結局何で別れたのさ-1

 その沈黙を破ったのは、保志だった。若干緩んだ閉塞感に息を吐きつつ、健太は保志に視線を向けた。


 「なあ。」

 保志が正人に向かって顎をしゃくった。


 「アキの事情は分かった。そやけど、アキの事情とお前と美葉が別れたことに何の関係がある?どない考えても解せんのや。」


 「え……。」

 突然突きつけられた言葉に一瞬戸惑いを見せた正人は、珍しく頬ではなく頭をガリガリ掻いた。その仕草から正人のいらつきが見て取れる。


 「もう、美葉さんのことは良いじゃないですか。」

 不機嫌に正人が言うが、保志は正人の気持ちなどお構いなしという顔で続ける。


 「ようないわ。訳分からん事が残ったら、気持ち悪い。」


 ムッと正人は口をへの字に曲げた。保志は太くて短い人差し指を正人に向けた。


 「お前、『美葉を殺してしまうってどういう意味や』って聞いたら、『アキの事に絡むから教えへん』って言うたやん。でも、事情が分かった今でも意味が分からんわ。」


 「殺人衝動……?」

 陽汰が眉をひそめて正人を見た。正人はイヤイヤと両手を横に振る。


 「そんな衝動は、ありません。……でも、佐野さんが現われなかったら、アキのことも、殺してしまっていたかも知れません。」


 正人は唇を噛んで俯いた。「殺してしまう」という物騒な言葉に度肝を抜かれ、健太は正人を凝視する。悠人も陽向も険しい表情を正人に向けていた。正人は自分に集まった視線を避けるように顔を背けた。しかし、内面から吹き出す何かに眉を寄せつつも、苦しげな声を絞り出した。


 「流産した後、アキは酷く落ち込んでいました。本当は真田に怯えていたんですけど、僕はただ流産で心を痛めているんだと思い込んでいました。僕はそんなアキに何をしてあげたらいいのか分からなくて、仕事に逃げ込んで放置したんです。」


 『抱きしめる』という事が出来ていたら、逃げずにすんだんだがなと、健太はくうを見つめる。保志はじれったそうに足を組み代える。正人はさらに眉を寄せた。深く息を吐き出したのが、上下した肩で分かる。太ももに置いた両手を、指が白くなるくらい力を込めて握りしめている。


 「……父親と、同じ事をしたんです。」


 正人は呻くようにそう呟いた。その後の言葉は何も続かず沈黙が流れる。健太は言葉の欠片を探すように地面に視線を移した。


 風に混じってアキが操作している草払い機のエンジン音が聞こえてくる。この音が聞こえている限り、アキの身は無事なのだと思った。視線を地面に向けたまま、空気を震わせる無機質な音に耳を澄ませた。


 エンジン音に混じり正人の吐息が聞こえ、意識を正人に戻す。吐息には涙声が混じっていた。視線をあげて正人を見ると、頬に幾筋もの涙が伝っていた。


 「……ロールキャベツを買って帰ると、約束しました。」

 涙に閊えながら、正人が呟く。


 「19歳の誕生日を一緒に祝うと約束しました。大学の講義が終わったら、急いで帰るつもりでした。でも、僕は友達の家に寄り道して、お酒に酔い潰れて朝帰りをしました。……約束を、破ったんです。」


 ボタボタボタと、正人の爪先に涙が落ちる。正人は小さな嗚咽を漏らした後、大きな息を吐いて呼吸を整えようとした。


 「始発電車で家に帰ったら、お母さんは亡くなっていたんです。……縊首、でした……。」


 健太はハッと息を飲んだ。悠人も陽汰も顔を上げて、衝撃の眼差しを正人に向けた。正人が家族に恵まれていないことは何となく察していたが、こんな悲惨な過去だとは想像していなかった。空気がずしりと重く肩にのし掛かる。ゴクリと唾液を飲み込んだ音が内側でやけに大きく鳴る。


 正人は手の甲でグシッと涙を拭った。拭い損なった鼻水が唇を伝ってぽたりと地面に落ちる。


 「約束を破ったせいだと思っていました。ずっと……。でも、それだけじゃ無いと気付いたんです。父親が、病気のお母さんを放置したんです。病気だったお母さんを置いて一人でアメリカに行き、碌に家に帰ってこなかったんです。放置されたお母さんの心はどんどん病んで、病んで……。生きるのが苦しくなってしまったんです……。」


 正人はくるりと身体の向きを変え、納屋の壁に額を打ち付けた。ゴン、と鈍い音が響く。


 「お母さんが死んだのは、父のせいだ。でも、僕は父と同じ事をした……。僕は父とよく似ている。感情を制御できないところも、無責任で、だらしなくて、すぐに逃げてしまうところも……。アキに、僕は父と同じ事をした。佐野さんがいなかったら、アキはきっと心を病んでいたでしょう。そしていつか、美葉さんにも同じ事をしてしまう……。」


 しゃくり上げる正人の背中を、呆然と見つめる。確かに正人は、何か問題があれば逃げ出してしまうだろう。これからもきっと。だが……。


 健太が言葉を纏める前に、保志が正人の頭に手を置いた。そのまま、クシャリと髪を掴む。撫でるというには乱暴な行動だと思ったが、保志の顔を見て息を飲む。


 怒っているのか、悲しんでいるのか、判別が付かない。眉を寄せ、唇を硬く結んでいた。その喉仏が、一度大きく上下に動いた。


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