第二十三章 自分を赦す

緊急事態が発生したら

 悠人に呼び出された陽汰は、納屋に向かう途中で、草払い機に給油しているアキを見付けた。


 先日の過剰な悪乗りは雨降って地固まるに一役買ったようなのだが、やはりやり過ぎだったと思い顔を合わせるのが気まずい。声を掛けず納屋の戸を開けようかと思ったが、ふと思いとどまる。


 アキのこれまでの人生は壮絶なものだった。他言無用と厳重注意された上で明かされた「アキの事情」に胸が詰まる。同時に、罪悪感を覚えていた。


 悠人の友達が家に遊びに来ていた時の事だ。


 『陽汰、いいもの見せてやる』

 そうやって見せられたスマートフォンの画面に、痩せた少女が立っていた。虚ろな目を空に漂わせ、膝を崩して座る少女は水色の薄布を腰に巻き付け、上半身は裸だった。薄い胸の膨らみが妙にリアルで、ありふれたグラビアよりもずっと、幼い性欲を刺激した。

 『みろよ、勃ってんぜ、こいつ!』

 『濡田アキで勃ってやがる!』

 嫌らしい笑いで恥ずかしい姿を囃し立てられ、陽汰は身体を丸めて自分の部屋に飛び込んだ。程なく飲み物を持ってきたらしい悠人が現われ、同級生達を一喝した。

 『やめろよ、そんな画像すぐに消せよ!悪趣味にも程がある!』

 尤もな兄の叱責は、自分に向けられたもののように感じた。初めて目にした商用ではない女の裸体は暫く頭から離れなかった。


 想像力が足りなかった。

 同級生に虐められ、言葉で社会と繋がれない自分は、この世で一番不幸だと思っていた。しかし、アキがこの世界から受けた仕打ちは、自分の体験など比べものにならないほど悲惨だ。


 それなのに生きることを諦めず、子供を産んで育ててきた。何度も踏みつけられただろうに、卑屈になることなく受けた恩に感謝して、報いようとしながら生きている。


 強いよな、と感動すら覚える。


 給油を終わったアキは携行缶の蓋を閉め、持ち上げようとする。昨日給油してきたばかりだから、重いはずだ。「ん!」と気合いを入れて持ち上げた。ゆらりと一歩後ろによろめいたが、踏ん張って堪える。力を入れるために、アキの唇が固く結ばれている。


 陽汰は咄嗟に手を出して、アキから携行缶を奪い取った。陽汰にすればこれくらい大した重さではない。楽々と持ち上げて棚に戻す。


 「ありがとうございます。」

 頼りない声が背中に届く。そういえば、アキと直接言葉を交わしたことはなかった。


 「……もしも、さ。」

 昨夜、考えていた。もしもアキが一人でいる時に、例の男が現われて襲ってきたら、アキはどうやって身を守り、周囲に窮地を知らせたら良いのかと。


 「もしもあいつがやって来たら、何でも良いから音を鳴らせ。例えばそれ。」

 陽汰は草払い機を指さす。

 「そういうので金属を殴るんだ。ポールでも何でもいい。繰り返し、音を鳴らせ。怖い時は、声が出なくなる。身体も動かなくなる。でも、音を鳴らせば、誰か気付いてくれる。身体を動かしていたら咄嗟のリアクションもとりやすい。」


 「……はい。」

 アキの長靴が、自分の方を向いた。こちらを向いたのが分かり、緊張で身体が硬くなる。だが腹にぐっと力を入れ、最後に一番伝えたいことを、伝える。


 「音がしたら、俺が必ず駆けつける。」

 背中を向けたままだが、アキに向かって親指を立てた。直接顔を見る勇気は、持てなかった。


 「はい……。ありがとうございます、陽汰さん。」

 アキはそう言って、鼻を啜った。

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