どうやって守ればいいのだろう
「アキ、あんまり遠くに行くなよ。俺らの目が届くところに居ろよ。」
草払い機を肩に掛けたアキに健太は声を掛けた。アキははにかむような笑顔で頷き、農場へ向かっていく。
納屋には、正人と悠人、陽汰、保志が顔を揃えている。アキの元に例の男が現われるのは時間の問題だろう。アキをどうやって守ればいいのか、近しい男達が集まり対策を考えることとなった。
「手っ取り早いんは、その真田っちゅう男が現われてちょっとやんちゃな事して、アキが怪我する前に取り押さえることなんやがな。」
「そんなタイミング良くいかないよ。第一リスクが大きすぎる。」
「せやけど、何もせんのに捕まえるわけに行かんやろ。」
保志の尤もな言葉に健太は歯噛みする。
嘗てアキの身柄を拘束し、虐待していた男は
アキが保護されてから程なくして真田は逮捕された。14歳の少女が3年間も監禁され衰弱した状態で保護されたが、捜索願は出ておらず、誰一人探した形跡もない。そんな奇妙な事件は世間の注目を浴びた。アキは被害者として実名で報道されていたが、すぐに「被害者の少女」と呼ばれるようになった。
アキの逃亡に気付いた真田が、逮捕前に今まで撮りためていた写真をネットに流しからである。その上アキの同級生らが便乗するように、クラス写真や誇張した人物像をネットにあげた。当時「旭川少女監禁事件」と検索すれば、アキの個人情報が画像付きで閲覧できた。流石にすぐ規制が入ったが、ちょっと深掘りすれば探し出すことが出来た。検索して新しい画像を見付け出す。そんな悪趣味な行為が思春期男子の間で密かに流行した。
事件当時健太は小学校の高学年だった。丁度性的な事に興味を持ち始める時期である。スクールバスの後部座席で中学生達がスマートフォンを見せ合っていた。それが被害者少女の裸体であると何となく気付いて、好奇心をそそられた。
その風景が、吐き気をもよおすほどの嫌悪感に塗りつぶされる。現在はもう殆どの画像は削除され見付けることは困難だろう。しかし当時流行していた匿名掲示板の情報は未だに閲覧可能だ。お陰で曖昧な記憶を確かな事実と結びつける事が出来た。当時の書き込みを辿れば、アキがいなくなったことを誰も不思議に思わなかった謎が解けたのだ。
アキの母親は、アキが失踪した直後に行方をくらましていた。どうやら同居していた男の保証人になっていたらしく、勤め先のスナックから金を借りた後、夜逃げをしたようだ。学校側は、アキは母と一緒に行動していると考えていた。
「まぁ、実際夜逃げしたかどうか分からんがな。年は食っててもお水で働ける女やったら風俗に落とされたかも分からんし、犯罪グループに売られたかも分からん。夜逃げが成功してもホームレスになる確率が高いな。」
保志はぞっとするようなことをさらりと言ってのける。
真田は半年の実刑を食らった。真田の親は有能な弁護士を雇う金を持っていた。一方でアキに充てられたのはやる気のない国選弁護士だった。未成年の少女であるにもかかわらず、後援者もいなかった。
「マンションに身柄を留めていたのは行くところがないと本人に懇願されたから」「性行為や写真撮影は本人が望んだこと」「露出狂で裸像を公開するよう執拗に迫ってきた」「偏食が激しくどんなに勧めても菓子類しか口にしなかった」という真田の主張は全面的に認められることとなった。「未成年者誘拐罪」は成立したが、半年という刑期はあまりにも短いのでは無いだろうか。保護された当時アキは命に危険が及ぶほど衰弱していたというのに。
裁判の頃、お騒がせタレントがアキの名を捩った芸名で、AV女優としてデビューするという騒動を起こした。自然と裁判に注目が集まった。裁判風景のイラストのアキは、ふて腐れた不良娘だった。「刑期が短い」「不良少女に親切にしただけなのに実刑なんて可愛そう」そんな論争が週刊誌やワイドショーで繰り広げられた。
「茶髪できつい顔のふて腐れた不良娘のイラスト」「濡田アキという卑猥さを連想させる名前」「数々のヌード画像」「同級生達が誇張し、捏造した素行不良な少女の姿」。これら全てが本人の知らない内に勝手な人物像を形作り、世間で一人歩きを始てしまった。
正人と出会い、やっと幸せの一端を握ったアキの前に真田が現われたのは、その刑期を終えた一年後だ。真田はずっとアキを探していたようだ。昨日保志が、アキが働いていたスナックのママに電話で問い合わせたところ、その頃アキを尋ねて男が度々やって来ていたという情報を得た。アキの転落事故がらみの通報で、真田がアキの前に現われたことを警察は知ったが、事件性が無いと放置された。
真田がアキに最後の接触してから8年以上経つ。それなのに、テレビ放送から間もなく真田は現われた。と言うことは、この8年間アキを探していた可能性がある。その執拗さにぞっとする。
「真田って男は、小児性愛者だろ?なんで大人になったアキにここまで執着するんだ?」
悠人は険しい顔で足を組んだ。隣で陽汰が視線を天井に向け、ふと思いついたようにスマホを操作した。
『小児性愛者には小児にしか興味を示さない(純粋型)と成人にも興味を示す(混合型)がある。強引な小児性愛者の多くは反社会性パーソナリティ障害を有する。』
機械的な女性の声が解説する。
『反社会性パーソナリティ障害者は個人の利益や快楽のために違法行為を行ない、良心の呵責を感じることは無い。』
難しいことは分からないが、不穏な単語ばかりが飛び交い健太の腕が泡立つ。相手は常軌を逸した存在であり、今何を考えていて、何を目的としてアキの前に現われるのか分からない。ただ、真田は自己中心的な欲求を抱いて、アキの存在を求めているのは明らかである。その事に、怒りを覚えた。
その男を前にしたら、自分はどうなってしまうだろう。この怒りを抑えておく自信が持てない。
「警察に相談しても無駄ですか?」
問いかけた正人に視線を向けると、いつになく険しい表情をしていた。
「警察に何を相談するんや。『アキを探している人がいます』っていう事実しか、今は無いんや。」
保志が肩をすくめながら返答する。そうですね、と正人がポリポリ頬を掻く。保志の言葉が事実であり、歯がゆさに健太は唇を噛んだ。何か起こってからでは遅いのに、何も起こらないうちから警察は動いてくれない。悠人は腕を組んで唸り、陽汰は椅子に座ったまま足をぶらぶらさせている。
目の前に大きな壁が立ち塞がっているような閉塞感に襲われる。重たい沈黙が流れた。
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