一人映画のススメ

@askkk_

一人映画のススメ

夕焼けに染まった街並みを早足で通り過ぎる。目的地は駅から10分の立派な8階立てのビルーーこの地区一番の映画館だ。近代的な入り口を潜ると、紅色のカーペットの敷き詰められたロビーを通り抜け、売店に併設されたフードコーナーに立ち寄った。映画鑑賞には、甘いチュロスとアイスティーが私の定番チョイスだ。


「16時15分より、3階、5番シアターにて上映いたします《マンドラゴラのうた》の入場を開始いたします。チケットをご準備の上、劇場入場口までお越しください」


フードトレイを片手にポケットからチケットを取り出した。座席番号までを確認し、人の流れに乗って入場口へ向かった。


エスカレーターを登り5番シアターに入る。個人的に特等席に認定している、中央やや後ろの座席に腰掛けて一息つく。十分な広さがあり薄暗く静かなシアターは、都内の喧騒から切り離された特別な空間だ。予告映像を横目にカバンにスマホを仕舞う。徐々に暗くなる照明と対照的に輝くスクリーンの光につられて画面に集中を切り替えた。さあ、楽しい時間の始まりだ。


**


迫力のある音響に、ビビッドな映像。シアターの充実した機材を生かした、迫力のアクションに花を添える演出。チュロスの糖分で頭をスッキリさせた私は、最高の90分を楽しんだ。ふかふかの席に座ったまま他の人がシアターを出るのを待つ間に、カバンの中に入れておいたお気に入りのノートを開いた。今日のページにチケットを挟み、「花まる100点!」と書かれたスタンプを一つ押した。そしてそのままノートを閉じた。直後に振り返ると感想を全部書き連ねようとして欲張ってしまうから、少し時間を置いてから書き留める為に、ペンは持ち歩かないのが私流だ。ノートをカバンに仕舞い、売店でパンフレットを購入してそのまま映画館を出た。


来るときには茜色だった空は、すっかり日が落ちていた。昼に比べて街並みはどこか静かで、黒のキャンパスを彩るように街灯がキラキラと輝いている。「眼に映る景色は気分に大きく作用される」と言った人がいたが、まさにその通りだ。下を向くには勿体無い景色が、眼前に大きく広がっていた。


映画の後は少し遠回りして家路を楽しんだ。映画の中の夜のシーンを思い出しながら街並みを眺めた。普段は姦しいと感じるネオンサインも、道を覆う帰宅途中の人混みですら、映画の中では情景を彩る一要素だ。俳優の行動や、演出を辿るたびに映画は新しい表情を見せてくれる。電車がレールを滑る音も映画の中でのキャラクターの表情をつけるアクセントだ。無音すら表現に落とし込む、それが映画の凄さだ。映画の中で直接的な表現ができないのは、香りくらいだろうか。しかしそれすら、想像として落とし込むことで表現を可能とする。90分の中に世界がある。それはしかも、現実と地続きでな場所だ。空気を胸いっぱいに吸い込む。現実世界に存在する共通点が、思い返した映画の中の情景を五感を伴ってより鮮明にする。ああ、良かった。今日の映画は私に新しい視点と気づきをくれる。


帰宅しゆっくりと腰を落ち着けてから、映画ノートを開く。お気に入りのペンを片手に、映画のチケットの横に開けておいた空欄に、お気に入りの箇所のみの感想を3行書き留めた。帰路でゆっくり歩きながら映画のシーンを噛み締めて、味がした箇所だけまとめたものだ。他のページも同じように映画のチケットと少ない文章だけを内包したノート。少しヨレて、挟んだチケット分だけ厚みの変わったノートは、朝見たときよりもどこか暖かい気がした。好きだけが詰まった、私の宝物だ。


映画館からずっと仕舞ったままだったスマホを起動する。起動とともに数件の連絡と、SNSの通知がでた。その中にたまに覗く映画レビューサイトの通知に今日の映画のタイトルが見えて、思わずタップした。他の人がどう感じたかも気になったのだ。


「うーん、星2.5、3.0……放映初日で平均値3.0か。思ったより低いな」


どうやら数人の映画のレビュアーさんの好みではなかったらしい。記事の中では監督の作風から過去作の比較、演出や脚本の欠点についても語られていた。知識量に感心しながら記事を斜め読みして、すっと閉じた。なるほど、確かにそういう意見もあるんだな。私は面白かったけれど。自分と違う受け取り方をする人もいる。万人受けする作品など存在しない。理性では理解しているが、複数の否定的な意見を前に少し気分が沈むのを感じた。


SNSを開き、さらさらと新着記事に目を通す。その中には映画の感想も含まれていて、私と同じように好意的な感想もあれば、レビューにあったような否定的な意見もあった。私は記事を作成し、写真一枚、映画館にあった《マンドラゴラのうた》のジャケットとチュロスを写したものを添付した。一言。「面白かった」と添えて、投稿。発信とか得意じゃないし、個人的な感想なんて大多数の未視聴の人にとって蛇足でしかないから、ただ「呟く」。好意的な意見の分母を増やしたかったから。映画を見る前に、見に行かないまま、否定して欲しくない。これが発信下手の私の精一杯だった。


レビューサイトでなんとなく自分の感性が否定された気がして、おもむろに映画のノートを手にした。半分ほど埋まったこのノートは、私が観た中で好きな映画の塊だ。チケットとメモ程度の感想が添えられたそれをゆっくりとなぞる。自分の感性を大切にするこのノートはSNSと違って他者ではなく、過去と未来の自分と感想を共有するものだ。このノートは過去の私の「好き」と「楽しい」が詰まった宝箱だ。100人いれば100通りの映画への評価がある。つまり、映画を含めた芸術は、個人の感性を否定しない。誰かの感性を含めて作品を批評するのはいつだって受け取り手を含めた、自分自身を含めた人間だ。どんな声があったとしても、作品自体の価値は下がらないし、輝きが失われることはない。そう思うと、少しだけ気分が浮上するのを感じた。


カバンから、映画館で購入した《マンドラゴラのうた》のパンフレットを取り出す。パンフレットは映画に関連したアイテムだけれど、映画とはシアターで完結するものであり映画の一部ではないというのが私の意見だ。でも、映画に付随するアイテムの中では一番好きだった。作り手の作品への愛が詰まっているからだ。劇中の美麗なカットと煽り文、監督や俳優のインタビューや撮影裏話に目を通すと、映画の内容が思い出されて気分が高揚した。映画が好きだということを思い出させてくれるアイテムの一つだ。私はこの作品が、好きだ。そう強く実感した。邪念を忘れた頃に、配信サイト等で再度見たいと思うくらいには、好きだと思う。


《マンドラゴラのうた》の余韻を残したまま、おもむろに来週の映画の放映予定カレンダーを確認した。新作が3本あり、そのうちの一本に私の好きな俳優さんが出演するらしい。私はその映画にターゲットを絞ると、映画館のアプリを立ち上げた。時間は夕方、座席はお気に入りの、中央やや後ろの席。今回は特別なシアターでの上映らしいので、いつもより音響が良いみたいだ。予約の時間から、映画は私に楽しさをくれる。


「また、楽しく、映画見に行こう」


事前情報は最小限に、必要以上の知識もつけない。映画の価値は映画の中身のみで決まるというのが、私の映画鑑賞スタイル。私はワクワクしながら、次の映画の日に想いを馳せてその日を終えたのだった。

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