光が二人を別っても

伊島糸雨

光が二人を別っても


 陽の昇らぬ常夜の地エツヌヴィゴは、またの名を視碍市しがいしという。神秘の匂う柔らかな白絹の髪を持つ常夜の民エツヌュイは、天の光を必要としないためか先天的に視力が弱い。瞳孔は歪に変形し、奇怪に蕩けて事物の多くを捉えること能わない。しかしその足取りに迷いはなく、他の諸感覚を研ぎ澄ましているか、あるいは何か別のものが視えているかのようでもある。

 右眼のトカリと左眼のロヨナは双子の姉妹として生を受けた。常夜の民エツヌュイにとって双子は一種の神性であり、人々は幼い姉妹の存在を言祝いだ。美貌と語るに相応しいかたちをした双子は互いを常に理解して、また片時も忘れることがなかった。

「お前たちは蛇の依代、ふたつでひとつ。それを忘れることのなきように」

 巫術師でもあった母は、顔の右半分を覆う仮面に触れながら、かねてより二人にそう言い聞かせていた。トカリもロヨナもそれを了解し、よほどの必要に迫られぬ限り、互いのそばを離れようとはしなかった。

 常夜の民エツヌュイは同胞に隻眼の労苦を強いる。彼らは独自の風習として、子供が一定の年齢に達すると、その双眸の一方を抉り出し、常夜の地エツヌヴィゴを生み常夜の民エツヌュイの先祖となった〝双頭の蛇ラグヴァ〟へ捧げるという。そして儀式を経た子供たちは、傷と暗がりの残る一方を真白い髪を伸ばして覆い隠す。成人し、各々形の異なる半面の仮面を授かるまで、それが傷を守る魔除けとなる。

 双子たちも例に漏れず、トカリは右眼を、ロヨナは左眼を蛇に捧げた。「ロヨナ、ロヨナ、私の右眼かたわれ」摘出のあと、目を覚ましたトカリは譫言のようにそう呟いた。ロヨナはその呼びかけに目蓋を開き、「トカリ、トカリ、私の左眼かたわれ」と柔らかに囁いた。

 儀式より以降、トカリとロヨナは祭祀の主役として祈りを唱えることが増えていった。〝双頭の蛇ラグヴァ〟の形代とされる巨大な蛇の抜け殻を前に、種々の花と香草、そして色濃く焚かれた薫香に包まれながら、母に倣って朗々と歌い上げる。大人になれば、二人は神降ろしを担う特別な巫術師となるよう定められていた。常夜の民エツヌュイにおいては、なんであれ役割を持つことが存在に対する暗黙の承認として機能した。トカリとロヨナは一族に課せられた薄命を知ってなお、その使命を躊躇いなく受け容れた。それこそが二人を結びつける堅固な糸になると確信していたためである。

 常夜の民エツヌュイは闇を好み光を厭う。彼らの家に窓はなく、衰えた身体機能で生活を成立させるため、一定以上の重量や複雑性を持つ構造は生産されない。人々は生涯を常夜の地エツヌヴィゴで過ごし、齢五十に至る前に死んでいく。視碍市しがいしとはまさに〝視ることを阻む〟都市であり、どのような生まれであろうと例外はなかった。

 彼らは死を〝熱と光の奔流〟として捉えている。あらゆる事物を焼き尽くし一面を白で塗り潰す終末の光は、万民に対して平等に訪れた。双子の母もまた死の際にあって、「眩しい、眩しい」と幾度も呟き、トカリとロヨナはそれこそが最後に二人を隔てるものだと理解した。

 幾ばくかの年月が経ち、トカリとロヨナは成人の儀を迎えた。二人は長く枝垂れた白の前髪を切り落とすと、露わになった眼窩の奥より片割れを見つめ、その一房を手渡した。それは年月に育まれた繋がりの証であった。

 姉妹の仮面は本人たちの求めに応じ、蛇を模して全面を覆うようにつくられた。双子は暗闇の祭壇に立って向かい合うと、蛇の面を互いに嵌めこんで、言った。

「光が我らを別っても」

 顔のすべてを隠す仮面の存在によって、トカリとロヨナの判別はいよいよつかなくなった。成人の儀式以降、二人は自身を「トカリ」とも「ロヨナ」とも明言せず、その時々に名乗りを変えた。双子が天命をまっとうし、同様の経過をもって亡骸となった後、初めて公に仮面が取られても、個人の特定は叶わなかった。姉妹の瞳のそのどちらもが、誰も知らぬ間に夜を湛えていたからである。

 姉妹は一つの墓に埋葬された。刻まれた名は、「トカリにしてロヨナ」であったという。

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