あやかし話をもうひとつ

片瀬智子

第1話


  『あやかし話()、高価買い取りいたします』


 金・宝飾品の買取質屋の店先で、こんな張り紙を見つけたらどう思う?



 僕は布団からうようにして出る。そして乾いた咳を二つ三つすると、店のレジ横でちょこんと可愛らしく留守番をしている女の子に声を掛けた。

「ねぇ、華子はなこ。その張り紙、本当に外に貼るつもりなの?」

 この子は近所の幼馴染み、華子。中学三年生。

 黒髪ストレート、瞳のクリッとした丸顔の女の子は快活そうな笑顔をこちらへ向けた。

りゅう、目が覚めたのね。これは店内用よ。外にはもう貼ってあるから」



 僕は生まれつきの虚弱体質で、一年の大半はこの店舗に繋がる六畳の和室に布団を敷き寝てばかりいる。

 母と兄と僕は、店舗兼住居の古びたこの家で長く暮らしていた。父から受け継いだちっぽけな宝飾買取店を母親がひとりで営んでいるんだ。

 母が用事で出掛ける時は、今日みたいに僕の同級生・華子がバイトがてらやって来る。

 そしてレジ横の定位置に陣取って、のんびりミステリーでも読みながら僕と店番をしてるのがつねだった。


「あやかしって、不思議な法螺話ほらばなしのことだろ? そんな話を集めてお金を払うなんて、伯母さんも何を考えてるんだろうね」

 僕は母の姉、紅葉もみじ伯母さんのことを思う。

 独身主義・男勝りの豪快な女性だ。アジア圏の旅行に目がなく、昔からひとりで旅人を気取っている。

 それ以外はしょっちゅう家へ来て、僕の病気に効くという苦いだけの漢方薬や、これまた怪しい民間療法を有無を言わせず勧めてきては僕を困惑させていた。


 今回の『あやかし話募集』ってやつもそのひとつだ。

 どうやら僕は、またもや伯母さんのレーダーに引っ掛かった都市伝説まがいの実験台にされそうなんだ。


 

「あやかし話っていっても、実話じゃなきゃダメなの。紅葉おばさんがアジアの秘境を旅した時にね、由緒ある寺院のお坊様がおっしゃっていたんですって。人がトラブルに見舞われたときに動物を使って助けたり、竜みたいな人を治したり、亡くなった魂を鎮めたり……そんな精霊がこの世にはって。それを見つけるには、不思議体験をした人から話を聞き出して探していくしかないそうよ。……精霊は人や家屋、自然などに寄り添っている。ひとつひとつ情報収集して、口コミから見つけるしかないの。SNSだと膨大な情報に時間だけ取られたり、匿名の悪戯いたずらに振り回されたりするでしょ。だから、実際に店舗に足を運んでくれる人のほうが確実なんじゃないかってね。まあ、私だってそんな上手い話がピンポイントに転がってるなんて思えないけど……。でも紅葉おばさんは竜のことを思って、真剣に考えてくれてるの。ほら、ありがたく実験台になりなさい」


 華子はいつも僕に物知り顔で命令する。本に顔をうずめたまま、お姉さんみたいな口調で言うのだ。

 そろそろお分かりだろうが紅葉伯母さんや華子、もちろん母もこのように同類だ。僕をいつまでも子供扱いして寝かせてばかりいた。

 僕はこの狭い和室に閉じ込められ、布団という名の柔らかい鎖に繋がれているんだ。

 ああ、可愛くて健気で、僕に頼ってくれる女の子はいないのだろうか。

 もしかして優しくてか弱い女の子を捜すほうが都市伝説なんじゃないか。みんなだって本当はそう思ってるだろ?

 ヤベッ、心の声がもれたか。背中に華子の冷たい視線を感じる。僕はおとなしく寝ていようと急いで布団をかぶった。



「……ごめんください」

 ふいに、はかなげな若い女性の声がした。

 もちろん店のお客の声だ。タイミングはバッチリだが断じて僕の妄想もうそうじゃない。

「はい! いらっしゃいませ~」

 華子が本から顔を上げ、笑声えごえで対応する。

 それと共に僕と彼女を繋ぐ回路が、華子によって無惨にもざされた。(正確には和室と店を阻む障子が、華子によって無惨にもめられた)


「すみません。表の張り紙を見たんですが、あやかしの実話を買い取ってくれるっていう……」

 鈴のような音色ねいろの声。

「今回募集してるあやかし話は、実話のみになります。実話でしたらいくつでもお話を買い取り致しますよ。ただし買取金額はお話の内容により、こちらで決めさせて頂きます。それでもよろしいでしょうか?」

 障子の向こうの店内から華子のハキハキとした声が聞こえてくる。お客は悩んでいるのか、そこには沈黙が広がっていた。

 不思議な話に金を払うなんて、どちらにしても胡散うさん臭い。お客も半信半疑で店に来たのだろう。



「あやかしのお話……三つあります。買い取って下さい」

 えっ、マジか。

「ありがとうございます。それでは、録音させて頂きますのでご了承下さいね。どうぞ、こちらにお座り下さい」

 僕もちょっと興味が湧いてきて、話をよく聞こうと障子に近づき耳を傾けた。

「えっと……あの、ひとつめのお話は……きつねかされた話なんです」

 優しい声でそう言うとコホンと咳を一つした。

「狐に化かされるという表現が正しいかどうかはわかりません……。でも父はそう言ってました。随分ずいぶん前の話です」

 ああ、喉が渇いたな。

 僕はそう思いながら、とりあえず身動きもせず息をひそめた。



「父は昔、タクシーの運転手をしていたんです。今は違う職業ですが。……その日はとても月の綺麗な晩でした。客もおらず、池の水面に鮮やかな月が映っているのを父は運転中見ていたそうです。それは何故かいつもより濃く、幻想的な月だった。静かな夜、大きなスパの看板を左手に見ながら池に架かる橋を渡っていました。その時突然、父は気づいたみたいです。橋を渡り、スパの看板が左側に見えるのをえんえん繰り返していると。父は橋とつながる道路を何周もグルグルと運転していたんです。その時、他の車は不思議とまったく見当たらなかったそう。父は今でも──あれは悪戯イタズラ好きな狐に化かされたんだと言っています」


 女性は息をつく。

「狐ですか。この手の話は時々出て来ます。確かに存在してるみたいですね。ですが、わたくしどもの求めるものとは違うようです。あ、もちろん、少々ですが買取額は付けさせて頂きますので」

 華子はベテランの買い取りスタッフ、もしくはオカルト専門の小憎のような口ぶりで仕切った。



「ふたつめのお話をします」

 女性は気持ちを切り替えるように、また話し始めた。



「次は、私の三歳の息子が体験した話なんです」

「三歳?」

「はい、小さな息子から聞いた話です。子供過ぎて、逆に創作とは考えられませんよね」

「まあ、そうですね。どうぞ続けて下さい」

 ビジネス口調を崩さず、華子は言った。



「私の息子は現在三歳で、いつも一緒にお風呂に入るんです。それが最近、ちょっと変わったことを言うようになって。お風呂の湯船の中に小さなが泳いでいると……」

「えっ、お爺さん!?」

 えっ、お爺さん!?

「そうです。私も初めのうちは本気にしてませんでした。でもお風呂に入ると時々言うようになって。しかも一度なんてそのお爺さんをつかもうとしたのか、頭から湯船に落ちてあやうく溺れそうになったんですよ」


「わっ、危なーい。でも不思議ですね。そのお爺さんはお母様には見えなくて、息子さんにだけ見えるんですよね?」

 華子はわかりやすく食いつき気味に言った。

「はい、私には何も見えません。ですが息子が嘘をついてるとは考えづらいので、もしかして本当にいるのかなって最近は思うようになりました」

 あ、ちょっ待った。その爺さん、この女性ひとの裸、見てんじゃん!

 僕はむせそうになりながら、必死で呼吸を整える。


「息子はそのお爺さんのことを、『泳ぐじいさん』って呼んでいます」

「えー、そのままのネーミングなんですね。息子さんが付けた名前、可愛いですけど」

 華子は笑いをこらえてる。

「いいえ。それはそのお爺さんが自分で名乗ったそうです」

 爺さん、しゃべれるんかい!

 しかも自分で『泳ぐじいさん』なんて、結構な自虐ネーミングだぞ。

 僕は早くもツッコミどころ満載の泳ぐじいさんに夢中になった。

「その泳ぐじいさん……ですが、私たちの肉眼では見えなくても写真だったり移動したりとかは出来るんですかね?」

 華子はどうやら泳ぐじいさんを、僕の病気を治す精霊と見なしたようだ。

 まさか対面をはかろうとしてるのか。ちょっとやめてくれよ。


「あの、それが……もう、泳ぐじいさんと息子が接触することは無理だと思います。実は先日、お引っ越ししたらしいんですよ」

「は?」

 引っ越したの?

「そう息子が言ってました。泳ぐじいさんは、兄弟みんなでお引っ越しをするそうで」

「泳ぐじいさん、兄弟いるんですか?」

「百人いるらしいですよ」

 大所帯だな、じいさん!

「それは大変。はーい……わかりました。ありがとうございます。かなり面白かったです!」

 ほう、面白さは金額に比例するのか?



「では、みっつめ。最後のお話をお願いします」



「これは私の体験です。実は二十歳の時ですが……私、妖精を見たことがあるんです」

 でたよ妖精。

 この人、意外とブッ込んでくるなー。

「妖精とは……あの? 小さくて、こう、羽のある?」

 華子がいぶかしげに聞く。

「はい、そうです。十五センチほどで、トンボみたいな四枚の細長い羽がはえてました。ショートカットで可愛らしくて。ボーイッシュな女の子みたいでした。赤と青のお洋服を着ていて、白いスニーカーを履いてるんです。私の部屋の掛け時計のまわりを静かにゆっくりと飛んでいました」

 これには流石の華子も引いたようだ。店内がしんとしている。


「はぁ……。す、素晴らしいです! 本物の妖精! 待ってましたぁ」

 華子、待ってたのかよ!

「日本にも妖精っているんですね。私、ヨーロッパに生息してるって思ってたんですよー」

 華子、思ってたのかよ!

「もしかしたら、掛け時計をフランスの輸入雑貨屋さんで購入したので、それについてきたのかも」

 ふたりの楽しそうな笑い声が聞こえる。

 いや微笑ましいけど、それ違うからね絶対。


「でも妖精ってイタズラするんです」

「わぁ、しそう~♪」

 華子がはしゃぐ。

「しかも可愛いイタズラじゃないんです。ちゃんとしたというか……私、お財布を隠されちゃったんです」

 それ結構、悪意があるぞ。

「もう困っちゃって……。結局、どこから出てきたと思います? 部屋中を探し回ったら、次の日冷蔵庫の裏から出てきたんですよ。すごい不思議」

 不思議というか、すごい迷惑。見つかったの奇跡だな。

 華子も食い入るように話を聞いていたが、首を傾げると口を開いた。


「お財布ってわりと重いですよね?  その……疑う訳じゃないですけど、十五センチの妖精が本当に運んだんですかね?」

 んー、痛いとこ突いたね。

「私が見た妖精はぼんやりとしてました。ホノグラムのような。だから、ひとりでは絶対運べないと思います」

「だったら妖精のイタズラじゃないのでは?」

 華子が即座に言う。


「ええ。なので、大量の妖精が私の部屋にいたんじゃないかなって思うんです!」

 おお、すっげー推理。

「……そっかぁ、そうなんですね!」

 おいおい。嘘だろ、華子。

 大量の虫が発生したようなラストで、この妖精話は終わった。

 華子がいくら支払ったかは知らないが、妖精に悪戯された女性は機嫌良く帰って行ったようだ。



「あら、竜いたの?」

 障子を開け、目が合った僕に華子が言った。ここをどこだと思ってるんだ。

 華子が和室へと入ってくる。

 勝手知ったる他人の家。マイカップに緑茶をいれると華子は伸びをした。

「なかなか難しいね、私たちが求める精霊に出会うのって。当分、時間がかかりそうだわ」

 いや、絶対無理だろ。喉まで出かかった言葉を呑み込む。

 華子が察したような顔をした。


「紅葉おばさん、これでも必死なのよ。バカげたことって私も思うけど、竜もわかってあげて。みんな大事な竜の幸せを願ってやってることなの」

 華子がなぜか少し瞳を潤ませる。

 お茶が熱すぎたのかもしれない。だけど……。

 僕と華子、ふたりきり。

 ずっと心にあった気持ちを口に出してしまう。



「華子。……華子も僕のこと、大事って思ってる?」



 あーーー。やっべぇ、言っちゃったよ。恥ずかし過ぎる!

 喉がカラカラで仕方ない。沈黙がマジ無理過ぎ。

 華子はゆっくりと僕の顔を見た。


「もちろんだよ。竜」

「あ、でもさ……華子は兄さんと結婚するつもりなんだろ?」

 この子が慕ってるのは優秀な僕の兄、たけしだ。


「やだ。竜ったら、昔のことまだ覚えてるの? そんなの子供の頃の話じゃん。武お兄ちゃんはこれから大学生になって難しいお勉強をするの。私たちと違って忙しくなるんだよ。きっとその内、お似合いの女の人が現れる」

「華子はそれでいいのかよ」

「うん、いいよ。だって私が好きだったのはずっと……竜、なんだから」


 えっ、僕は耳を疑った。

 華子……。

 今、なんて。


 華子がそっと近寄り、僕の頬に手を伸ばした。

 マシュマロのような柔らかい指の感触。

 僕の頬は華子が触ったところから溶ろけていくみたいだ。

 心がじんわりとあたたかくて、ひどく眠くなった。

 一度うっすらまぶたを開けると、華子が優しく微笑み返した。



*  *  *



「華子ちゃん、ただいま。遅くなってごめんなさいね。竜の面倒みてくれて、いつもありがとう」

 竜の母、椿つばきがスーパーの袋を抱え帰ってきた。

 華子がうつろな瞳で振り返る。

「おばさん……」


「華子ちゃん、どうかしたの? もしかして竜に……」

 椿は何かに気付いた様子だった。

「もしかして、紅葉姉さんが提案した精霊が竜のことを? そうなの?」

 華子がゆっくりと首を横に振る。



「おばさん、竜は……眠りました。深い、永遠の眠りに……ついたの」

 華子は一言一言、苦しそうに言葉をつむいだ。

 椿はスーパーの袋を手からはなし、そのまま崩れ落ちる。

 スローモーションを見るような表情で華子は立っていた。


「竜は……本当に、成仏じょうぶつしてしまったのね。もうここにはいないの? 私の、竜……」

 椿が問いかけるようにつぶやく。


「華子ちゃん、最後、あの子何か言ってた? どんな顔をしていたの? 教えて。竜は華子ちゃんにしか。自分が病死したことにも気づかなくて……困った子。でもやっと成仏出来たんなら、よかったと思わなきゃ、いけないのね」

 椿は震える声で言った。



「おばさん、竜ね。成仏出来たのは、思い残すことがなくなったからだった。最後は何だかほっとした顔をしてたよ。……ねぇ、覚えてますか。竜が昔、捨てられた子犬だったコタロウを連れて帰った日のこと。おじさんに飼っちゃダメって叱られたのに、ずっとねばって飼いたいって」

 椿もうなずく。

「うん、よく覚えてるわよ。……竜ったら、唇噛んで小さなコタロウを抱いてたのよね」


「次の日、おじさんが根負けして、やっと飼っていいって言ってくれたでしょ。その時、コタロウを抱き締めた……竜の顔。嬉しくて泣きそうで、そして、すごく幸せそうな……最後ね、そんな顔してたんだよ」



 椿は思わず嗚咽おえつをもらした。

 華子もそれまでの気丈なふるまいを捨て耐えきれず表情を崩す。

 受け止めきれない感情に潰されぬように、椿に駆け寄りしがみついた。



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