いいから、俺に暗殺させろ

紅みかん

第1話 いいから、俺に暗殺させろ

 暗殺成功率 0%、事件解決率 100%


 これは暗殺者である俺が、最初に遭遇した事件だ。


 俺は血に染まった男の遺体を呆然と眺めていた。

 遺体は首元から足元までを覆いつくす黒い服を着て、首からは十字架のネックレスをぶら下げている。何者かに殺されてしまった神父。彼こそが俺の初仕事のターゲットであった。


 町外れにある神聖なる教会の告解室の前に俺はいる。

 キリスト教の信者が自身の罪を神父に告白して、ゆるしを得ることを告解という。そして告解を行う場所が告解室だ。

 俺が告解室の前にいる理由は、暗殺者としての罪を懺悔しに来たからではない。そもそも、俺は神なんて信じていない。

 俺は教会に仕事として訪れた。組織からの命令はこの教会の神父暗殺。

 告解室で神父と接触し、毒針で刺す。数時間後に全身に毒が回り、死に至る予定であった。だが計画は無駄になってしまったようだ。

 教会の端に設置された据え置き型の告解室は、まるで教室の角に置かれているロッカーを横長にしたようだと思う。告解室の扉は全部で3つ。すなわち、部屋も3つある。中央の部屋には神父が、左右の部屋には信者が入り、罪を告白する。

 今、告解室の前には人が集まっており、みんなの視線が死体となった神父に注がれていた。

 中央の部屋にターゲットの神父が仰向けに倒れ、胸から血を流している。備え付けられた椅子からも転げ落ち、痛みに苦しんだのだろう、苦悶の表情だ。胸の傷口から考えられるに、銃殺だ。

 任務のターゲットは、俺ではない誰かに殺されてしまった。俺が手を直接下すことはなく、死んでしまったが、目的が達成されている以上、俺の初仕事は成功であるのだろう。

 この日のために俺は暗殺技術を学んでいた。張り切って来たら、神父は死んでしまっていて、拍子抜けしてしまったというのが本音だ。

 神父を殺害した犯人にターゲットを横取りされて、華々しい暗殺デビューを台無しにされて腹が立つ。とは、全く思わないこともないが、暗殺者たるもの、任務に支障がでる、己の感情もまた殺す必要がある。

 仕事が済んだのなら、現場から素早く撤退するのが鉄則ではある。だが、ここから俺は離れられない理由があった。

 俺には暗殺以外のもう一つの任務があったからだ。ターゲットの神父から告解室で受け取る物があった。それが見当たらないのである。

 俺は殺害現場に到着したときに医療関係者のふりをして、神父の脈を測った。案の定、神父は事切れていた。その時に室内をざっと見渡したが、俺のお目当ての物は見当たらなかった。

 数十分後には神父は俺と告解室で会うことになっていた。ならば、例の物を告解室内に持ち込んでいたはずだ。行方について考えられる可能性としては2つ。

 1つ目、俺が発見できなかっただけで部屋に置いてある。2つ目、神父を殺害した犯人が持ち去ってしまった。

 前者ならば部屋を隈なく探せばいい。しかし、後者ならば犯人を探し出す必要がある。

 いったい誰が神父を殺害したのか……。


「オレじゃないっ!!」


 死体に集まっていたみなの視線が今度は声の主に注がれる。


「ち、ちがう!」


 顔色の悪い不健康そうな青年が叫び出す。この青年こそ死体の第一発見者だ。数分前に青年の悲鳴が教会内の厳かな静寂を破り響き渡った。その悲鳴を聞いて、俺を含めた教会内にいた者達が駆けつけてきたのである。

 青年は落ち着きがなく、取り乱している。まあ、無理もない。第一発見者が犯人として真っ先に疑われるのは理由として十分だろう。ただ、青年の焦り様は死体を発見してしまった事だけではないような気がする。青年の話は続く。


「部屋に入ってから、神父に話しかけたんだ。だけど、返事はない。何度呼んでも返事はねえ。だから、神父の部屋の扉を開けたら、奴が血を流しながら倒れてた」


 イライラしているのか青年は、足をせわしなく動かしながら周囲をウロチョロしている。


「クソッ、クソッ。なんで死んでんだよ!」


 挙動不審な青年に近寄るものはおらず、周りの者は距離をおいている。一番近くにいた俺に青年は近づいてくると、ボソッと呟いた。


「な、なあ。持っていないか?」


 先ほどの青年の様子からして、思い当たる節はあったが、これは……。


「ほら、アレだよ。あんたも貰いにきたんじゃないのか? クスリだよ」


 彼は不気味な笑みを向けながら、わかるだろうと言いたげに俺を見つめてくる。


「クスリ? 何のことだろうか? 生憎、常用している薬はないんだ。先ほどから落ち着きがないみたいだが、どこか痛いところが? 痛み止めなら持っている人もいるんじゃないだろうか。誰かに声をかけてみよう」


 俺は人のよさそうな微笑みをつくる。何のことか気付いたが、知らないふりをする。

 近くにいた人たちに、すいませんと声をかけようとした。


「ああああ、違うのかよ! 誰か、ダレか、だれでもいい! クソッ……」


 青年は髪が抜けてしまうのではないかと思うほど乱暴に頭をかきむしりながら、叫んでいる。

 しかし、青年は髪をかきむしるのをピタリと止めた。ブツブツとうつむきながら呟くと、着ているジャケットの内側から黒い物を取り出して、告解室に集まった者達へと向けた。


「だれでも……イイ。あれを……クスリをくれ!」


 神父の死体を目にして不安げだった人々の表情が今度は恐怖に歪む。青年が取り出した物は拳銃であった。今まさに銃口は人々に向けられて命が狙われている。

 拳銃を見て、みなが確信したことに違いない。青年は否定しているが、神父を殺したのはこの青年であると。

 青年は完全に正気を失っている。

 そんな青年の問いかけに誰も答えない。余計なことを口にだし、彼の関心を引くのは得策ではない。そんなことをしたら最悪、体に不要な穴を開けられ、神父と同じように永遠の眠りにつくことになる。

 青年は一人一人に拳銃を向けながらクスリは持っていないのかと、怒鳴り散らしている。みな、怯えながら首を横に振る。

 正気を失っている青年は苛立ちから見境なく銃を撃ってもおかしくない。

 まったく、面倒なことになった。俺のような身分を明かしたくない者にとって騒ぎを大きくされることは面白くない。警察が到着する前に教会を去りたいのだが……。

 まあ、この状況を利用してしまえばいいか。


「神父が持っているかも……」


 俺は恐怖しているかのように、震えるか細い声で呟いた。


「そうだな! あの神父様なら、持ってるぜ!」


 青年はそう言って、神父の遺体がある、告解室中央へ足を踏み入れた。遺体すら気にせずに、クスリを探し始める。

 事件現場を荒らすことなどあっていいはずがない。本来ならこの非常識な男が、現場に入ることを力ずくで止めたであろう。けれども、青年はこの場を支配する、おもちゃを手にしていた。


「ない!」


 青年は部屋の壁を蹴りつけた。


「ないじゃないか!  嘘か?」


 怒りに顔を真っ赤にしながら、俺の方に詰め寄ってくる。銃口が俺の顔に狙いを定めた。

 女性が神に祈りを捧げているのが視界の端に映った。青年の目は血走っていて、拳銃の引き金に力を入れる。


「俺にも探させてくれ。君が神父から受け取る手筈だったのなら、そのクスリとやらは、この部屋のどこかにあるはずだ」

 

 俺は告解室の方を指さす。青年は無言で首を縦にふり、顎を告解室に向けて、入れと合図する。俺はゆっくりとした動作で部屋に入る。青年は俺の一挙一動を見逃さない。彼の銃口は俺を捉え続けている。

 俺は部屋に入ると軽く息を吐いてから、部屋を見渡す。

 信者が神父に罪を告白するために、神父と信者の部屋の間には格子の小窓がある。小窓の下には物を引き渡すための穴がある。小窓の前には物を置くための台が付けられているが、何も物は置いてない。そして椅子と遺体があるだけ。

 神父の遺体になにかが下敷きになっていないか確認するが、特になし。

 遺体を物色するのは気が引けるが、神父が隠し持っていないか探る。一通り確認するが、クスリも俺の目当ての物も発見できなかった。


「まだ、見つからないのか!」


 青年の苛立ちも我慢の限界を迎えようとしている。正直、青年の銃を奪い、組み伏せることなど俺にとっては簡単だ。だが、この状況を俺の目的のために、まだ利用させてもらう必要がある。


「ああ、この部屋にはないようだ。だが可能性はまだある」


 次に考えられるのはもう一つの部屋。

 俺は部屋を出る。右側は告解で青年が最初に入った部屋だ。扉が開けっぱなしになっている。俺はそれとは反対にある左の部屋の取っ手に手をかけて開こうとする。だが、扉はびくともせず、開かない。


「左の部屋は使われていない。何度もこの教会に足を運んでいるが、その扉が開いているところは見たことがない」


 老人が教えてくれた。


「そのようですね」


 俺は老人に感謝をのべると、扉を観察する。

 扉が開かないこと、部屋が使用されていないことはわかった。しかし、違和感がある。扉を開くための鍵穴や錠前の類いが存在しない。

 ならば、扉はどうやって閉じられているのか?

 俺はまた中央の部屋に入ると、左側の壁を観察する。実際に手で触れながら探る。

 一番奥の下に小さな窪みがあった。それに手をかけて、左にスライドさせる。すると、左の部屋の空間が現れた。ビンゴだ!

 俺は部屋へと足を踏み入れた。

 部屋の中には一目で分かる違法な薬や銃と弾が並べられていた。アタッシュケースに入れられた札束が見えるが、偽札か。

 部屋に置かれた物を早急に調べる。だが、俺の目当ての物は見つからない。

 俺は部屋をでると、青年に薬の入った袋を渡す。


「これのことかな?」


 青年は目に光を取り戻したと思ったら、俺から強引に袋を奪い去った。

 そう、青年は違法薬物の中毒者。そして、教会の神父は違法物を売りつける売人であった。

 ターゲットが売人であることは知っていた。だから、神父が殺されたことに驚きはない。

誰かの恨みを買ったのだろう。 

 暗殺対象になるやつなんて決まっている。目障りなほどの善人か、悪人だ。

 そんなことより、問題は俺の探し物が見つからないということだ。部屋にないのなら、犯人が持ち去った可能性が高い。

 ここにいる誰もが神父殺害の犯人は薬物中毒の青年だと考えているだろう。しかし、彼は犯人ではない。彼の使用していた銃の弾と神父の胸部に開いた穴の大きさは一致しない。

 なにより、青年が例の物を持ち去る理由がない。 

 いったい誰が神父を殺害したのか……。

 青年が犯人でないのなら、青年の前に告解室に居たものが犯人だ。

 そう思いつき俺は一番右側の部屋に入る。部屋の作りは中央の部屋と同じで、小窓があり、椅子が置いてあるだけ。ただ、足元をよく見ると少し地面が濡れていた。



「こんにちは」


 俺は挨拶して、告解室の近くにある長椅子に座った老人の隣に腰かけた。


「あんたは……、大変だったな」


 老人は俺が青年に銃口を向けられていたことを案じて労いの言葉をかけた。


「銃口を向けられたことなんて初めてで、死を覚悟しましたよ。まあ、こうやって生きているんだから神に感謝しないと。それにお互い様です。まさか、殺人の現場に出くわしてしまうなんて、いやはや我々も運がない」


 老人の顔が曇る。だが、俺は構わずに話を続けた。


「運がないと言えば、1時間前のにわか雨。ひどかったですね。俺は運よく建物にいたので、濡れずに済みました。まだ、靴が濡れていて、気持ち悪いでしょう?」


 俺は目線を老人の足元に向ける。靴と靴下が濡れていていた。


「突然の雨で傘も持っていなかったから、教会にたどり着く前にびしょ濡れだ。今日は本当に運がないな」


「そのようですね。雨に打たれてしまったのは、教会の中では、あなただけのようだ」


 俺は少し間を置いてから本題に入る。


「神父を殺害したのはあなたですよね?」


 老人は神妙な顔をして黙ったままだ。


「信者の方の告解室の床が濡れていました。あの銃をもった青年の前にあなたは告解室にいた。部屋から持ち出したものを渡してもらいたい」


 老人は息を吐くと、鞄の中から文庫本を取り出して、俺に渡した。俺は本を受け取ると、老人とは逆側の椅子に置いた。同じ物を持っているので、後で入れ替える算段だ。


「指紋がついたから、持ち出した。神父側のテーブルの上にはこの聖書が置いてあった。小窓の下にある受け渡し用の穴の前を塞ぐようにしてね。神父を銃で打ち殺す際に、この聖書が邪魔になったから動かしたものの、咄嗟のことで聖書に指紋がついてしまった」


「その通りだ。私はこの教会の常連だからね。部屋の中のどこに指紋があっても問題はないさ。だが、神父の聖書に指紋があっては違和感がある」


 老人は目を閉じてから続ける。


「あんたは、神父のお仲間かね?」


 俺はクスリと少し笑う。


「いいえ。むしろ真逆の存在ですね。神父は悪名高い男だった。あなたが手を下さなくとも死が待っていました」


 老人はホッとしたように、目を開いて、俺を見る。


「娘があの男から違法な薬を買っていたんだ。娘は苦しんでいてね。神に救いを求めて、あの男に告解していたんだ。藁にもすがる思いだったろうさ。だが、あの男は娘の弱みに付け込んで、薬を売りつけていた。娘は後戻りができなくなり、そして……」


 老人は苦い感情を思い出したのか、目頭を抑えた。俺は無言でハンカチを老人に差し出す。

 先ほどの理性を失った青年を思い出す。一度、手を出してしまったら、薬から抜け出すことは難しい。薬物中毒者の末路は悲惨なものだ。


「俺からは警察に言ったりしません。だけど、自首をお勧めします」

 

 俺はここではない、どこか遠くを見つめながら話を続ける。


「あなたはまだ罪を償い人生をやり直すことができる。自らの罪に向き合わず生きたとしても、暗い影がいつだってつきまとう。そして、最後に行きつく先は、這い上がることもできない暗い穴の底だ」


「ああ、自首するよ。元よりその覚悟で実行したことだ。罪は償う、だが後悔はしていない。最後にあなたと話せてよかった。あなたはまるで神の代弁者のようだ」


「まさか、俺はそんな立派な人間じゃない。俺を例えるなら、そう、悪魔の使者と言うべきでしょう」


 俺は老人に聖書を返しながら告げた。


 老人は本当に運がなかった。老人による神父殺害の実行が明日であれば、神父は俺に殺された。老人が手を汚し、罪を背負うこともなかった。

 神はなぜこの老人に救いの手を差し伸べなかったのか……。

 やはり、神は信じられない。なぜなら、人を導き、救いはしないのだから。そして、俺にできることは決まっている。

 神の救済が訪れないなら、悪魔の執行が必要だ。

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