謎音 謎は忘却の彼方に

荒谷改(あらたに あらた)

第1話

「なんなのこの音!!もう耐えられない」

 

 お昼休み。僕らは恒例の探検ごっこを楽しんでいた。この学校はかなり年期の入った建物で、設備の整った今時の学校とは大違い。でもだからこその面白みというか、目的のわからない謎の土管や正体不明の骨など、僕らの心をくすぐってやまないものがちょいちょい潜んでいる。それらの奇っ怪なものを求めて、僕らは昼休みに探検ごっこをする。

 

 今回の目的はネズミだった。少し前から続くネズミの大量発生。古い建物で清潔かと言われるとちょっと微妙な僕らの学校だから、ネズミの大量発生が起きてしまってもおかしくない、そんな風に先生達には捉えられていた。


 けど僕らは違った。突如あらわれたネズミたち。それにはなにか理由があるんじゃないか。学校のどこかに身元不明の死体があってネズミが群がってるんじゃないかとか、誰かがこの学校で秘密裏にチーズ作りに励んでいてネズミが群がってるんじゃないかとか。

 

 正直に言ってしまえばなんでもいいのだ。僕らの興味を惹いてくれて、探検ごっこに値するなにかがあれば、それがどんなものでも僕らは楽しんでしまう。だから今回だって、真剣にこのネズミ問題を解決しようと思っていたわけじゃない。けど、


「全然いなくね?」

 

 田中くんが首を傾げた。


「いないね」

 

 佐藤さんも田中くんに追随する。


「おかしいなぁ。ちょっと前まではこっちから探さなくてもいきなり出てきたのに」

 

 鈴木くんはきょろきょろと首を巡らせている。


「おーい、ネズミさーん。こっちにチーズあるわよー」

 

 囮用の裂けるスティックチーズをちらつかせる高橋さん。ネズミに呼びかけながら、チーズをひと裂きして自分の口に放り込む。


「ちなみにネズミがチーズ好き、というのは根拠がなくて、あくまでアニメなんかで穴あきの三角チーズを食べるイメージがすり込まれているからに過ぎないんだ」

 

 僕はネズミがチーズ好きに違いないと信じ込んでいる皆の過ちをただすように言った。


「え、そうなの?」


「うん。ネズミはあまりにもイメージで語られすぎている生物かもしれないね。例えば2015年に放送されたイギリスBBCの番組で行われた実験では、「チェダーチーズ・ピーナツ・ブドウ」の3択のなかからネズミが何を最も好むのかを比較してみたところ、ピーナツを好んで食べたという結果だったんだ」


「そうなんだ。てっきりあの穴あきチーズが大好きなんだとばかり」

 

 高橋さんはもう一口、チーズをぱくり。


「他にも寒さに弱いとか、意外と繊細な感覚をもってたりもする」


「さすが博士。なんでもよく知ってらっしゃる」

 

 鈴木くんがからかうように言った。僕は皆から博士なんて面はゆいあだ名で呼ばれている。確かに僕は皆より少しものを知っているかもしれないが、大したものではない。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ皆よりものを覚えていたりすることができるというだけだ。だから博士なんて呼ばれると恐縮してしまう。でも僕は自分の人生であだ名をつけて呼ばれたのはこれが初めてだから決して悪い気はしなかった。あだ名をつけてくれるような友達ができたことが、凄く嬉しかった。

 

 僕は事情があって学校に行けなかった。僕だけじゃない。ここにいる皆、事情は違えど同じ境遇だ。ここはそんな風に、行きたくても学校に行けなかった人たちが行くための学校。そういう意味では皆同じ。だから皆、仲がよい。なかでも田中くんと佐藤さん、鈴木くんと高橋さんに僕を入れた五人のメンバー。僕らはいつもこのメンツで探検ごっこをしてわいわいがやがやと騒いでいる。


「ピーナッツが好きなら、これもいけるんじゃないか?」

 

 田中くんがポケットからピーナッツバターを取り出した。今日の給食で出されたものだった。


「あ、田中くん。お残しは駄目なんだよ」

 

 佐藤さんがたしなめるように言った。


「そうだよ。アレルギー以外は、基本的に残さないようにって言われてるじゃん」

 

 給食はどうしても食べられないものを無理に食べさせられるようなことはないけれど、残すときは先生に申し出なければならない。うちの学校の給食は、僕たちに必要な摂取カロリーが厳密に計算されているので、給食を残してしまうと僕たちはカロリー不足に陥ってしまう。だから管理体制がきっちりしている。建物は古いのに、そういうところは妙に先端的だ。


「だって俺、毎回毎回ピーナッツ系のメニューでるたびに残してるだろ?先生がうるさいんだよ」

 

 田中くんはうんざり顔で言った。給食ではピーナッツバターなんかはパンの付け合わせでよく出てくる。手軽にカロリーが取れていいんだそうだ。


「だからこっそりポケットに隠したってわけか。田中くんらしいね」

 

 僕は笑いながら言った。


「ルール違反も大概にしないと、田中くん。前も禁止されてるお菓子をこっそりポケットに忍ばせて休み時間に食べてたことあったよね」

 

 鈴木くんが咎めるように言った。


「あったあった。柿ピー食べてた。ピーは残して種だけ食べてた」

 

 高橋さんは裂けるチーズをさらに裂いて、口に放り込みながら言った。


「でも俺の残したピーナッツ、鈴木も高橋も食べてたじゃん。同罪だよ同罪」


「あれは田中くんがピーナッツを捨てようとしたからもったいなくて仕方なく」


「そうそう。あれはセーフだよ」


「そもそもピーナッツが嫌いなのになぜわざわざルール違反を犯してまで持ってきたお菓子が柿ピーなの?」


 僕にとってはそれこそがもっとも奇妙な謎だ。


「えー、だって俺柿ピー好きだし」


 あっけらかんと田中くんは言った。


「この際だから、田中くんのあだ名をピーナッツ田中にしたくなってきた」


「いやいや、それはさすがに勘弁してくれよ」

 

 田中くんは情けない顔になって全力で拒否している。その田中くんを鈴木くんと高橋さんが「やーい、ピーナッツ田中~」と言ってからかうように囃し立てる。


 かつて学校に行けなかったのに再びこうして通えるようになった僕らにとっては、こんな風にワチャワチャと騒いでるのが最高に楽しくてたまらない。


「あれ?どうしたの佐藤さん」

 

 いつもならこういうノリには必ず乗ってくる佐藤さんが、さっきからずっと押し黙っている。


「どうしたのって…皆は気にならないの?」

 

 佐藤さんは信じられない、という顔で僕らを見回した。


「気になるってなにが?」

 

 皆がきょとんとした顔で佐藤さんを見つめ返す。


「さっきからこんなに喧しくて仕方ないのに、皆どうして平気なの?」

 い

 つも一緒の僕らなのに、佐藤さんは自分だけが取り残されたような表情で言った。


「喧しいって、なんか聞こえる?」

 

 田中くんが耳をダンボにする。


「特に聞こえないよね?」

 

 鈴木くんも周囲に耳を澄ます。


「うん。極めてサイレント」

 

 言いながら高橋さんはチーズをぱくり。


「だね。特にこれと言っては」

 

 いま僕らがいるのはちょうどネズミの大量目撃なされている辺りだ。耳をそばだててみたけれど特に何も聞こえてはこない。古すぎて使われなくなった校内スピーカーがあったけれど、そこから何も放送されてたりもしない。


「なんなの?私をからかおうとしてるの?」

 

 佐藤さんは悲劇のヒロインみたいな口調で言った。佐藤さんにはこういう、幼いというか若いというか、被害妄想的っぽかったりするところがある。


「なんだよ佐藤。なんも聞こえねえし、からかおうとしてるのはお前の方なんじゃないのか?」

 

 田中くんが唇を尖らせる。


「まあまあ。ちょっと落ち着こう」

 

 鈴木くんが二人の間に入ってなだめすかす。


「そうそう。ほら、佐藤さん、おひとつチーズはいかが?」

 

 高橋さんがわずかに残ったチーズを二つにちぎり、小さく裂けた方のチーズを佐藤さんに差し出した。


「ふざけないでよ!!私はネズミじゃないんだから、チーズくらいで騙されないんだからね」

 

 佐藤さんは差し出されたチーズを手で払った。チーズは宙を舞い、地面に落ちてしまう。  


「あー、もったいねー」

 

 田中くんがそう言うと、咄嗟にやってしまった自分の行為を悔いるように、佐藤さんの顔はみるみるうちに青ざめていった。


「あー、いいよ別に。気にしないで」

 

 高橋さんはからからと笑っている。


「ご、ごめんなさい。でも私、やっぱり無理。ここには居られない。もう耐えられない」

 

 佐藤さんは両手で耳を塞ぎながら、逃げるように立ち去ってしまった。あまりの突然の出来事に、僕らは不意を突かれて全力で走り去る佐藤さんを追いかけることができなかった。

 いつも一緒のはずの五人組が、四人になってしまった。




「つまりはどういうことだってばよ」


 気まずい雰囲気を打破するように、田中くんは人気漫画の主人公を模した口調で言った。


「わかんない。さっぱりだよ」

 

 鈴木くんは眉根を寄せた。


「わかんなときは博士に聞けばいいってばっちゃが言ってた」

 

 高橋さんがばっちゃを出汁にして僕へと無茶ぶりする。


「だな、博士ならこの謎を解いてくれるよな?」

 

 田中くんも僕に丸投げしてくる。


「そう言われてもな。皆なにも聞こえないよね?」

 

 皆が首を縦に振る。


「じゃあとりあえず、ここに佐藤さんが言うような喧しい音は存在しない、と。その上で聞くけど、佐藤さんが嘘を言ってるように見えた?注目を集めようとか、脅かそうとしているとか、理由はなんでもいいけど佐藤さんが嘘を言っているように見えた人いる?」

 

 皆が首を横に振る。


「ということは、僕らには聞こえないけど佐藤さんだけ聞こえる音があるってことだよね。しかも微妙な物音とかじゃなくて、耐えがたいほどに喧しい音が」


「そんなことってある?」

 

 鈴木くんが不気味そうに言った。


「頭のなかで響いてる音とかならありえるんじゃない。頭ガンガンする、みたいな」


「それなら頭痛いって言うんじゃないかな」


「だよねぇ。うーん…佐藤さん、途中までは絶対ネズミを捕獲してやるって気合い入ってたのになぁ」

 

 高橋さんが心配そうに言った。


「それだ!!俺、わかっちゃった」


 田中くんが突如として活気づいた。


「え?本当?」


「おう。わかっちゃった。つまりあれ、張り切りすぎ」


「張り切りすぎ?」


「あいつめちゃめちゃ気合い入ってたじゃん。で、あいつ幼いっていうか若いっていうか、新らしもの好きなところあるだろ?」

 

 確かに佐藤さんにはそういう面がある。スマフォを持つのも佐藤さんが一番だった。


「だから今回のネズミ捕りのために最新兵器みたいなの張り切って用意してたんだよ」


「なに最新兵器って」


「超高性能の音探知機とかそんな感じの。その超小型化したやつを、皆に黙ってこっそり耳につけてたんじゃないか?」


「それが本来なら聞こえない静かな物音を、ものすごい音量で拾っちゃってたってこと?」

 

 鈴木くんが疑りぶかげに言った。


「そう」


「じゃあそれを外せばいいだけの話じゃない?」

 

 高橋さんも田中くんの説に懐疑的なようだ。


「だから最新機器つけてたのをうっかり忘れちゃってたんだよ」


「さすがにそれは」

 

 高橋さんも鈴木くんも苦笑している。


「博士はどう思う?」


「そうだね。忘れてた可能性もなくはない。でももしかしたら皆の前でいい格好をしたくて秘密裏に小道具を準備してたのに、それがうるさ過ぎて皆の前でみっともなく外さなきゃいけないことに耐えられなくて、思わず逃げ出しちゃったりってこともあるんじゃない」


「ああ、それは佐藤さんらしい」


「まぁ、佐藤ならありうるか」

 

 皆、それなりに納得してくれたようだった。


「だからこの事はなかったみたいに佐藤さんに接した方がいいかもしれないね。都合の悪いことは忘れてあげるのが一番だよ」


「確かに。都合の悪いことは忘れちゃうのが生きてく秘訣だよね」


「だな。忘れよ忘れよ。適当な話題を振れば、佐藤もそっちに乗ってくるだろ」


「だね」

 

 僕にはもう、全てがわかっていた。なにもかもが。でもこれは、皆に言うわけにはいかないので、僕の胸のなかに閉まっておいた方がいい真実だ。そう、忘れてしまった方がよいということもある。




「ええ、実はそうなの。けど皆には秘密ね」

 

 僕は先生に裏を取り、自分の考えが正しかったことを確認した。


 実は田中くんの推理は半分くらいは当たっている。佐藤さんは忘れていたのだ。いや、忘れていたのは佐藤さんだけじゃない。僕を除いた全員が、忘れていた。僕はほんの少し皆よりも記憶がいい。いいといっても大したものではないけれど、わずかに良いのは確かなのだ。だから僕にはわかってしまった。

 

 なぜ佐藤さんは皆には何も聞こえないのに、喧しくて耐えられないほどの音に走り去ったのか。それは大量発生してたはずのネズミの姿が、一切見つけられなかったことと関係している。ちなみに田中くんの主張する超小型兵器なんてものはまったく今回の件には介在していない。ただ一種の兵器じみたものは関係しているのは確かだ。

 

 その兵器というのは、僕らのいた場所の上の方に設置されていた、古びたスピーカーだ。あそこからは、大量に発生したネズミを駆除するために対策として、学校側がモスキート音を流している。ネズミは意外と繊細な感覚をもっていて、聴覚も優れているためモスキート音はネズミよけになるのだ。


 モスキート音は耳の感度のよい若者にも聞こえるので、ペンシルベニア州のフィラデルフィアでは、行政が「モスキート音」と呼ばれる高周波ノイズを用いて夜間のエンタメ施設などから若者を排除している。


 だから佐藤さんにだけ、聞こえたのだ。僕ら他の4人に比べて、佐藤さんは若い。耳の感度も衰えは、僕らよりも進んでない。


 もう高齢者と言われる僕らの年齢になってしまうと、モスキート音は感知できないし、自分たちが老人である事すら忘れてしまったりすることもある。皆みたいに。

 

 僕らは戦争による混乱と貧しさにより学校に行けなくなった世代だ。そんな僕らに学びの機会を与えようと、古くなって使われなくなった校舎を開放し、市のはからいで僕らはこの学校へ通わせて貰っている。給食まで提供してくれて、なにかと不足しがちなカロリーや栄養のことまで気にしてくれるのだからありがたい話だ。

 

 学校へ通い出すと、皆失われた子供だったときの自分を取り戻すかのように、皆が子供のように振る舞った。そしていつしか皆、自分のことを老人ではなくまだ学校へ通う年齢の子供なのだと認識するようになってしまった。僕は皆より少しだけ記憶が良いので、自分が老人なのだということを覚えているけど、皆と子供として付き合うのは楽しくて、せっかくの皆とのノリをぶち壊しにしたくないから、真実は忘れることにして、学校生活を満喫している。そう、世の中忘れたほうがいいことだってあるのだから。

 

 ちなみにネズミに大量発生の原因は、田中くんが残したピーナッツバターや菓子類に含まれるナッツ系のものを学校中にばらまいてたというのが真相みたいだ。これもまあ、忘れることにしよう。細かいことは忘れるのが一番だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

謎音 謎は忘却の彼方に 荒谷改(あらたに あらた) @nnnstyle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ