第3話
翌年、クラス替えで
苺胡も恋愛経験が無いことを厭わないタイプで、「性事情は?」過去を反省して訊いてみると「全くない」と百点満点の答案を寄越して、先生はにっこり笑った。そうそう、こういう人と同じ炊飯器の飯を食べたかったのだ。東芝あたりの。
そんな冗談を交わせる程の仲になると、世の恋愛心理批判も苛烈さを増した。
「ねぇ苺胡。ふと気になったんだけど人間に心は要ると思う?」
「は?要る訳ねぇだろ」
「だよね!『心優しい』とか『心の無い奴だ』とか言われるけど、心なんてただの妄想だし人間に必要なものではないよね。心を主題とした作品は腐り切った程あるけど、興醒めする上に大して実りの無いオチを迎えるからね。だから何だっての。心があると信じて止まないのは何も考えていない証拠、妄想に執着しているだけだ」
「その通り、心は誰とも知らない人間の創った空想に過ぎない。誰がこんな下らない創作に手を出したのやら」
「心に囚われない作品なんてあるのかな。泣けると評判の場面を読み込んでも微塵も共感出来ない。構成の練られた知的な頭脳戦の方が余程面白いのに。それでも世間は未だに心の持参を義務付ける。苺胡以外の他人はわたしの理性を感情と誤解するから面倒臭いよ」
「ワタシは感情を表に出さない女と何度言われてきたか。何故ワタシの感情の有無にお前が拘るのか今でも理解出来ないわ。というか無いんだけど」
「苺胡は本当に格好良いよね。誰と話すにも終始無表情で。わたしも感情は無いつもりだけど、最近は笑顔が増えてしまったかな」
「へーそう。あまり見ていなかった」
「うぅ苺胡の無関心な返事、お気に入り。好きではないけど。恋愛が紛い物の存在であることは生後から分かっていたけど、それが普通かと思えば案外間違えている人が多いんだなぁって」
「ワタシ達以外はそうなのか。情報に疎くて」
「心に限らない話だけど、必要かどうかで考えられないんだろうね。人間が人間として瞬間以上に生存する為の生理現象は良いとして、心は何の意味も無く役にも立たない。心理を追究するだけ時間の無駄。生涯は道草だとか法螺を吹かれるけど、それなら死んだ方が早いから。生きる理由が無いなら死ねばって」
「生きるために生きているんだろ。そうすると死ぬ訳にはいかなくなるな」
「わたしは億万長者目指して生きるから関係ないけど」
「あ、そう……ずず」苺胡はトロピカーナのオレンジを啜ると「というか当たり前のこと聞くな」澄んだ顔つきでぼやく。
「当たり前のことを敢えて確認したの。結論として人間は心を消すべきだということ。具体的で簡単な方法は、黙ることだね。皆黙れば良い。世界中の声と音が一斉に全て消えれば良い。その状態が続けば沈黙は日常となり常識となる」苺胡は肯定するのも面倒臭そうにスマホを見ていた。
「ねぇ苺胡……前から気になっていたんだけど、わたしが死んだら悲しい?」
「全然」
「だよね!わたしも苺胡が死んだらちっとも何も思わないな!」
「お前のことは聞いてないけどな」
こんな風に話は盛り上がり、わたしは初めて心底から意気投合する相方に出会えた。感情を真っ向から否定してくれる存在は今の時代稀少だった。
しかしその貴重さが身に沁みると何故かドキドキし始めた。彼女の手が何気なく膝元に及ぶと、掴んでしまおうか悩むことが増えた。おいおい、待てよわたし。恋心なんて存在しないのではなかったか。これは単なる緊張症に過ぎない、友情の病とも呼ぶべき近しい距離感への代償か。決して好きとは言えないけど、気になり出したのは確かだった。
そんなある日、いつもの駅で立っていると、到着した電車の中で苺胡と未栗がキスをしていた。
「あ、おはよう」苺胡は毅然としながらわたしを迎え、未栗は「うわ」嫌悪感を露わにするとそのまま奥の車両へ逃げていった。修羅場の空気を避けた序でに深追いする気は起こさない。
「…………何で未栗と居たの?」昨日までの発言の数々は何だったのか、恋とは無縁の顔は何処へ行ったか、既視感のある不満が目の前に羅列された。
「ワタシ、色んな人と付き合い始めたんだ」その台詞からするに過剰な接触に出た相手は未栗に限らないらしい。
「やっぱり感情は大事だな。あんたもそろそろ卒業しなよ」
彼女の言葉に耐え兼ねて列車を脱け出した。これまで彼女と積み重ねてきた議論は水の泡となった。B級ロマンスを描いていたのはわたしだった。
セクシュアリティは流動的と言う。何が流動的だよ、結局皆恋愛するんじゃねーか。これだから好きは信用できないんだ。
慰めとして毒薬に会いに行きホテルで過ごした。ベッドを揺らしながら、それでもわたしは恋愛感情、性的欲望を感じ取れなかった。何処にも仲間は居なかった。
わたしは他人を信用しないことにした。本気の恋愛なんて出来る訳無いだろ。
バイバイ、アセクシュアル。列車から飛び降りた。
A級ロマンスで行こう 沈黙静寂 @cookingmama
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