隣り近くミント
「雨は止まずだね。フフフフ、それじゃぁ、約束通りお願いしますねぇ」
目的地に着いても雨脚は緩まる事を知らず、僕たちの向かう地面をどこまでも濡らし続けている。先にバスを降りていた彼女は雨の世界を背にし、明るげな笑顔で、僕を待っていた。これはまるで夢の中にいるようだ、現実味の感じられないフワフワとした気持ちのまま、僕は折り畳み傘を広げた。
「ありがとうね。じゃぁ、いこう」
彼女は上目遣いに小さく笑いかけて、肩が当たる距離間で僕の隣に立った。鼻を触るイイ香りはさっきまで食べていたミントガムの香りなのだろうか。自分も同じものを食べているのに、このまだ僅かに残る口の中の爽やかなミントとはまた別種の香りにも感じられた。それは彼女から発せられるから特別に感じられるのだろうか、それとも。
「どうしたの、ずっと立ってても雨はやまないよ、ほぉらぁ、一歩前に、踏み出して?」
彼女が僕の袖をひどく
バラバラと傘に強く落ちてくる雨音はやかましいはずなのに、今はどこか遠くに感じる。耳奥にまでは響かない。僕は、隣歩く彼女の綺麗な横顔を盗み見つつ、雨がこの子の肩を濡らしてしまわないようにと傘を彼女の方へと傾けた。僕の肩が濡れてしまうのはどうでも良いとこの時は思えた。
「あれぇ、肩、濡れちゃうよ?」
彼女の切れ長な眼が僕の方を向いて優しく半月に細まる。僕は構わないという意思表示で首を横に振って表し、彼女の笑わせた眼をジッと見つめた。
「フフ、優しいんだね。でも、風邪を引くかも知れないから」
彼女は僕の手を優しく握って傘を真ん中へと戻した。
「うん、これでいい」
彼女の少し冷たい手が離れ、半月の眼は瞳が見えなくなる程に細まり、薄く儚げな笑顔を溢した。それを見た僕の胸はやけに熱くなり、彼女という存在にヤケドをしてしまいそうな錯覚に陥る。僕はもう味のしなくなったミントガムを心落ち着かせるように奥歯で何度も無意識に噛んでいた。
「ぁ、包み紙こっちが使っちゃったから、きみのガムは口の中にまだ残ってるんだね?」
彼女はそう言うと制服の内ポケットからポケットティッシュを取り出し、二、三枚抜き取ると、僕の口の前へと差し出した。
「ごめんねぇ気づかなくて、ほらガムここに、だしてぇ」
僕がでもと迷うと彼女はカールヘアをキレイに揺らし首を傾けた。
「ダメだよほらぁ、ガムを飲み込んだら大変でしょう」
なんだか甘く叱られる子どものような気分だ。僕は少し迷ってから噛みすぎて固くなったガムをティッシュの上に吐き出した。彼女は丁寧に丸めて、鞄から器用に取り出したビニール袋へと入れた。間に合せのゴミ箱といったところだろうか。
「大丈夫、後でちゃあんと捨てておくから、ダイジョウブ」
彼女はそう言ってガサガサとガムの入った袋を悪戯好きな小さな子どものように揺らし、チロリと赤い舌が上唇を舐める。正直、心を奪われそうな可愛さと妖艶さが合わさり、大人びた見た目からの
このままでは妙な色付いた勘違いに心を支配されてしまいそうだと肺いっぱいに息を吸って心を鎮めようとした。彼女から隣り香る僅かなミントが肺と頭の中を爽やかに駆け抜けると同時に僕はハタと気づいて彼女の顔を見た。
「どうしたの?」
彼女の不思議がる顔と周囲を何度も交差させる。今は登校中、当然の事ながら僕達の他にも学校に向かう生徒もいるわけで、その、僕なんかと一緒の傘で、登校だなんて、あの、君には迷惑なんじゃないかって……。
「なんでそんなこと言うの?」
彼女の声が一瞬、氷のように冷たく感じられた。
「傘に入れてって頼んだのはこっちだからそんなことを言う必要はまるでないんだよほんとに」
だが、次の瞬間には優しい笑みと早口な声を溢していた。今のは、酷く冷たい感じは、気のせいだったのだろうか。本当に……そうなんだろうか。
「あ〜でも、あたしはねぇ」
頭がまだ混乱している僕に彼女は背伸びをして
「実はきみが思ってるような女の子じゃぁないかもよゥ?」
そっと耳打ちをした。首を指で這わされるような、耳の奥を舌で小突かれるような、こそばゆく身をよじる感覚と、鼻を触り続けるミントの香りに言葉の意味なんて、周りを気にするなんて、ひどく馬鹿らしいものだと、思えてきた。
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