を回すと、容易そうに持ち上げて肩に担ぎあげた。


「あ、なんか分かっちゃった。」


 その時に、自分は察した。

 察してしまった。

 これから起きるであろう暴挙について。


 吹き込む風の勢いがどんどんと増していく中、担ぎあげられた自分の身体がゆっくりと崖へと向かい始める。


「嘘でしょ…嘘だよね?」


『口は閉じた方がいいぞ、舌を噛む。』


「え、風が強くて聞こえないよ!

 もしかして今からお前も同じ目に合うって言った?」


『ちゃんと歯を食いしばっておけ。嚙んじゃうぞ。』


 外套の


 女は言葉が通じていないことを思い出したらしく、頭巾から覗く小さな口がこちらに向けられ、カチカチと音を鳴らしながら数回嚙み合わされた。


「ああ、舌を噛むぞって事ね、分かった。

 じゃあ、飛ぶんだ!飛んじゃうんだ僕!ヤ、ヤダー!」


 担ぎあげられた身体がゆっくりと崖へと向かっていく、崖に向かう彼女の落ち着き払った態度が、余計に混乱させられた。


『こら。暴れちゃダメだぞ』


 少し強めにジタバタと暴れたところ、担ぎあげられたお尻を強めにペシりと叩かれた。


「うう…」


 肩に担ぎあげれらた状態では、自分が進む方向が見えず、恐る恐る振り向くと、既に切り立った崖の傍に来ており、慣れ親しんだ地面は、遥か下に広がっていた。

 遠くまで広がる深緑の森と、まばらな浮雲が浮かぶ透き通るような青空、その間を何にも縛られず気ままに流れる岩石の群れ。


「本当なら絶景なんだろうけど…今は恐怖しか感じない。」


 外套の女は、男達に比べればかなり小柄ではあるが、自分の腰に回された腕はがっしりと固定されており、なかなかの膂力りょりょくをしているようだった。

 衣服の上から腰に食い込む少女の指が、徐々に自分はこれからんだということを実感させて来る。


(一か八か、振りほどいてみようか…。

 いや、崖の近くで暴れたら何かの拍子で落ちちゃいそうだ。

 話して止めてもらおうにも、言葉が通じない!!)


 混乱する頭であれこれと考えていたが、彼女は崖際で軽く跳躍している。

 抱えられた身体がゆさゆさと揺れてくると、その内、諦めを伴って、徐々に冷静さがやってきた。


「詰んでない?これ。」


 担ぎ上げられた肩の上で青ざめていると、一瞬、目を開けられないほどの風が吹き込んできた。

 乱暴に吹き込む気流が、鼓膜を叩いて囂々ごうごうと音を立てて騒がしい。


(それにしても…!さっきから風が強すぎない?砂と土が巻き上がって、目が開けられないんだけど!)


 岩の上で寝そべっていた時は肌を撫でる程度の穏やかな風だったが、今となっては叩きつけるような暴風が吹き荒れていた。

 目蓋を固く閉じて、風の勢いが収まるのを待っていると、


「あ。」


 急に地面が無くなるような感覚に包まれた。


 跳躍は一瞬だった。

 眼前に広がっていたのは、さっきまで見ていた変わらない青空。

 ただ異なるのは、自由落下特有の身体中の血が引いていくような感覚。


(ああ、空綺麗。)


 重力に負けた身体が、地表を目指して落下を始めた。

 間もなく地面につぶれて広がる自分の姿がふと脳裏をよぎると、縮こまっていた喉からにじむように声が絞り出された。


「やああああああ!!!!普通に落ちてるううううう!!!!!!!!」


 情けない声を上げながらこれから来る衝撃に身体を強張らせていると、崖下から巻き上げるように、ひと際強い風が吹いた。

 突風によって顔に叩きつけられる土ぼこりに目を開けていられず、再び目蓋を固く閉じて地面に接触するその時に備える。


 しかし、結果をいうと、地面には叩きつけられることはなかった。


 吹き付ける風でうまく聞こえなかったが、女がぽつりと何かを呟いたようだった。

 すると、虚空に放り出された二人の身体が、下からの吹き上げる風によって徐々に減速していく。

 彼女が空中で体勢を整えると、地面に足を向けてと何もない宙を蹴り上げた。

 それに合わせてさらに風が逆巻き、宙に浮いた身体を前へ前へと運んでいく。

 その姿はさながら、完全に浮き上がっているというよりは、空中を飛び跳ねるように、沈む身体を浮力で打ち消して滑空をしているようだった。


 前に進む勢いそのままに、

 宙に浮かんでいる岩の上に飛び乗ると、

 そこを足場に吹き上げる風に乗ってまた次の岩へと飛んでいく。

 身体を包んでいた浮遊感が和らいだことに気付き目を開けると、抱えられた身体は空に浮かんでおり、さっきまでいたはずの崖は遥か遠くに見えていた。

 その速度は今まで地上を歩いていた時とは比べ物にならないほどに速く、岩と岩の間を飛び回る鳥達がそのすぐ脇を飛んでおり、まるで編隊を成す一つの群れのようだった。


「うっ…おぐっ…」


 しかし、抱えられている身体は強烈な上下移動でかなり揺れていた。

 なんなら、お腹が圧迫されて結構気持ち悪い。


 視界の端には、同じように宙に浮かんだ岩石を駆ける男達の姿が見えた。


 3人と抱えられた1人は、崖の下に点在していた浮き岩を経由しては、眼下に広がる巨木の森の上を自由自在に滑空する。


「…うっ。」


 地面にたたきつけられる恐怖から解放された精神的な衝撃。

 宙に舞うこの身がどこへ向かっているのかわからない不安。

 身体と精神の両方にかかった負荷で、自然と口から弱音が洩れた。


「も、もうやだぁ…」


 弱々しい嘆きは、顔面を叩きつけるような風で、すぐにかき消されてしまった。

 なんなら、声に出したことで少し舌を噛んでしまい、もはや喋る気力すらなくなった。

 顔を下げるとはるか遠くに地面が見えて不安になってきたので、無言で揺られながら空を見上げて耐える他なかった。


(もう、帰りたい…)


 揺られているうちに心が疲弊して、無性にここではないどこかへ帰りたくなってきた。

 しかし、帰る場所どころか、自分がどこにいたのかすら思い出すことは出来なかった。

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