怒り-2

 「……戻るかい?皆のところへ。」

 悠人の言葉に、正人は首を横に振る。

 「……今戻ったら、何で怒ったのか理由を言わなくちゃいけなくなる。アキの話を、しなくちゃいけなくなるから……。」

 「分かったよ。」


 あっさりとした口調で、悠人は首肯した。

 「アキに何か事情があって、テレビに出るのはまずかったんだね。その事情は、おおっぴらに出来ないこと。そうだろ?」

 シュンと目を伏せて、正人は頷いた。それから、はっと顔を上げる。


 「アキを、一人にしないで欲しい。もしかしたら……。」

 言いかけて、口をつぐむ。保志はそっと眉をしかめた。確かにこの一件はアキを危険に晒す可能性がある。相手がまだアキに対する執着を捨てておらず、今の番組を目にしていたとしたら、だが。


 いくつかの可能性が重なったらの場合だ。何も起らない可能性の方が高い。しかし、最悪の場合、アキは命を狙われるかも知れない。


 出来ることならば、身内にだけでも事情を打ち明けてくれた方が良い。そうで無ければ、周りの人間に注意喚起できない。


 しかし、事情が事情なだけに本人が隠したがっている以上公には出来ない。

 言葉を閉ざして眉を寄せる正人も、このジレンマに苦悩しているようだ。


 「分かったよ。」

 悠人はまたしてもあっけらかんとした口調で応じる。驚嘆の表情に屈託のない笑みを返した後、至極真剣な眼差しを正人に向ける。

 「アキは仲間だ。必ず守る。農場にいる間は一人にならないように気をつけるし、仕事が終わったら家まで送り届けるようにする。猛もな。」


 数秒悠人の顔を見つめた正人の頬に涙が伝う。信号が青に変わり、その頬を青白く染めた。


 「今夜は皆と一緒だから、大丈夫だ。……さ、宿直室で飲み直すか。」

 悠人が正人の背を押し、強制的に前進させる。あたふたと慌てる正人の手がふらふらと空を彷徨う。


 「でも、家にお酒は無いよ。」

 「和夫さんに売って貰うさ。まだ起きてるだろ。」

 「でも、夜遅くなったら……。」

 「明日は休みにしたらいいべさ。注文入って無いんだろ?」

 「そうだけどさ……。」

 二人の声が、遠ざかっていく。

 ふっと、保志は息を吐いた。


 もう、大丈夫だ。


そんな言葉が、浮んだ。


 「正人はもう、大丈夫やな。」

 口に出してみると、ふっと肩が軽くなったように感じた。裏腹に寂しさを覚えてその感覚に苦笑する。


 「親離れっちゅうのは、こんなもんなんかいな。」

 鼻歌のように呟くと、頬をすっと風が通った。


 ふと手の平にふわりとした熱を感じた。さらさらとした感触と微かに塩みを帯びた汗の臭いが甦る。癖のない髪に置いた自分の手と、こちらを見上げて嬉しそうに笑う輝季の顔が、鮮やかに目に浮んだ。


 戸惑いながら、自分の手の平を凝視する。


 もう一度風が吹く。そこに鈴虫の鳴声が混じっていた。


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