雨は君
仲島 鏡也
雨は君
彼女は、雨の日にだけ現れる。
たぶん自分にしか見えていない。
家の塀に挟まれたコンクリートの道、道には白い止まれの文字があって、電信柱が自分を見下ろしている。そんななんてことない光景の中、目の前には不自然に雨が避けている場所があった。
透明の傘がそこにだけあるような、変な現象だった。
何だろう。
いったいなにが雨を遮っているのだろう。
学校指定のスクールバックを肩に担ぎ直して、優作は、好奇心の赴くまま雨の降っていない場所に近づく。
右手で傘を持ったまま、雨の降っていない場所に左手を伸ばした。
左手には、感触があった。
そして視界には急に、少女が現れた。
左手の感触は、彼女が伸ばしていた手に触れた感触だった。
「「え?」」
声が重なった。
視線も重なった。
戸惑いを隠せないままに、二人は会釈した。
「ど、どうも」
「あ、はい」
二人の手が離れていくと、優作の視界から彼女が消えた。
だけど目を凝らすと、うっすらと彼女の姿が透けたように見える。
このことをきっかけに、雨の日にだけ彼女の姿がうっすらと見えるようになった。
▽▽▽
授業中に、勇作は頬杖をつきながら窓を眺めていた。
雨が降っている。知らず知らずのうちに彼女を探す。
雨が不自然に避けているような場所があれば、そこに彼女はいる。だけど雨の中に彼女がいるとは限らないし、そもそも彼女に会えないことも多い。
いったい彼女は誰なんだろう。
そんな疑問が頭に浮かぶ。
彼女に触れた時だけ、彼女ははっきりとその姿を見えた。服装は制服で、髪は肩にかかる長さで、瞳は吸い込まれてしまうような魔力があったように思う。だって優作は彼女から目が離せなかったし、雨の日には思わず彼女の姿を探してしまうからだ。
知り合いではない。
それでも彼女のことを今までに知っていたような、そんな不思議な感覚がある。
この気持ちはもしかしたら、恋なのかもしれない。
今度彼女に会ったなら、もう一度触れて、ちゃんと言葉を交わしたい。
雨に濡れている校舎の正門の辺りを眺めてみる。やっぱり彼女はいな——ん?
いや、彼女の姿がうすぼんやりと見えている。
いったいどこにいるのだろうと校舎の正門を凝視するけど、そこに彼女はいない。彼女がいるのは、優作が眺めている窓だ。
窓に彼女が反射している。
それはつまり、この教室の中に彼女がいる。
優作は逆を振り向く。小太りな生徒、林新次郎がいる。新次郎は勢いよく自分を見つめられて、戸惑いの視線を優作に向けてくる。
お前の視線なんていらない。
優作はもう一度窓に視線を向ける。
やっぱり半透明な彼女が窓に映っている。
そして彼女もこちらに気づいて、目が合った。
優作が右の手のひらを彼女に向ける。やあ、みたいな挨拶のつもりだった。
それに彼女が反応して、恐る恐るこちらに手のひらを向けた。
彼女は確かにこの教室にいる。
だけど、彼女はやはりこの教室にいないのだ。
こんがらがってきた思考を放棄して、優作はずっと彼女と見つめ合っていることが気恥ずかしくなった。授業を受けるふりをして前を向き、ちらと目だけを動かして彼女の様子を覗う。
そして、腕を窓に向かって伸ばしてみる。
当然彼女には触れられない。
彼女はいったい、どこにいるのだろう。
▽▽▽
度重なる異常気象、磁場や磁気の乱れ、そんなものが積み重なって地球の終わりが囁かれている。
ポールシフトという周期的に訪れる磁気の逆転現象が近づいているらしい。簡単にいえばS極とN極が逆さまになってしまう現象だ。
それによってどんな被害が出るのかはわからない。
だけど、鳥たちが列を乱して飛んでいる姿は、確かになにか異常が起きていることを感じさせた。
しかし世界が滅亡するのなら、優作には止めることなんてできやしない。だから難しいことは考えずに、自分がしたいことをしようと思った。
周囲の人間が、世界が終わるなら最後になにをしたいか話題に上げており、それを盗み聞けば、自分がしたいことをすればよいのだという結論が出ている。世界が終わるのなら、他人のために動くようなことはない。当たり前のことだと思った。
他の話題は、ポールシフトが起こる原因についてだった。
人間が環境を破壊したことに地球が怒ったのだとか、悪の秘密結社が造った磁極逆転マシーンが起動されたからだとか、並行世界が近づいてきて接触してきている影響だとか、そもそも周期的なものだから原因なんてものはないのだとか様々な憶測が飛び交っていた。
だけど理由なんてどうでもいい。
異常気象の影響で雨が続くことはよいことだと思った。雨が降れば、彼女に会える。
今日もまた雨だ。
傘をさして、帰り道を歩く。
公園の入り口に、不自然に雨が降っていない場所が見える。
優作は公園の入り口に近づいていく。そしてその場所に手を伸ばす。
彼女がいた。長いまつげに肩にかかる黒髪、唇は桜色に艶めいていた。
また会えた。
言葉を交わしたい。だけど言葉が出てこない。想定はしてきたはずなのだ。彼女に会って話たいことがいっぱいあったはずなのだ。
なにか言おう、なにか言おうとしていると彼女が先に口を開いた。
「駄目だよ。私たちが繋がってしまえば、世界が衝突して滅びちゃうよ」
彼女の言葉は意味がわからなかったが、それでも自分が否定されているような気分にさせた。
「なんでそんなことを言うのさ」
「あなたの世界にも異変は起きているでしょう? 本来私たちは互いを認識し合えない。だけどこうして言葉を交わして、こうやって触れ合ってしまっている」
彼女の言葉に、自分の手に彼女の手の感触があることを実感する。
「私たちはもう触れ合ってはいけない。認識してはいけない。会おうとしてもいけない。会いたいという思いさえ消してしまえば、私たちはもう二度と会わないはずだから」
彼女はこの世界にいない。
彼女がいるのは、優作が本来交わるはずのなかった世界なのだ。
「さようなら」
彼女の手が離れていく。
正直わけがわからない。
「待って!」
わけのわからないまま彼女を離したくない。そう思って、遠くなっていく彼女の手を掴もうと足を踏み出した。
彼女の手に触れそうになって、その瞬間に彼女が消えた。
右手に持っていた傘を落とした。
首を左右に振って周囲を見回した。
彼女の姿は見えない。
不自然に雨の降っていない場所もない。
彼女のいた痕跡がどこにもない。
▽▽▽
パラレルワールドという分岐世界がある。
世界中のどこかの誰かが、複数の選択肢に悩み、そしてその選択の違いによって多数の枝分かれの世界が生まれる。
パラレルワールドは、可能性の世界だ。
そして彼女は別の可能性の世界にいた。別の可能性では、彼女は優作の学校に通っていて、優作のクラスメイトになっていた。その可能性を、雨や鏡を通して見ることができていた。だけど二つの世界の接触は世界の均衡を壊していた。
彼女が見えなくなってから、世界の異常気象はなくなった。
雨もすっかり降らなくなった。
優作は彼女に会おうという気持ちを精一杯に抑え込んだ。
だけどいつまでも雨が降らないわけじゃない。
雨の降ったその日、彼女の姿を探して駆け出した。廃ビルの階段を昇り、屋上にたどり着く。
フェンスを飛び越え、雨よりも速く地面に向かって落ちていく。
自らも雨になれば、別の可能性の世界に行けると信じた。
目を覚ませば、彼女のいるパラレルワールドにいるはずだ。
鈍い音が、雨音に掻き消されていく。
雨は君 仲島 鏡也 @yositane
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