第3話 初めまして、お月さま・・・
月が見える。
初めて月を見た時、鳥肌が立った。
初めて体験する感覚。
地球よりも小さい星であるはずなのに、その姿に威圧され少し恐怖心が働いた。
月面への着陸態勢を整えていた時、宇宙船の窓外に閃光が走った。
私は周囲を見廻したが、他のクルーは何事も無かったように着陸作業の手順確認に没頭している。
宇宙空間の浮遊する塵でも垣間見たのだろうと思い、さして気にしなかった。
初めて、月面に日本製の探査船が降り立ち、私は船外に出て、月の地表へ向けてゆっくりと降り立った。
降り立った際、地表から足の裏をジュワッとした熱風のような感覚を感じ、私の身体は敏感に感じた。
爪先から頭頂部まで一気に戦慄が走り、動悸とめまいが私を襲った。
遠くから、誰かに監視されている気がした。
恐る恐る周囲を見渡しても荒涼とした大地や窪地しか、私の瞳には映らない。
初めての体験なので自らも制御が効かない興奮状態なのだろうと思った。
しかし、後になって、この時感じっとった感覚は気のせいではなかった。
私は見張られていたのだ。
生命体の雌が、この星(月)に舞い降りたのは、月の生命体が滅亡したと言われて以来、初めてだったのだから。
彼らは、数千万年ぶりに訪れた子孫繁栄の千載一遇のチャンスを見逃すような事はなかった。
月面探査は最初、私と行動を共にするリーダーとの共同作業を行い、その後手分けして各自の担当として割り当てられたエリアを探査する予定だった。
ペアのリーダーは私より少し年上の男性で、本人に宇宙研究者としての自負があり、宇宙飛行経験が今回の乗組員中、最も多かった人物で、月面に最初に降り立つのは当然自分だと思っていた。
中年以上に歳のいった男のプライドに付き合うのは労力が要る。
あからさまに私を見下し、探査にも非協力的で、私と行動を共にするのを露骨に嫌がった。
なので、サッサと個々の単独行動に切り替えた。
本来は、宇宙空間、ましてや地球以外の他の星で、想定外の事象が起こるか分からないし、起こってしまった時の対処もマニュアルを遥かに超える事象が発生しえる。
極力、単独行動はしない、という事が業務上の基本線だ。
しかし、私は同行の男と行動する苦痛から早く逃れたかったのと、一生に一度かもしれない状況に置かれ、好奇心が自分で制御できなかった。
今回の滞在は三日間。明後日には宇宙船に戻り、日常に戻らなければならない。
本当は、しばらくの間、此処に居たい。
逸る気持ちを抑える意識を持ちながら、子供の頃に夢見た見知らぬ土地の探検ごっこが、私の中で復活した。
気付くと同行のリーダーの姿は見当たらなかった。
その時はさして気にしなかったが、着陸船の姿が確認出来ない場所まで私は月の表面の地平線の彼方を進んでいた。
しかし、その時は、「後で考えればいい」と、本来の結果オーライ、楽観主義が頭を擡げてしまい、私の人生と人生観を大きく揺さぶる事となった。
私は独り黙々と、月の表面に堆積する砂や岩石の採取に没頭した。
誰かに監視されているような感覚を覚えた。
警戒の心持を頭の片隅に持ちながら、ゆっくりと周囲をさり気なく観察した。
地平線には月の荒涼とした大地が延々と続いていた。
地平線の真上は暗黒の宇宙空間の空ともいうべき光景が拡がっている。
薄明りが漏れる方角を垣間見た。
青く澄んだ地球が暗黒の宇宙空間の中で、この世の奇跡が生み出した、人類が暮らす惑星を誇示するかのように煌いている。
地球の姿を目視出来て、ホッと胸を撫でおろした瞬間だった。
以後の記憶は殆どない。
後から判明した事だが、私は一昼夜、行方不明となった。
乗組員たちの必死の捜索活動で、地球へ期間予定時刻の三十分前にからくも発見された。
この時の約2日間の記憶は完全に消去されている。
思い出す事が出来ない。
しかし、時々、後年、夢の中で、その時体験した光景が断片的にフラッシュバックする。
私は、何者かに確保され連れ去られた。
地球の総司令部のレーダー探査機能が及ばず、同行のクルーが捜索を試みるも行程の範囲外で捜索困難な場所。
月面で有史以来、人類の天文学研究の蓄積が手薄な場所。
地球からは目視出来ない、ベールに包まれたエリア。
『月の裏側』
古来、人類以外の知的生命体が存在すると囁かれてきた場所。
地球帰還後、ある晩、夫に、月の裏側に、正体の知れない知的生命体に拉致され連れていかれたかもしれない、と告げた。
夫の反応は、私を落胆させた。
「科学的根拠は全くない」
私は、無言で夫を睨むようにジッと、夫の事を凝視した。
「世間を騒がせたい。UFOマニア、宇宙人マニアが唱える迷信でしかない」
私の心は太陽の陽の光が当たらない氷点下百度を超える月の表面のように固く冷たく凍り付いた。
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