雨やどり

黒っぽい猫

第1話 雨やどり

それは私がまだ神さまを信じていた高校2年生の夏。7月初めの金曜日の帰宅途中に雨が降り、シャッターを下ろした古い商店の軒先で雨宿りしていた時のことだった。



天下にその名を知られる超名門進学校、快晴高校の制服を着た男子生徒が同じ商店の軒下に雨宿りのために飛び込んできたのである。「あ、すみません」と彼は男子高校生にしては珍しく愛想よくにっこり笑った。ちなみに快晴高校は中高一貫の男子校である。男子校の生徒が女子生徒に気軽に話しかけてくるなどとは驚きだった。



小さな商店であるから軒下も狭く、私と彼はかなり近い距離で立ったまま雨宿りをするはめになった。私は雨が降り出してすぐに軒下に入ったからほとんど濡れていなかったが、彼はしばらく雨の中を走ってきたらしく相当に濡れた状態だった。びしょびしょの濡れネズミと言ってもいいくらいだ。短く刈った頭からも雨粒が滴っていた。



気の毒になっていつも2枚持ち歩いているハンカチを1枚貸してあげようかと思ったけれど、お気に入りのキャラクターの柄が入ったハンカチなので、やっぱ見ず知らずの人に貸すのはやめようと思って黙っていた。ちなみにそのキャラクターとはスヌーピーではなく熊のプーさんである。



彼が私を見てもう一度さわやかな笑顔で小さく頭を下げた時、前歯がキラリンと光った。虫歯治療のためにかぶせた金属ではなく、歯並びを矯正するためのワイヤーが光ったのである。臆面もなく彼は私に「あのー、ハンカチ貸してくれませんか」と言ってきた。仕方ないので私はプーさん柄じゃないほう、パステルチェック柄のほうのハンカチを貸してあげた。



彼は「どうも。すみません」などと遠慮なくしれっと受け取り頭と肩に滴る雨粒をぬぐった。まさか女子高校生に借りたハンカチで顔まで拭かないよね。などと思いながら注視していたら、ハンカチを広げてタオルのようにベロンと顔を拭いた。うわっ!なんてデリカシーのないヤツ。アンタが顔を拭いたハンカチなんて二度と使えないわ。このことは黙っておいて洗濯してから妹にでもくれてやろうと私は思った。



彼はさわやかなイケメン男子かつ天下に名だたる超進学校、快晴高校の生徒に違いなかったが、これをきっかけに彼と付き合いたいなどとはみじんも思わなかった。理由は簡単である。彼にはデリカシーがなかったからだ。だって彼はこの梅雨時にハンカチ1枚も持ち歩いていないのだから。トイレに行った後、ズボンのお尻で手を拭くタイプだ。いや待てよ。トイレから出て手をまったく洗わないタイプかもしれない。



こともあろうに、彼、もといヤツは、びしょびしょに濡れてくしゃくしゃになりはてたハンカチをそのまま「どうも」と言って返してきた。それは違うだろ!「すみません。洗濯してから返します」だろうが!もちろん私は自分の個人情報をヤツに教えるわけにはいかないから「もういいんですか」と言って受け取った。正直汚くて触るのもイヤなのでポケットティッシュにぐるぐるにくるんでカバンの底に押し込んだ。



ヤツはきっと東大法学部を卒業して財務省の官僚にでもなるつもりなのだろうが、こんなデリカシーのないヤツが官僚になりやがて政治家になったりするからジェンダー平等無視のおっさん政治家からセクハラ発言が飛び出すのである。私は勝手にそんなことを思いながら、背の高い彼を見上げながら心の中で見下した。



しばらく、といってもせいぜい30分くらいだったと思うが、私とヤツは狭い軒下で肩がふれ合わないよう気を遣いながら気まずい時を過ごした。その間ヤツは私の髪からほのかにただようシャンプーの香りに胸を高鳴らせていたことであろう。女子高生と一緒に雨宿りなんて、男子高生にとってはドキドキな体験で、月曜日にはクラスで自慢しまくるんだろうな。いや、今夜のうちにライングループで自慢しまくるに違いない。



「やみそうにないですね。雨」と彼はどんより垂れこめた雨雲を見上げながら言った。私が黙っていると「天気予報では午後はくもりで、雨は夜になってからのはずなのに」と言った。独り言なのか私に同意を求めているのかわからなかったが、無視し続けるのも気まずいので「そうですね」と一言だけ返した。彼はなぜか嬉しそうにほほ笑んだ。女子高生と話すのがそんなに嬉しいのか?などと私は思いながら社交辞令でほほ笑み返した。



雨はますます激しくなり止むどころか小降りにすらならなかった。私は仕方なく通学バッグから折り畳み傘を出して開いた。梅雨時はいつ雨が降るかわからないから折り畳み傘は必携アイテムだった。彼は私が傘を持っていたことに驚いたらしくポカンと口を開けて見ていた。



「では、お先に失礼します」私はヤツにそう言って商店の軒下を出ようとした。するとヤツが言った。「あのすみませんが、入れてくれませんか。その傘に」私は自分の耳を疑った。は?なんと図々しいヤツ。私のハンカチをぐしょぐしょにしたあげく相合傘を所望するのか。私があきれてヤツの顔を見ると、またもやさわやかな笑顔を返してきた。



笑った口元から歯列矯正のワイヤーがまたキラリンと光った。はあ、なんというデリカシーのなさ。ま、でもいいヤツそうだから仕方ないか。私はしぶしぶ傘に入れてやることにした。小さな折り畳み傘では肩をくっつけ合っても片方の肩が雨ざらしになってしまう。やっぱこんなヤツ傘に入れてやるんじゃなかった。



私がそう思ってうんざりしかけとき、ヤツは私の手から傘を奪い取って私がすっぽり入るように傘を傾けた。おお!気が利くじゃん。これではヤツのほうが雨ざらしになってしまうのに。がさつでデリカシーがないけど親切でいいヤツじゃん。私はちょっとだけヤツ、もとい彼を見直した。「ありがとう」私は思わず彼にお礼を言った。「いやいや、お礼を言うのは俺のほうじゃないですか。ほんとにありがとう」






そのがさつでデリカシーのない男が今の夫である。






おわり。






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あとがき


知る人ぞ知る昭和の歌手さだまさしさんの名曲「雨宿り」のオマージュ作品です。

パクリとか言わないでくださいね。あくまでオマージュですので。(^^;





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