旅立ち

 一ヶ月が経った。


 勢いよく健人の部屋のドアが開く。ドンドンと床を鳴らし、荒い呼吸が徐々に近づいてきた。


「電気ぐらいつけとけって」

 真っ暗な部屋に藤田が入ってきた。


 藤田の両手には大きな黒いボストンバッグがぶら下がっている。バッグを畳に落とすと床の埃が宙に舞った。天井から垂れている細い紐を引くと部屋全体が明かりに照らされる。


 藤田は続けざまに勢いよくカーテンを開けた。


 強烈な外の光が闇を跳ねのける。


「ごめんごめん。だから俺には必要ないって言ってるじゃん」

 既に部屋にいた健人が言う。


 健人は散らかった低いテーブルに胡座をかき、なにやら手元を精密に働かせていた。


「準備できてんのか、健人」

 カーテンを開け放った後、藤田は便所座りで健人の顔を覗く。


「そんなに顔を近づけないでよ、藤田さん。はい、これ」

 健人は藤田にジョイントを手渡した。


「やっぱりおまえ、俺よりもずっと上手に巻くよな」

 藤田は、健人から受け取ったジョイントを宙に透かして見せた。


「昔から器用だからね」

 得意げに言う健人は気合を入れ直すように膝を叩くと、藤田が持ってきたボストンバッグのジッパーを開ける。


 中に入っている大量の札束の一つを手に取り、顔を宙に向け一枚一枚繊細な手つきで数え始めた。その様子を満足げに見ていた藤田は、口に咥えたGreenCrackに火をつけた。


「おまえも吸っとけよ。日本で吸う最後のガンジャだろ」

 藤田はそういって健人に渡す。


「そうだね」

 藤田から受け取った健人は、煙を深く吸い込む。


 今日までのことが頭の中で思い出される。


 母が死んだあの日から健人の心は壊れかけていた。そんな時に偶然やってきた藤田。彼のおかげで生きる希望を見出すことができた。


「藤田さんありがとう」

 健人はジョイントを藤田に渡しながら言う。


「突然なんだよ」

 ジョイントを受け取った藤田は、GreenCrackを深く吸い込む。


「藤田さんがいてくれたから、俺は死なずにいれた」


「初めて見たときのおまえは、血だらけだったもんな」


「そうだったっけ。あまり覚えてないや」


「まじかよ。引っ越してきて早々あんなもの見せられて、このアパートにはおかしなやつしかいないんだと確信したよ」


「実際、藤田さんもおかしなやつだと思うけどね」


「健人のその態度はずっと変わらないけどな。それでおまえあっちで、なにやるつもりなんだ」


「言ってなかったっけ、俺みたいな人たちを少しでも支援したいと思っててさ、そのためにも人との関わりを広げたいんだ」


「で、カナダを選んだのか」


「カナダを選んだ理由か。それはただなんとなくだよ、大麻も吸えるし」

 健人は煙を吹かし藤田に渡す。


「健人おまえ、もっと堅苦しい奴じゃなかったか」

 藤田は笑い、煙を吹かした。


「藤田さんと一緒に居すぎたんだよ」

 健人も笑った。


 こうして二人で大麻を吸いながらも、笑いあう時間は終わりに近づく。今日まで短い時間だったが二人の間には固い友情が芽生えた。そして、藤田も健人も壁にもたれ天井を見つめる。


「楽しかったなぁ」

 健人が言う。


「そうだな。すげぇ楽しかった」

 藤田も今とゆう時間を全身で感じる。


 しばらくの間思い出に浸っていた二人だったが、突然部屋のドアが開き麻衣が入ってきた。


「二人ともいつまでまったりしてるの。飛行機の時間に間に合わないよ」

 麻衣は二人に喝をいれる。


「もうそんな時間か。健人行ってこい」


「うん。行くよ」


 藤田と健人は立ち上がり、部屋の玄関まで歩く。


「あ、そうだ藤田さん」

 健人がドアノブに手をかけこちらを振り返る。


「どうした」

 藤田は聞き返す。


「いや、やっぱりなんでもない」

 健人はなにかを言いかけたが、その手でドアを開け部屋から出ていくのだった。


「...さて、鈴木を探しに行くか...」

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