第51話 あたしの初体験返してーっ!

 それはメールやメッセージの通知ではなく電話だった。それもアプリでのIP通話ではなく普通の音声電話である。


「こんな時間に電話? ……って!?」


 画面を見て固まってしまう俺。メイが不思議そうに覗き込んできた。


「おにーさん? 急にどしたの電話? 出ないの?」

「いや……それがクビになった会社からでさ……」

「え?」


 スマホに表示されているのは、もう辞めてしまったあの会社の名前だ。まだ連絡先を消していなかったのは幸か不幸か。


「こういうのってよくあるの?」

「いや働いた頃もないって。つーかいまさらなんだよ。しかも深夜も近い時間だぞ? また文句言われてもやだし出なくていいかこんなん」

「待っておにーさんっ! 出た方がいいかも!」

「えっ?


 通話拒否しようとしたら俺の手をがっと掴むメイ。


「もしかしたら何かイイ報告の可能性だってあるじゃん? それにもう辞めちゃった会社でしょ? 別にいまさら何言われたって怖くないじゃん。てかまたあのヤな上司がなんか言ってくるようだったら、今度はあたしが代わりにガツンと言ったるから!」


 早口でまくし立てるように言って、フンフンと鼻息を荒くするメイ。


「メイ……はは、そうだなわかった。もしそうなら俺もガツンと言ったるわ!」

「ん! そうだやったれ!」


 メイに感謝をしながら、通話ボタンを押す。


「──はい、もしもし」

『夜分遅く失礼します。こちら悠木湊さんの電話番号で間違いありませんか?』

「はい、そうですが……」

『私、株式会社ゼッタードリンク代表取締役社長の加賀見です』

「……え? か、加賀見社長ですか!?」


 その名前と重厚な声に驚きのあまり聞き返してしまう。メイも隣で『びっくり!』みたいな顔をしていた。


 加賀見社長のことはよく覚えている。あの会社を一代で上場まで築き上げたやり手の経営者なのはもちろん、俺の最終面接をしてくれたのはこの人だったから。

 毎年新入社員の初出社の日にはすべての新入社員にわざわざ一人ずつ話しかけに言くという行動力の持ち主で、もちろん俺にも話しかけにきてくれた。少しの時間だったが、それでも信頼出来る人という印象があった。


『今、お時間よろしいでしょうか?』

「は、はい大丈夫ですっ。あの、ど、どうして社長が?」

『つい先ほど、悠木さんの件を部下から一部始終聞きました。そのため少しでも早くお話と思い、この時間の連絡となり申し訳ありません。どうやら、馴染みの取引先を怒らせてしまったそうですね』

「あ、そ、その節はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

『そのことはいいのです。それよりも、いつまで無断欠勤をなさるおつもりかと伺いたく連絡をした次第です』

「……え?」


 言っている意味がわからず、つい聞き返してしまった。


「む、無断欠勤? いえあの、社長。俺はもう来なくていいからと、つまりクビに……」

『それも訊きました。ですが営業部長の彼に人事の決定権などなく、私がそれを承認した覚えもありません。辞表届けも受け取ってはいません。あなたは今でも我が社の一員として契約中です』

「え……?」

『このまま出社を望まないというのであれば、本当に辞めていただくことになります。ですが、まだ当社で働くつもりがあればすぐにでも戻っていただきたい』

「お、俺が会社に? でも俺は、会社に迷惑をかけた責任を──」


 そうつぶやくと、スマホの向こうで笑い声が聞こえた。


『新入社員が責任などと。そのように大仰な発言が出来るのは、一人前に仕事をこなせるようになった管理職だけでよろしい。調子に乗るには早いですね』

「す、すみません! そんなつもりでは!」

『そもそも責任を取るのは上司の役目です。あなたは与えられた仕事をした。そしてミスをした。すべての社員はそうして成長していく。失敗など当然のことです。謝罪だけで結構』


 叱り、たしなめるような口調でもなく、淡々と事実を述べるように社長は話す。

 電話の向こうで、わずかに言葉を選ぶような間が置かれた。


『──私が、なぜあなたを採用したかわかりますか?」

「え? い、いえ……」

『あなたが我が社に必要だと考えたからです。我が社の発展に寄与してくれると思ったからです。そして私が期待していたあなたという社員は、取引先のあの場でそういう発言が出来る人間です』

「え……」

『正しいことが正しいわけではありませんが、そうあれる社員を私は求めています。それに若い頃は私もそうでした。もしも私があなたの直属の上司ならばこう言って背を叩きます。『よく言った』、と』


 そのたった一言で、何か重たいものが俺の中からスッとなくなった気がした。

 社長の声が、少しだけ柔和なものへ変わる。


『会社から怒られた後は、二人で飲みにでも行って笑い話にすればいいのです。ああ、今時は飲みニケーションも流行りませんかね』

「加賀見……社長……」


 スマホを握る手に力が入る。


『すみません、長くなってしまいましたね。既に戻れぬ事情がお有りでしたらこのまま契約を解除しましょう。ですがあなたに戻る気があるのでしたら、その言葉をお聞きしたい』

「社長……自分は……」


 ふと、隣に目を向ける。

 メイは、真剣な顔でじっと俺のことを見つめていた。俺の片手を、ギュッと握ってくれていた。

 それだけで勇気が湧く。


「──今までの無断欠勤、申し訳ありませんでした。会社に戻らせていただきたいです」


 そう答えると、電話の向こうで安堵したような声が聞こえた。


『そうですか。では来週の月曜日から出社をお願いします。部署も仕事内容も変わりありません。ただし上司は変更になります』

「はい、わかりました。……え? へ、変更ですか?」

『彼には地方の営業所でしばらく業務を務めていただくことになりました。他に質問はありますか?』

「い、いえ。ありません」

『そうですか。ではこれで失礼します』

「は、はいっ。あの、加賀見社長! 直々にお電話いただきありがとうございました」


 そうして通話を終える。

 スマホを床に置き、メイの方を向いた。


「前の会社の社長からだった。まだ籍が残ってるから戻ってこいって」

「うん!」

「で、まだ仕事も決まってないし戻ることにしたんだけど……」

「うん!」

「えーと……こ、これでよかったのかな?」

「うん! おにーさんがそう決めたんだからいいっしょ! よかったじゃんほらイイことあったっしょっ!」


 そう言って抱きついてくるメイ。「おわっ」と抱き留め損ねて二人で布団に倒れた。

 そのまま二人で笑い出す。

 前にメイが言ったことを思い出した。


「禍福は糾える縄の如し、だったよな? 確かに良いことも悪いことも全部くっついてるのかもしれないわ」

「ねっ、あたしの言った通りっしょ? 捨てる神あれば拾う神あり! これもおばあちゃんよく言ってたし!」

「はははそうだな。ことわざって覚えとくもんだな!」


 また二人で笑い出す。

 それからメイが、ふと我に帰ったように起き上がって真剣な顔で言った。


「えっヤバイ待って。てことはあたし……やっぱ触らせ損じゃない!?」

「は?」

「だって傷心のおにーさん励ますためにやったのにさ! ぜんぜん必要なかったくない? あ、あんなにハズい思いしたのに意味ないとかありえないんだけどっ!?」

「いや待て待て! 意味あったって! めっちゃ元気出たって!」

「初めて男の子に胸触らせたんだよ!? てゆーか前におっぱいも見られたし! こ、こんなんもう初体験と一緒じゃん!? あたしの初体験返してーっ!」

「どうやって返せばいいんだよ!? ちょ、待ってくれマジゴメンってぇー!」


 わちゃわちゃともみ合いになる俺たち。そんなやりとりがアホすぎて、お互いにすぐにまた笑い出してしまうのだった。












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●本作をお読みくださった読者様へ。


いつもご愛読とご声援、ありがとうございます!

本作はこのエピソードをもって一旦更新を停止させていただきます。

お話自体はまだまだ描きたい内容がたくさんあるのですが、現状では長く続けていくことが難しいためです。

もしもまた続きが書ける状況になりましたら、そのときはよろしくお願い致します……!

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おせっかいな小悪魔JKとイチャイチャしつくすラブコメ 灯色ひろ @hiro_hiiro

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